犯罪社会学の授業の感想 暴力の話

こんにちは。春ですね、今年はちゃんと勉強をミになるものにしたいです。

さて、先週から新学期が始まって、犯罪社会学の授業をとっているのですが、思った以上に衝撃でたくさん考えさせられたので、これを見ている素敵なあなたにも伝えたいと思ったのでここに残しておきたく存じます。

授業で「暴走都市 ボゴダ」というビデオの映像を視聴しました。
治安の悪い街を立て直すために、国立大学の教授が市長選に立候補し、まちを立て直していくという内容でした。時代は1994年。そのボゴダというまちはどれくらい危険かというと、毎日のように市民は反乱を起こし暴力的になり、警察も機能していないといったところでした。

その大学教授の名前はモックス。毎日暴動を起こす学生を黙らせようと思い、大学の講演会でとった行動はなんとびっくり自らズボンを脱ぎ、お尻を出したのです。もちろん辞職に追い込まれましたが、彼がそんな行動をとったのは、「人間は追い詰められ、侮辱を受け続け苦しいがゆえに他人を責める(正しいかわからないけど確かそんなニュアンスだった)。それならば、私が彼らの侮辱を受け止めればいい。」という意図があったのです。そこで、世間からのモックスの評価は鰻上りに。

見事当選したモックスは、その後ユニークな政策で町の立て直しを図りました。ピエロの格好をさせた警察官に交通整理をさせたり、ハロウィンパーティーの夜には例年より早めに閉めるよう店に直接呼びかけたりなどで、結果的に事故による死者、またアルコールによるトラブルを減少させたそうです。中でも私が印象に残ったのは、暴力に対する取り締まりで、こんな言葉が登場しました。

「人を叩くなら押した方がいい、押すなら侮辱した方がいい、侮辱するなら叫んだ方がいい、叫ぶなら話し合った方がいい。」この言葉で、問題が発生した際に、暴力で解決するのではなく話し合うことを求めたのです。
このように暴力のない社会を訴え続け、結果的には暴力による犯罪を減少させるだけでなく、暴力を振るわれた子供たちは自ら通報できるようになったといいます。

これは凄い、、、、、児童虐待の問題は日本でも深刻なので、日本の教育にもこれを取り入れた方がいいのではと思うほどです。近年よく「毒親」という言葉を耳にしますが、毒親についてのエッセイ漫画やブログなど読むと、「暴力を振るう自分の親が異常なことに気づかない」ケースが多く感じます。通報が親にばれないだろうかという気持ち、親の言うことは絶対という植え付けから、気づいても我慢するケースも少なくないのかもしれないが。

「家庭内の暴力はすべての暴力の源である」という言葉が授業で見たビデオにありました。かつて体罰は躾であると一般的に考えられてきた日本で、暴力のない社会を訴える声は乏しいものなのでしょうか。私は、家族のだれにも今まで暴力を受けたことがありません。暴力は虐待で、犯罪であると思っています。

他人がいるから自分がいる。暴力を見ているから暴力がある。
フィリピンのスラムでフィーディングに訪れた時、暴力を振るっている子を何度も見た。その時はひたすら「NO!」しか言えなかったけど、今年もし行くことができたら、
「人を叩くなら押した方がいい、押すなら侮辱した方がいい、侮辱するなら叫んだ方がいい、叫ぶなら話し合った方がいい。」
と諭せるようになりたい。小さなコミュニティでもいいから、体に痣を持つ人が少しでも減ると良い。

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