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令和のジョーカー

 高校時代、俺の唯一の友であるウォークマンには大量に宇多田ヒカルの曲が入っていた。当時は体育の授業が死ぬほど憂鬱で、周りのいけ好かない連中に散々運動神経の悪さをバカにされた後はきまって宇多田ヒカルの『光』を聴きながら下校していた。

 そんな冴えない高校時代を過ごした俺だが、勉強だけは人一倍の努力を惜しまず、なんとか名の知れた東京の大学に合格することが出来た。心機一転一念発起、明るい大学生活を送ろうと心に決めた俺は寂れた田舎から上京し一人暮らしを始め、入学早々にパッと見キラキラしていそうなバンドサークルに入ることにした。だが、人生はそんなに甘くない。俺はどうやら先天的に人と接するのが苦手な人間らしい。常にヤニ臭いわりに偉そうなツラする先輩、人の陰口を言うのが大好きな色黒の同期、人間をやたらと点数で採点したがる女子。なんなんだ一体、こんな連中とは口もききたくない。こんなの俺の思い描いていたキャンパスライフとは程遠い。俺の足がそのサークルから遠のくのは時間の問題だった。

 サークルから離れた俺は、一体何のためにこんな人生を生きているのかがまるでわからなくなってしまった。人生のピークとも言われている大学生活でサークルに馴染めず、友達も彼女もいない。唯一の楽しみは講義からの帰り道にウォークマンで宇多田ヒカルの『traveling』を爆音で聴くこと。ストレスを発散させるために馬鹿みたいに大きい音量で聴いていたから、鼓膜が故障する寸前のところまでいっていただろう。
 ネガティブな感情に拍車がかかると、学業面にまで悪影響が出始めた。スナック菓子を頬張る育ちの悪いデブのように単位をボロボロとこぼし、俺は留年の烙印を押される一歩手前まで来てしまった。

 ある日、そんな陰鬱な生活に耐えかねた俺は講義が終わった帰りに何らかの期待を胸に相席居酒屋へと向かった。今までの俺なら絶対に行くことがないような場所だったが、もう俺の心は余命宣告をされたも同然の壊死状態なので死ぬ前の想い出作り的な感覚である。
 店員に案内され、席に着く。そこは2対2の対面式のテーブル席で、もう既に馬顔の背の高い男と、眼鏡をかけた茶髪のDrスランプ味を帯びた女が座っていて楽しそうに何かの会話をしていた。うわあ人が話してる時にその中に入ってくのスゲェ嫌だな~、そういうのスゲェ嫌なんだよ俺。なんでこんなとこ来ちゃったんだろう。
 「あ、こんばんは」
 「こんばんは~」
 「ど、どうも……」
 柔らかな表情で微笑みかけてくれる馬顔とDrスランプ。覚束ない挨拶をしながら硬い表情になる俺。
 「何歳ですか?」
 「21歳です」
 「へぇ~」
 「若いね~」
 もう帰りたい。置いてあった水をゴクリと飲む。なんで初対面の人間と他愛もない会話を繰り広げなければならないのだろう。まるで泳げないのに遠泳の会場に来てしまった人間のようだ。
 「あと一人ですね」と馬顔が言った。
 なるほどあと一人女子が来れば始まるのか。いや、何が?そもそもどういうシステムの店なんだここは。何もかもわからない、この店のシステム、他人との距離の測り方、火星における生命の可能性、何もかもがわからない。人生はわからないことで満ち溢れている。
 そんなことを考えていると派手な足音が聞こえてきた。顔を足音の方に向けると、ハイヒールを履いたギャルギャルしい女子大生っぽい女子がこちらのテーブルにやって来るところだった。ん、ちょっと待てよこの顔どっかで見覚えが……。あれ、もしかしてゼミが一緒のDさん!?課題を忘れた言い訳として「夜はあまりにも短すぎたから」とかいう極めて文学的なフレーズを教授に言い放ったあの伝説のDさん!?俺の脳が緊急避難警報を出すまでにそう時間はかからなかった。
 「あ、すいませんなんか父親から急に連絡が来て今母親がかなり危篤らしくて……すいませんすいません」
 馬顔とアラレに有無を言わさず席を立ち荷物をまとめ足早にその場を立ち去る俺。不審そうな表情を浮かべる店員の横を猛スピードで通り過ぎ、顔を下に向けたまま店の外に出る。危なかった。大して話したこともないゼミが一緒の女子と同席なんてどんな拷問よりも苦しい。ましてや相席居酒屋で一緒の席だったなんて、ゼミの中で吹聴されて一瞬で陰口の標的になるのは目に見えている。
 その帰り道、よくよく考えてみれば完全に異常者のムーブメントを起こした俺はどちらに転んでもゼミの中で異常者として扱われるだろうということに気が付き心底落胆した。どうせ留年する運命なんだからゼミなんてもう行かなければいいのだが、本人がその場にいないのをいいことにゼミ内は無論大学中までその噂の波紋が拡がり、一種の都市伝説的な存在にまで昇華されかねない。皮肉なものでポジティブな思考は一切出来ない癖に、ネガティブな妄想は際限なく広がるのだ。
 もういいよ、人生なんてこんなものなんだ……。帰って家の壁に靴下を思いっきり投げつけ、枕に口を押し当てて「アァァァスホーーール!!」と絶叫すればそれですべて解決だ。
 侘しい街灯に照らされ哀しみと悔恨のロンリネスロードをトボトボと歩いていると、ポケットの中の携帯が震えた。母親からだった。
 「もしもし?」
 「あ、あんた?久しぶりね。今何やってんの?」
 危篤でも何でもない母親の声は健康そのものだった。
 「いや何もやってないけど。今大学の帰りだよ」
 「ああ、そうなん。友達沢山出来たかいね?」
 「まあそれなりに」
 「彼女はどうなんね?」
 「いんや」
 「あっそう、あんた早いとこ結婚して孫の顔を見せてくれよ、もう私なんかいつ死ぬかわからないんだから」
 「ああ、そうだな」
 それはそうだ、俺がついさっき架空の世界で瀕死状態に追いやっていたのだからいつ死んでもおかしくはない。
 「ああそうだなってあんたねぇ……」
 「うるせえな、急に電話して何なんだよ?」
 「ああ、あのねえ、大学入学してからもう2年近く経ったじゃない?だから、順調だったら良いんだけどもし何か上手くいってないようだったらと思って”あるもの”をあんたの家に送っといたから。明日の18~20時、あんた家にいる?」
 「いるけど……なんだよ”あるもの”って?」
 「それは言えないわよ、自分の目で確かめて」
 「はぁ~?」
 何なんだ一体。
 「ああもうお母さん風呂入るから、じゃそういうことで、じゃあね。何か困ったことがあるなら連絡よこしなさいよ」
 「いや、ちょっ……」
 電話は一方的に切られた。よくわからなかったが、明日の夕方に母親が何かを俺の家に送ってくるらしい。詳細を言明しないのが妙に引っ掛かったが、すでに俺の思考は99%のことがどうでもいいというぐらいに精彩さを欠いていたので、その日はそのまま寝ることにした。

 翌日、俺は大学の講義を全て睡眠学習の時間に代替させ、家に帰った。昨日母から言われていた時間の18~20時の時間帯には在宅していなければならない。テレビで適当にニュースを流し見していると、不意にインターホンが鳴った。しぶしぶドアを開け、疲れた顔をした配達員から荷物を受け取る。ミカンが20個ぐらいは入りそうな中くらいのサイズのダンボール箱だ。訝しげに品名の欄を確認すると、そこには『ストロング青汁 それっぽいフルーツ適当にミックスしちゃいました味』と書かれていた。


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 ガバッ!!……ハァ……ハァ……なんだ、夢か……………。まあ、宇多田ヒカルは嫌いじゃないけど年に数回しか聴かないしな。


おしまい

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