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ラモス瑠偉にお尻を蹴られた話。

#私だけかもしれないレア体験
というnoteのお題を元に書こうと思ったお話。


小学校三年生から始めたサッカー

その時住んでいた年季の入った木造アパートの暗い階段の所で、一番仲良かった友人に「サッカークラブに入ろうぜ!!」と誘われて始めた。

親にお願いして入団が決まった。取り合えず町の小さなスポーツショップに親と行き、3,000円の安いアシックスの白いスパイクを買ってもらった。今は様々な色があるサッカーのスパイクだが、この時代に白スパイクは珍しかった。

取り合えずスポーツ用っぽい短パンを家で探す。すると紺色で左腿部分にブルドックのプリントが入っていて、白いパイピングが施された短パンを発見。これでいいやん!!!とその短パンがサッカー用の練習着になった。

───── 自分で制作 ─────
かなり記憶に忠実に出来ております笑



その後判明したのだが、その短パンは

ト ラ ン ク ス  (下着)だった。

白ブリーフ(下着) on  トランクス(下着)= サッカーの練習


小学四年生になると、四年生大会など始まる事もあり本格的にサッカーの練習っぽくなっていく。



1993年 Jリーグ開幕

小学五年生の時に、日本初のプロサッカーリーグ  Jリーグが開幕した。カズ、ラモス、ジーコ、アルシンド、ビスマルク、シジマール、エドゥー、木村 和志、澤登 正朗、柱谷兄弟、福田 正博、井原 正巳、高木 琢也、など、数えきれない程のスター選手が躍動し、サッカー小僧だった俺はもちろん夢中になった。小遣いでサッカーマガジンを買っては、付いている選手ポスターを部屋に貼りまくってた。

30人程度でやっていた町のサッカークラブだったが、Jリーグ開幕するやいなや、100人以上が一気に入団。グラウンドはパンパン。

小学六年生になりスタメンを確保したが、150人中の11人に選ばれた感じ。



六年生の時の2つの強烈な思い出

六年生の時に試合とかとは別に、強烈な思い出に残っている出来事が2つある。

① SMAPを中心としたジャニーズサッカー大会 in 福岡ドーム
このテレビイベントに出演するサッカー少年の数十人に選ばれた。ジャニーズのサッカーの試合中に、グラウンドを子供達で囲みボール拾い役。ボールボーイというやつ。

ハーフタイムには、1人1個のサッカーボールを渡されて、グラウンド内をひたすらドリブルするというもの。カメラを向けられてコメントもなんかした。そう、俺はSMAPと一緒に仕事をしたことがあるのだ。(←誇大表現)

※調べたら出てきました。
1994年1月23日 
ワールド・サッカー・フェスタ王座決定戦 in 福岡ドーム
光GENJIチームとSMAPチームが対戦し、7対6でSMAPが勝利した。 同年2月20日にABCテレビとKBC九州朝日放送にて1時間15分番組で放送。

出典:ジャニーズ百科事典
https://jjpedia.web.fc2.com/un.html

光GENJI とも一緒に仕事をしていたのか俺.…(←誇大表現)


②ヴェルディ川崎  VS  サッカー少年達 in 福岡ドーム
94年当時、スター選手が多く所属していて一番人気のあったヴェルディ川崎。そのヴェルディ川崎とサッカー少年団が試合という超絶嬉しかったイベント。このイベントにもチーム内で5~6人ほど選出される中に選ばれた。

スタメン全員来ると思ってたのに、1軍選手で来たのはラモス瑠偉選手とスーパーサブとして人気があった藤吉 信次選手のみ。あとは知らない選手だった。

それでも「 ふぉ~~~ラモスや.…」「藤吉やぁぁぁあ!!!!」と興奮しまくり。そして試合へ。

もちろんプロ選手達からしたらお遊び中のお遊び。ラモス瑠偉にはプレーでおちょくられまくり。ミーハーモードから次第に本気モード(ムキになってるだけ)になる子供達。

中盤辺りでパスを貰った俺。

振り返るとそこにはラモス瑠偉。

ラモス瑠偉をドリブルで交わした俺!!!

前線にいるFWにスルーパス!!!


─────── こ の パ ス で 点 が 入 っ た ───────


やったぁぁああああ!!!!!!!って喜んでいると、ラモス瑠偉が後ろから来て、俺のお尻をインサイドで(優しく)蹴ってきた。こいつめ~みたいな感じで。

えへへ.…みたいなリアクションを取ったと思うが、凄く嬉しかった。

このイベントで得点を決めた子供には、ヴェルディの選手たちの直筆サインが入った色紙が貰えるということだったので、点を決めたヤツに『その色紙、コピーして頂戴ね(真顔)』と言って、しっかり貰った。


プロの選手だったら、ラモス瑠偉をドリブルで抜いた事がある選手は数多くいるだろう。しかし、ラモス瑠偉をドリブルで抜いてお尻を蹴られたのは、俺だけだと確信している。


あの時、日本の10番を背負って戦ってきた侍、熱い闘将 ラモス瑠偉に背中を押された(お尻を蹴られた)事によって、いままで何事にも諦めずに前に進めてこれたのかもしれない。



そして、お尻を蹴られたその日から俺は

Jリーグカレーを食べる様にした。



終わり


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