見出し画像

鳩のための教会【掌編】

退屈だ。礼拝堂の一番うしろの席で牧師の話す聖書解釈を聞きながら、鮎沢は下を向いてこっそりあくびをした。

この仕事を課長に振られたのが金曜日の昼だ。原稿を依頼していたライターが急に雲隠れしてしまい、雑誌に空いてしまった穴。火曜日の入稿に間に合わせるため、急遽当たり障りのないインタビュー記事をはめこむことになった。

それで、こんな日曜の朝から町外れの丘に建つ教会まで取材に来ているというわけなのだ。

前にちらほらと見える大人の信者たちと十数人の子供たちの後ろ髪をぼんやり眺めていると、ようやく話が終わった。

「はー、やっと終わったぜ! まったくいつもじーちゃんの話は長いんだからもー」

牧師にお辞儀をしてから勢いよく礼拝堂を出た男の子が、草っぱらに駆けてゆく。行儀よく入口の扉まで歩いてきた子供たちの表情も、何か有難い言葉を聴いたというよりも、定例イベントが終わって今から遊びの時間だという期待の色のほうが出ていた。

そうだよな、と思う。だって、もうすぐアラサーになる私でさえ途中で飽きてあくびしてしまったのだ。ましてや子供たちに今日の説教の何割が伝わったのだろうか。大人しく座って話を聞いているだけでも子供たちはすごいな。

「あなたが月刊雑誌の方ですか」
「はい、鮎沢と申します。本日はよろしくお願い致します」

礼拝堂の外で信者の人たちの波が落ち着くまで待っていると、牧師のほうから話しかけに来てくれた。

町を見下ろす丘には遮るものもなく、心地よい風の中はしゃぐ子供たちの姿がよく見えた。

「子供たち、楽しそうですね」
「そうですね」
「子どもたちは、牧師さんの話を聞いていたのでしょうかね」
「どうでしょう」

曖昧な返答に私はつい口を滑らせた。

「全然聞いてなかったりして」
「それでいいんですよ」

毒のある私の言葉とは裏腹に、牧師は静かに答える。

「わたしが毎週の日曜礼拝で何を言ったかなんて、覚えていなくていいんです」
「えっ、それじゃあ、この礼拝に何の意味があるんですか」

意外な返答に、礼拝の時間を内心退屈に思っていた私は思わず失礼な質問を重ねる。

「教会では毎週礼拝をやっている、ということさえ覚えていられたらいいんです」
「どういうことですか」
「鮎沢さん」

疑問を連発する私に、牧師の力強くも慈愛のある視線が重なる。

「いまの世の中には、未病を抱えている人があまりにも多いと思うんです」
「未病、というのは?」

「なんとなくだるいとか、気持ちが晴れないだとか、毎日に疲れているとか、こんな人生で良かったんだっけという閉塞感とか。心や体になにかしらの不調はあるのだけれど、人間ドックで全身検査しても何の異常もない。病院では至って健康ということで帰されるのだけど、どうもすっきりしない。こういう状態が未病です。実はキリスト教となんの関係もない東洋医学の言葉だそうですけどね」

牧師は続ける。

「わたしはね、本当はそういう大人たちにこそ礼拝に来てもらいたい。けれど、皆さん教会に行ってみようなんて思いもしないでしょう?」

確かに。私も課長に取材して来いと言われるまで教会に行こうと思い立ったことがないし、そもそも町外れの丘に教会があることすら忘れていた。

「心の中の選択肢にないんです。今更行ったことのない場所に行って、聞いたこともない爺の話を聞こうというのはなかなか難しいことですね」

牧師が、遠くで草原を駆け回る子供たちに目を細める。

「だから、子供たちなんです。いま礼拝ということを知っておけば、いずれ大人になって困ったときに思い出せる。何を話していたかなんて覚えていなくても、ただ日曜に礼拝に行っていたことさえ思い出してくれればいいんです。」

「でも、大人になっても礼拝に来ない子たちもいるのでは?」

「それでいいのです。なんでもそうかも知れませんけど、宗教なんて必要な人のもとに届けば十分です。それを必要としない人にまで無理に教えを説こうとは思いません。鮎沢さんは鳩の生態についてご存知ですか」
「いいえ」

「大きな駅に行くと、広場で鳩が地面をつついているのを見たことがあるでしょう。実はあれ、小石や砂を食べているんです」
「鳩って石食べるんですか!?」
「奇妙ですよね。でも実は、鳩って食べ物を丸呑みして胃に溜め込んでいて、飲み込んだ小石ですり潰して消化の助けにしているんです」
「そんな習性があったなんて……」

「宗教も同じようなものです。必要としない人からすればなんの為に教会に集まっているのか分からない。でも当人たちは、丸呑みしたまま心の奥にわだかまっている現実をどうにか消化するための小石を食べようとしているのです。」

「…………」

「だからね、鮎沢さん。わたしは取材を申し込まれたら基本的にお受けしています。鮎沢さんの雑誌の読者の中で、一人でもいいから、必要としている人のもとへ届けてもらいたいのです」

牧師の静謐な、しかし熱量のある言葉に、気づけば私は頷いていた。

課長は、どうして私にこの仕事を振ったのだろう。

帰路のバスのなかで牧師の言葉を文字に起こしながら、来週も小石を食べに行ってみようと思う私は、さながら伝書鳩のようだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?