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人の結婚式に行くと真面目に生き直そうと思うけど



 楽しかったGWも終わり、いつも通りの日常に戻っていきつつある今日この頃ですが皆さん如何お過ごしでしょうか。


 僕のGWはやはり例年の如く一瞬で消滅したわけなんですが、一体何をやっていたかというと部屋の掃除をしたり読書をしたり、瞑想したり筋トレしたりアスファルトタイヤを切りつけながら暗闇走り抜けたりしていました。




 あと大学時代の友人の結婚式にも行った。



 毎回人の結婚式に参加する度に(といってもまだこれで3回目だけど)、『結婚』って概念は本当に実在したんだなと思う。

 いやまあ当たり前なんだけど、改めて『結婚』という制度がこの世に存在して、人間は生きる過程でどうしてもその『結婚』というものに向き合わなくてはいけないんだということを実感させられる。


 というか怖い。過去の記事でもちょっと書いたけど、今まで身近に感じていた人間がどこか遠くに離れていってしまったような気がするから。



 朝井リョウ氏の『ままならないから私とあなた』という本に収録されている「レンタル世界」という短編小説があるんだけど、その中に主人公が先輩の結婚式に参加するシーンがあって、「学生時代下世話なことばっかり言って下品にゲラゲラ笑ってた人間がちゃんとしたスーツを着て一丁前の人間として振る舞う様が面白いから結婚式は好きだ」みたいなことを主人公が言っていたのを思い出した(結構前に読んだものだから内容が違っていたらごめんなさい)。 


 確かにそうなのよ。遊びまくってた中学時代の同級生が急に真面目に就職活動し出して大手広告代理店に内定を得ていくのと似たような感慨がある。


 どこか寂しいような気もするが、大人になったということなのだろう。素直に祝福する気持ちは勿論ある。


 しかしその反面、「俺を置き去りにして人生のステージを着々と進めないでくれ」という焦燥感もまた沸いてくる。



 そのGW中に行った結婚式では久方ぶりに大学時代の同期たちと再会したのだが、何やら続々と同棲報告したり入籍報告したりと、皆しっかりそれぞれの人生を進めていた。



 そうして周りが結婚していく中、僕は何をしているかといえばアプリを使って着々と『ONE PIECE』を読み進めている。もう完全にね、人生のレールを逆走してるんですよ。あくまで個人的な所感だけど『ONE PIECE』とかのメジャーな漫画って大体小学生~中学生ぐらいに読むじゃないですか。それを今頃になって読んでるんですよ。


 天邪鬼で屈曲した性格だから食わず嫌いであえてここまで読まずに来たけど、最近めちゃくちゃ面白いという評判を聞いて今更ながら一から読み始めた。


 いつまでも精神が大人になれずに停滞して、もう取り返しがつかなくなっちゃったから自然と幼児退行願望が芽生えてるのかもしれない。



 でも『ONE PIECE』って改めて見るとロビンちゃんの過去編の話とかサボの過去編とか、今の僕の抱えてる己の出自に起因する悩みみたいなテーマとリンクする部分もあって面白い。逆に小さい頃に読んでたらこういう読み方は出来なかったかもしれないと思うと不思議なものだ。



 話を結婚式に戻そう(このnoteの筆者は何事においても敷かれたレールの上を走りたくないという欲求が強すぎるあまりに文章もよく脱線する。いや文章は誰かに敷かれた訳じゃないんだから自分で軌道修正しろよという話なんだが)。


 何度か結婚式に参加してわかったが、パターンというか流れは大体同じだ。


 まず受付に行ってご祝儀を渡し、挙式まで待合室的な場所で待機。ここでウェディングパンフレット的な冊子を貰う。それから時間が来たらチャペルみたいな場所に案内され、新郎新婦が入場、誓いの言葉や接吻などを経て退場。
 その後、改めて階段を降りてくる新郎新婦にフラワーシャワー。それからブーケトス。終われば披露宴会場へ向かい、テーブルに着席して食事。
 ここで新郎新婦によるケーキ入刀とか写真撮影とか親族への感謝の手紙とか想い出ムービー上映とか色々。
 一同感動の涙を流して式終了。ってな感じかな。



 いや~、しかし毎回思うけど自分がこういう場の主役になる場面を想像出来ないね。


 特に途中でよくある家族への謝辞的なヤツ。あれをまともに出来ている自分の姿を想像出来ない。


 少なくとも今の俺は感謝の手紙を読むどころか、式場内のプロジェクターを使って「母親の過干渉教育方針~小学生の頃にゲームボーイを買い与えられなかったことによって周囲のポケモンの話題についていけず、僕の疎外感は育まれた~」みたいな内容のパワーポイント映像を流し、「えっ、もしかしてここ結婚式場じゃなくて『ザ・ノンフィクション』の取材対象会場だった……?」という疑念をオーディエンスに募らせることしか出来ない(新手のテロリズム?)。



 だからこのままじゃいくら何でも駄目だ、流石にまともに結婚式のスピーチを出来るぐらいには人間的に成長せにゃいかんと思っていつも今後は真面目に生きようと決意するんだけど、やっぱりというか何というか、結局休日にこんな文章をちまちま書いて劣等感を紛らわす習癖はなかなか治らないようだ。




 もう僕も今年で28になる齢だから結婚願望があるのかみたいなことを問われる機会も多くなってきたんだけど、正直言ってよくわからない。


 そもそも色々な面において結婚に必要な資質を持ってないから、願望があるとかないとか以前に不可能な気がしてくる。


 まあ万が一天変地異が起こって福原遥ちゃんと結婚出来るんだとしたら秒速で結婚するけど。


 でもよくよく考えたら俺と結婚しても福原遥ちゃん側にメリットがなさすぎるんだよな。


 だから理想のシナリオとしては突如として福原遥ちゃんの頭上に向かって降り注いできた隕石の身代わりになって落命するのが良いだろう。そして俺が遥ちゃんを庇って隕石の下敷きになったことを本人は知らずにいつも通りの日常を過ごしていく、それこそがこの世界という名のRPGにおける儚きTrue End…………(落命してる時点でGAME OVERだろというツッコミはさておき)。


 と、まあこのように筆者は現実が見えていないというか、到底現実では起こりえないシチュエーションに固執している妄想大好き夢見がち馬鹿なのでいつまで経っても結婚出来ないのであり、逆にちゃんと現実と向き合って結婚出来る人たちは着実に地に足をつけて生きている感じがして偉いな~と思っている次第であります。



 思えば結婚ってのは、真っ当に生きた人間が必ず経験する真っ当な通過儀礼なのかもしれねェ……。


 では結婚していない人間は真っ当に生きていないのかというと当然そんなことはなく、価値観が多様化した現代において結婚するもしないも個人の自由、それぞれの選択があって然るべきだろう。


 なんか色々ゴタゴタ述べた割には最終的に皆が既知の事実を再度繰り返しただけみたいになってしまった。


 でも現代って昔よりは「結婚しない選択肢もそれはそれでアリでしょう」って風潮が徐々に形成されつつあるし、そういう意味では以前より独身が生きやすい社会になったんだろうけど、ただその考え方が完全に世間に敷衍しきるまではやっぱりまだ相当時間がかかりそうだよなぁとも思う。道程は長そうだ。



 結婚式を振り返るついでにこの社会における結婚制度の在り方を超アカデミックに批評するつもりだったが、結局いつも通り奇文珍文を書き殴りすぎて趣旨が判然としない記事になってしまった。


 いるかはわからないけど結婚に対する有用なオピニオンみたいなものを求めてこのnoteを読んでた方はごめんなさい。


 普通にジェイン・オースティンの小説とかを読んだ方が良いです。



おしまい 

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