平等と公平と不満と。
#20240222-361
2024年2月22日(水)
「ママママ、それでね、私だけ1個しかもらえなかったからズルイっていったらさ、〇〇がスッゴク嫌そうに、投げてきてね。ね、投げるのはよくないでしょ。そうしたらさ」
居間のフローリングに正座したのは間違いだった。
せめてホットカーペットの上にすればよかった。
後悔、先に立たず。
私の膝の上に乗ったノコ(娘小4)はずしりと重い。ノコの話はまだ終わりそうもない。そろそろ床に接した足首の骨が痛くなってきた。
抱き合うように私の膝に乗ったまま、ノコは学校であった嫌なことの数々を私の耳元で話す。やたら話が飛ぶし、言葉足らずなため脳内で補足せねばならない。
ノコは非常に「平等」であることを望む。
まだ「公平」という考えがわからないのか、受け入れたくないのか、何がなんでも「皆、同じであるべき」といい張る。
もちろん今回の件――学活の授業として開催された誕生日会は、ノコの話を聞く限り、平等であるべきだと私も思う。児童が各自プレゼントを贈りたい相手に手渡すという不平等になりうる形をなぜ担任教諭が取ったのか、理解し難い。ただノコの説明しか聞いていないため、決めつけることはできない。
誕生月にあたる児童たちが2個プレゼントを受け取っているなか、ノコは1個しかもらえなかったという。
それがクラスメイトのノコに対する想いなのかもしれないが、そこでしょんぼりと泣き寝入りしないのがノコだ。
悲しい、淋しい、私だけ違うという孤独感を「ズルイ」といってしまう。
教室でしくしく泣きだしても「面倒なヤツ」と思われかねないが、「もう1個寄越せ」というのも同じになる。
別に、そんなこと、どうだっていいじゃないか――では、ないのだ。
「そんなふうに渡されたらさ、もらわないと同じだよ。私は間違ったこといってないのに、どうしてみんなに睨まれたり、嫌な顔されなきゃいけないわけ!」
ノコは怒りがこみあげてきたのか、膝の上に座ったままどんどんと足を踏み鳴らす。足首が痛い。
「そっかぁ…… それは悲しかったねぇ。でも、もう1つもらえてよかったね」
「でも、投げた」
「せっかく渡すんだったら、投げてほしくなかったねぇ」
強く抱きついてくるノコの背をやさしくなでながら、私はノコが落ち着くまで繰り返す。
「ほかにもね、みんなでお楽しみのゲームをすることになっていたのに、△△がうるさくしたからできなくなった。あともう1回はできたはずなのに。ちっともいいことなかった」
今日はずいぶん学校で嫌なことや我慢したことがあったようだ。
ノコが抱えて帰ってきた重い感情をひとつひとつほぐさないと、宿題に取り掛かることはできない。
遠回りに見えても抱き締めながらノコの話を聞くことが肝心。
もし聞かずに宿題を促すと、途中で癇癪を起こしてしまう。
もしくは不機嫌が長引く。
「でもさ、ズルイっていったら、パパもズルイし」
いきなりむーくん(夫)に飛び火した。
「パパがなんでズルイの?」
「だって、パパのほうがおやつ多いじゃん」
クラスでも小柄なノコと成人男性でも大柄なむーくんのお菓子の量が同じというのは、確かに平等ではないが、公平ではある。何よりむーくんはお菓子を多めに食べたとしても食事もしっかり食べる。食事がおろそかになるノコとは違う。
「そりゃ、パパとあなたは同じじゃないわよ。まず体の大きさが違う。そして、パパはおやつを食べてもご飯もちゃーんと全部食べるしね」
ぎゅうと強くノコを抱きしめて、その耳元にささやく。
「ノコさんもご飯を全部食べられるようになったら、おやつが増えるかも、ね!」
ノコのお尻を軽く叩いて、立たせる。
もう……ママの足首は限界!
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