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言葉の羅針盤【第9話】

目を閉じて、ある言葉に思いを巡らせていると
その言葉に蓄積された記憶や感情が湧き上がり、
あるはずのない景色が自分の内面に広がってゆくことがります。

また同じように、 一枚の写真を眺めていると、
その景色の向こう側から
言葉が迫ってくるということも。

気がつけば、僕は数々の「言葉」を頼りにしながら、
無味乾燥の日々を、彩りのある日常へと変えてき、
また、逆に美しい情景に助けられて、
そこから探し求めていた言葉を見つけることをしてきました。

僕の「note」の中でお届けしているコンテンツ、
「言の葉-kotonoha-」というのは、
僕にとっては言葉によって日常を支え、
写真のイメージから言葉を探し出すための大切な場所なんです。

今回は「言の葉-kotonoha-」に込めたおもいについて
お話をさせていただければと。

日頃の感謝をこめて、
今回は期間限定で、無料公開とさせていただきます。

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皆さんは「過去の自分の言葉」に
救われた経験がありますか?

僕は、今日までの人生の中で
過去の自分の言葉に触れては
何度も救われてきました。

数年前、日本で働いていた僕は、
お盆や年末で故郷に帰省すると、
その度に必ず「幼い頃の自分言葉」に触れるようにしていました。

社会を知らないけれども、
自分を信じ、未来の可能性に胸を高鳴らせる
幼き自分から学ぶことは数多くあります。

例えば、小学校時代の卒業文集。
まだワープロというものが一般的ではなかった時代。
当時は、生徒の直筆の原稿用紙をコピーしたものを
文集としてまとめて発行していたんです。

そんな文集をパラパラとめくりながら、
当時の自分を探すワクワク感。

不思議なことに、名前を見ずとも自分の書いた文字は
すぐに見つけられるものです。
当時の僕の文字は、教科書の活字を必死で真似たかのような
角ばった未熟な文字。

「早く元気になって、将来は親孝行をする」
「親に大きな家を建ててあげたい」

ぎこちない文字を使いながら、
そんな、幼い頃の「将来の夢」を
僕は文集の中で綴っていました。

今思えば、幼い頃の僕は、
常に病と向きあう日々の中で、不登校の時期などもありました。
両親の落ち込む表情を眺めては、息子として、
どうしたら家族を喜ばせてあげられるだろうかと、年不相応なことばかりを考えていたように思います。


また、高校時代の卒業文集にも助けられました。
当時の高校の文集は、各卒業生がが、
自分の大学受験合格までの道のりや
高校生活を語っていくという内容のものでした。

当時の文集も、直筆をコピーして編まれたもの。
高校を卒業する頃の、僕の文字はだいぶ変化して、
祖父から教えられた毛筆での書法に鍛えられた
確かな一点一画に支えられた文章とともに

「クリエイティブで世の中を楽しくしてゆきたい」

とその想いを綴っていました。

そのほかにも、若い時期の日記や手帳。
文通を重ねた手紙の数々。

故郷に帰省するたびに、
僕はそうした、過去の自分の言葉に触れながら、
何度も救われて、忘れかけていた何かを取り戻していました。

過去の自分の言葉を実家から持ち出すこともできましたが、
故郷でその言葉に触れることに意味があったようにも思います。


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故郷で、過去の自分の言葉に救われる経験があってから、
僕は日々の自分の記憶や感情を
日記やメモとして日々刻み続けるようになりました。

そうした「過去の自分の言葉」が
近い将来の自分が支えることがあるかもしれない。
そう感じたからです。

実はこの「note」で発信している
「言の葉-kotonoha-」というのは、
そうした、自分の過去の言葉の中から蘇らせたものなんです。

それはいつかの自分の日記で綴った言葉だったり、
ある時のお茶会の感想や、大切な人との時間の記録。
受験時や就職活動時に想いを綴ったものだったり。
病床の中で嘆いた言葉もあります。

そうした数々の時間の中で刻んできた言葉を
今の僕がたぐり寄せながら、拾い集めながら、
一枚の写真に添えて届けているものです。

「過去の自分」と「今の自分」が手を取り合い、
「未来の自分や誰か」を支えてゆく。

それが「言の葉-kotonoha-」です。


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すでにお気付きの方もいるかもしれませんが、
「言の葉-kotonoha-」で使用している写真は
どこにでも広がっていそうな自然の風景です。

写真の一つ一つは
日本の国内でもありそうですし、
どこかの国でもあるようにも見える。

皆さんにとって、とても身近な場所に広がっている
場所であるのかもしれません。

そんな何気ないモチーフを投稿し続けるのは
ある写真家との出逢いがきっかけでした。

いつかニューヨークのギャラリーで見た、
写真家の杉本博司さんの一枚の写真。
そこに表現されていたのはシンプルな
「モノクロの水平線」の景色でした。

どこまでも限りなく、
漆黒の海とグレーの空で抽象化された
まるで絵画のような写真。

現代の写真のように見えて、
まだこの世にカメラが存在していない、
はるか太古の時代に撮影した水平線のようにも見える。

誰にとっても身近な水平線に
どこまでも果てしない永遠の時間を感じたのでした。

人は時の流れとともに、
その考え方や価値観、使う言葉まで変わっていきます。
でも、その一方で、
いつの時代も変わらない光景というものもあるのだと
その写真を通じて知ることになったんですね。

そうした経験もあり、
「いつの時代も変わらなぬ景色」と
「変化し続ける言葉」によって、
そこに時や場所を越えた想いを
伝えられないかと考えたんです。

一見ありきたりの写真を選んでいるのように見えますが、
それは誰にとっても身近で、必要な場所でもあるのだと
僕は考えています。

その数々の写真から
みなさんに響くものがあるとすれば、
その多くの景色が、みなさんにとっての故郷に似た風景でもあり、
憧れの場所にもみえるからなのだと思います。

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過去の僕が綴ってきた言葉。
そして、時代を越えて変わらぬ雄大な景色。

その二つが重なり紡がれた先に、
未来を支える何かがあるのだと思いながら、
今日も「言の葉-kotonoha-」を投稿しています。

皆さんには、どのように
ここでの言葉が伝わっているでしょうか。

過去に感謝し、未来に希望を持ちながら
今日というこの一日を、
言葉と共に繋いでゆきます。


それでは、素敵な言葉との出会いを。


今回は、多くの方に「言の葉-kotonoha-」を見ていただき、
スキやフォローを頂いている感謝の想いを込めて、
特別に無料公開とさせていただきました。


いつもありがとうございます。

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遥かなる孤島。 そんな場所から、今日まで想いを伝え続けてきました。 僕が言葉を紡いでいく中で、大切にしていることがあります。 それは言葉を…

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