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ドアホンが街から消える日【オンガク猫団コラムvol.32】

5/5のNEWSポストセブンのコラム記事で、こんなのがあった。
「自宅にいるときに、突然の訪問者。チャイムが鳴っているが誰かはわからない。こうした場合、きちんと対応をしているだろうか?」

えっ、こういうのって、そもそも対応しないといけないもんなんだろうか。最近オイラが考えるドアホンってのは、基本的に知らない人が押すもんじゃなくて、知り合いが訪ねてくる時用のものだと捉えている。大前提で、自宅に訪ねてくる程の知り合いはオイラにはいない。だからドアホンが鳴っても一切出ない方針で、オイラは音無しの構えを決め込んでいる。

宗教、新聞、それからケーブル関係とか。これらは全て、オイラに必要のないものを押し付けてくる連中だ。時折宅配便らしき人がやって来ることがあるが、宅配便になりすまして殺人事件になった物騒な事例があるので、チキンでビビリのオイラは一切応じない。だって怖いんだもん。実際にオイラ宛に小包が来るときは、時間を指定して間違いのないことを確認した上で、受け取ることにしている。郵パックの場合は、伝票持って本局まで受け取りに行く。その場合の長い散歩も悪くないものだ。

鬱陶しい営業といえば、最近鳴りを潜めているが、電話の営業で以前、酷いのがあった。こちらが何者かも知らない、当てずっぽうでかけてきた失礼な電話なのに、いきなりオイラに「家を買え」と言う。いやいや、しがない借家暮らしをしていて、家なんか買う予定どころか、甲斐性も予算もないってのに、ソイツは権柄ずくでグイグイ迫ってくる。ちょっとでもこちらが隙を見せると「今、私を侮辱しましたね」とか「とりあえずお話だけでも聞くべきなんじゃないですか」とか心理的に追い込んでくるのである。もはや電話版の説教強盗だ。

この手合いは、徹底して無視することが最強の封じ手らしいのだけど、その時たまたま彼らの手練手管の話術に乗っかってしまった。運悪く仕事でテンパッていたので、迂闊にソイツのコールにレスポンスしてしまったのだ。引っ越しを機に、電話番号が変わってから魔の電話営業はパタリと止んだが、連中はまだあんな阿漕な「しのぎ」をやっているんだろうか。

相手が何者か分からないというのは、不安である一面、不安ではないケースもある。オイラの住んでいる家の目の前は、全長100m程の傾斜のきつい坂道が下りきった地点になっている。電動アシストチャリでも、軽く根をあげそうな傾斜である。人は坂道を上る時は、エネルギーを消費するせいか比較的大人しいが、坂道を下る時は、得てして人は元気になるのかもしれない。万古不易のエントロピーの法則。

その坂道には、実に様々な人が通る。正体不明の外国語を話す人、口喧嘩をする人、携帯電話でぼそぼそ話す人、坂道ダッシュで脚力を鍛える人。中でも時折、真夜中に大ノリで朗々と歌を吟ずる女性がいる。「吟じます!」と一言もなしに、いきなりクライマックスで高らかに放歌するのだ。この人は何者か一切不明だけど、不思議と不信感を持ったことがない。『世界感じのいい迷惑大賞』があったなら、上位入賞は間違いない。

声の感じだと20代位の印象だ。何の歌かは分からないが、一昔前の歌謡曲のような感じだ。それが物凄い声量なのだけど、悲しいかな鬼音痴なんである。それが素晴らしい。その声を聴くと思わず笑みが漏れてしまう。夜道が淋しくて不安なのか、歌が好きで仕方ないのか、深夜にしてはやけにエネルギッシュなのだ。一体どんな人なのか非常に興味が湧くのだけど、興味があるが故に、逆に正体を知るのが惜しくて、カーテン越しに覗いたことがない。もしかしたら経帷子を着た笑いの神様かもしれないし、歌うのが好きなだけの地縛霊だったりするかも知れない。

相手が何者か分からないということでいうと、一つ思い出したことがある。もう随分昔のことだ。以前住んでいたアパートで不思議なことがあった。前日大雨が降ったある日の早朝、玄関で物凄いノックの音がしたのである。「ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン」。なんてクレイジーな野郎だ……。その音で飛び起きて、ふらふら玄関に向かうと、パタリと音は唐突に途絶えた。眠い目をこすり、まだ少し頭が完全に起床状態じゃなかったオイラはそこで一瞬考えた。激しいノックの後の突然の沈黙。これは一体なんだろう。一拍置いてから、オイラはそこで恐る恐る玄関のドアを開けた。

すると、そこには誰もいない。誰もいなかったのだけど、外は雲ひとつない青空。グリーンガムを噛みながら、ジェットコースターで加速する時のような、失禁一歩手前の爽快な気分だった。そこでオイラは思ったのだ。あのドアを叩いた人は、最高のブルースカイをデリバリーする「ノックマン」だったんじゃないのかと。玄関先で深呼吸したオイラは、そこでしばらくゴキゲンな朝を満喫していたのだった。ノックマンの完璧なモーニングサービスに、オイラはノックアウトされたのだ。「サンキュー、ノックマン。キミはなかなか味なマネをするじゃないか」。

今でも、ノックマンはどこかにいるのかもしれない。ドアホンに応じない人がこのまま増え続ければ、ノックマンは元々住んでいたお伽話の国に帰ってしまうだろう。そういう時代なので、仕方がないといえば仕方がない。

オンガク猫団(挿絵:髙田 ナッツ)

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