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15日目〜向日市の物集女〜

例えば、自分の母が台所で料理を作っている光景。一般的な家庭で育った人であれば家の様子と共に母の姿を鮮明に思い浮かべられるだろう。そのとき視点はその空間で自分自身が最も慣れ親しんだ位置にある。母や家の雰囲気は、対象に抱く印象がそのまま再現されるに相違ない。

無意識の海に沈んだ数え切れない習慣的な経験が抽出された結果、心はある時点の明確な記憶もなく理想的な像を結ぶ。この種のイメージは、例えば昨日起きた具体的な出来事を思い返すときに再生される一つのはっきりとした記憶とは全く異なる。後者は、ありふれた日常や習慣として処理される前の生々しい現実的な像なのである。

このような対比において、習慣的な経験を基にしたイメージは、ある意味でその明確な記憶が意識から失われているとも言えるだろう。そして、京都滞在の折り返し地点に未だ到達していないこの日のはじまりを思い返そうとすると、私はその後においても習慣化された理想としての像を見出すに至る。それは次のような情景である。

パンの焼ける匂いと共に、トースターのタイマーが鳴らす跳ねるような音が寝床まで届く。厚いカーテンは窓外の明かりを薄く漏らしている。食卓のランプがカチリと音を立ててガラス越しにぼんやりと光る。つづいて、スプーンでパンの表面にクリームを塗る乾いた音が響いて来る。次第に自分も起き上がってパンを食べたいと思う。しかし、悪魔的な温もりが自分を布団の中に強く引き留める。この低級な葛藤でパンが勝利を収めたことはない。大抵私は半身だけで起き上がり、襖のような部屋の仕切りをちょいと開けて「これから配達に行くの?」と居間でパンを頬張るK君に尋ねるのである。

果たして、この心象は現実的な意味で記憶と呼べるのだろうか。私は上記のような経験を習慣として何度も繰り返した。そしてそれは一つに集約されて理想化されている。その理想としてのイメージが、忘れられた空白を埋めるように一日のはじまりを彩るのである。しかしこの後つづく記述はまさしく一回限りの記憶を基にしている。

K君が配達で出払ってからしばらくすると、私は正午に朝食を済ませてから簡単な弁当を用意した。昨夜炊いた米で握った二つのおにぎりと半額で購入した賞味期限切れの鳥の唐揚げである。

「K君がいない間にどこかへ出掛けちゃうかも知れない」と昨日蟄居した自分は彼にそれとなく伝えていたのだ。連日暗い部屋に籠り続けていたため、今日こそは昼間から外出しなければならないと次第に決意を固めていった。

「昨晩K君は数日熟考した末に電子ピアノを注文し、それに見合う稼ぎを求めていま積極的に身体を動かしている。精神と肉体の実に健全な働きではないか。だからもし、昼まで寝転んでいた自分が、そのまま薄暗い部屋でじっと座って彼を迎えたとしたら」と待ち受ける自責の苦しみを想像した結果、私は駆り立てられるようにおにぎりを握り始めたのである。

弁当を持ってすぐに外へ出た私は自転車に跨り、京都市の南西に隣接する向日(むこう)市へと向かった。京都市と向日市の境界に位置する桂川駅に着くまでのおよそ一時間、私は終始ラジオと音楽を聞いていた。それらが誰の番組でどのような楽曲だったのか鮮明に覚えている。ゆえに、ここでその具体的な内容と感想を記述しようとしたがどうしても気が乗らない。倫理的あるいは美的な感覚が独りでに働いて制止してしまうのである。

そのラジオの代わりに小林秀雄か三島由紀夫の講演録音を流し、バッハやモーツァルトの音楽でも聴いていれば幾分か様になっていたのだろう。自分のわがままな内なる感覚もそのときの詳細な記述を容易く許してくれたであろう。村上春樹の世界であれば常に最適なラジオと完璧な音楽が流れてくるが、あいにく私の世界に上品な喫茶店の洒落たマスターはいないようである。自分は番宣だらけのラジオとアマチュアの未完成なエレクトーン演奏を繰り返し聞きながら、二条、西院、西大路、桂川と順に自転車で南下して行った。

桂川に架かる久世橋を渡ると、横断歩道の一切ない大きな交差点に出る。明確な目的地は定めていない。歩道橋を見上げると、直進方向に「物集女」という、イメージを生起させる力を持った三文字が目に映る。右方も左方も知っている地名である。「何て読むのだろう?」そういう好奇心が自分を直進させた。

東海道新幹線の高架下を通り、桂川駅の真下でJR京都線を横断する地下道を抜ける。すると百均で売られてそうな合成樹脂のボックスをそのまま巨大化させたような極めて人工的な建物が眼前に現れる。地方都市に必ず一つは築城され、モータリゼーションと手を取り全国の地域商店街を食い散らした悪名高いショッピングモールである。マルクス並びにマルクス主義者は、経済発展の力によって誕生したこの巨大な箱を見て何を思うのだろうか。自分は絶対に買い物などしないものの、ショッピングモールを見かけると気分が高まり否応なく吸い寄せられてしまう。この日は自然ここで昼食を取ることとなった。

フードコートのテーブルに座り、握ってきたおにぎりと賞味期限切れの唐揚げを交互に食べる。持参した水筒代わりのペットボトルに注いだ水で喉を潤す。隣の席でハンバーガーとポテトをドリンクで流し込む人たちが目に入る。向かいのマクドナルドは長蛇の列だ。そこに赤い服を着た女の子が最後尾に加わる。自分は唐揚げの入ったプラスチック容器に貼り付けられた半額の赤いシールを隠すように剥がした。この場で食事する人々に少しでも溶け込もうとする健気な努力である。

この昼食の場面を読んだ友人知人はどう思うだろうとふいに思う。ある程度、私に理解のある人でさえ「はしたないし哀れだ」そう内心で思うかも知れない。それは、私と同じ立場に彼ら自身を置くから生まれる感想だろう。私はこの場面において、行動する自分と意識する自分とを同一視していない。確かに、人目を気にしている様子はある。しかし、それは私が自分自身を卑下しているのではなく、周囲にそう思われる可能性を考慮した結果の行動なのである。行為は他者に依存しているが、意識は超越を保とうと努めている。この場面とその説明を記述するのが実に苦痛で仕方がないのは、私の内面と他者の投影とが完全に分離しているからである。

食事を終えるとその席で少しゲームをやってから何処へ行こうかと地図を見る。まずは向日市北西部の丘陵地帯に群生する竹林を見に行こうと決めて、その後南下して向日神社、長岡天満宮、さらには大阪府枚方市の手前にある石清水八幡宮まで行きたいと考えた。

フードコートを離れてショッピングモール内を散策する。完璧主義のきらいがある自分は出来る限りあらゆる場所を見て回ろうとしてしまう。結果、午後二時前に着いて、一時間以上もここに引き留められてしまった。

来た道を真っ直ぐに進むと緩やかに勾配が増していき丘陵地に着いたことがわかる。そしてここが「物集女(もずめ)町」という地域なのである。適当なところで左に折れて竹林を目指す。ショッピングモールから十分ほど漕いで人気のない急な坂道に出た。細い道路の両脇は先が見通せないほど竹林で埋め尽くされている。自転車を降りて竹の根が剥き出しになった切り通しを登り切ると、自分がこの竹林地帯の裏口のようなところから登ったということがわかった。尾根にあたる部分が全て綺麗な竹垣で整備されていたのだ。全長にして二キロ近くは竹垣がつづいていただろう。そのすぐ横に隙間なく竹が生えているから、見ていて実に気持ちのいい風景だった。

竹垣の間を自転車で移動しているとき、歩いている人は一人も見かけなかった。群衆に押し流されるだけの嵐山の竹林の小径より間違いなく良いと思った。地図を見ると自分が丘陵地を登った反対側に庭園付きの資料館があるので寄ることにした。無料という二文字を発見したからである。

中はだいぶひっそりしていた。田舎の寂れた小さな図書館を思わせる薄暗さだった。竹材の工芸品を収めたガラスケースの縁の金属がいやに光を反射させる。眼鏡を掛けた高齢の女性が受付で立ち上がり、「いらっしゃいませ。ここにお名前をお願いします」と置かれた用紙を指し示した。来訪者が上から順に住所と共に記名していくようだ。一行だけ“Germany ”の横にドイツ人の名が記載されていた。どうやら一人しか訪問していないようだ。半袖半ズボンで汗を拭う男がペンを手にもたついていたからか「どこからいらっしゃいましたか」と彼女は尋ねた。自分の家ではないから一瞬迷ったが「上京区です」と答えた。「では、上京区とお書き頂ければ大丈夫です」と言われたので黙って従う。「今日はドイツ人ひとりしか来ていないんですか」本当はそう聞きたかったが、羽虫の音さえ響きそうな静けさの中で余計な言葉はついに出てこなかった。女性にパンフレットを渡され庭園の説明を硬直した表情で聞く。彼女は目の前でだんまりする男をさぞ不気味に思ったことだろう。

庭園は相当な種類の竹が植わっていた。中でも目を引くのが金明孟宗竹(キンメイモウソウチク)と亀甲竹(キッコウチク)の二種である。私はどちらも初めて見た。金明孟宗竹は黄金色の稈に緑色の縦縞が交互に出現しており、一部の県では天然記念物に指定されている。亀甲竹は竹稈下方部の節間が亀の甲羅のように膨れ、竹材は京都府で伝統工芸品に指定されている。これらを写真に収めてK君に見せてあげようと思った。丁寧に見物したかったが、ここで時間を潰しては長岡天満宮や石清水八幡宮には行けなくなる。私は焦る気持ちで小走りに庭園を回った。

この日の夜、帰宅後K君に「この竹を見たことあるかい」と金明孟宗竹と亀甲竹の写真を見せた。「見たことないね」と何の驚きもなく答えるので、「これ見てよ、金色の竹に緑の縦縞が交互に出てるでしょ」と写真を拡大して再び見せる。「いや、緑の縦縞なんて見えないよ」と訳の分からないことを言う彼にもう一度見せてもやはり駄目だった。つづけて亀甲竹の写真を見せたが「全く亀の甲羅には見えないな」と笑いながら頑なに認めなかった。不機嫌でもないK君は何の契機もなく唐突に白を黒と言い張るようになってしまった。この出来事は京都滞在に起きた数少ない謎として未だ解決されていない。

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