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現在進行形のことを書く不安。

#20231229-329

2023年12月29日(金)
 今、「くもをさがす」を読んでいる。

 私は、自分でがんのことを調べるのが怖かった。ネガティブな情報に当たってしまうのが嫌だったのだ。実際、がん闘病のブログなどは読まない方がいいと言われていた。途中で更新が途絶えているものがあるからだ。

西 加奈子「くもをさがす」(河出書房新社)

 ページをめくる私の手が止まった。
 がん闘病記子育て日記を同じとするのは違うのではないか、といわれそうだが、「先が見えない」点が通ずると思った。
 未来が見える人はいないのだから、どんな日記であれ、現在進行形のものはすべて同類ともいえる。そんななかでも、病や子育ては自分自身の努力でどうこうならない部分が大きいように見える。
 まぁ、自分のことでも努力が実らないことはある。
 半世紀生きたのだ。それはよく知っている。

 過ぎてしまえば、すぐ忘れてしまう。
 だから、書き残しておいて、ノコ(娘小4)が落ち着いたらーー落ち着くっていつだ?ーーもしくは成人した頃にまとめればいいのかもしれない。いやいや、成人したからといって落ち着くとは限らない。母は、未だに50歳を過ぎた私のことを心配している。親にとって子どもは、いくつになっても子どもなのだろう。

 ほぼ連日noteに投稿しているが、予定や体調によってかなり厳しい日がある。
 そういうときのために記事を何本かストックしておきたい。実際そうしたこともあるが、書き置いた記事は鮮度が落ちてしまい、読み返すと投稿する気が失せる。
 数日前でもそうなのだ。
 年単位で書きためて、まとめることなんてできるのだろうか。

 現在進行形の文章を残すことには、この先どうなるかわからない不安はある。
 がん闘病記ならば、その後も人生が続くのか。
 子育て日記ならば、子どもが健やかに育っていくのか。
 我が家のような里親家庭ならば、不調にならず一緒に暮らしていけるのか。 
 だが、そこには後で振り返って書くものとは異なる「生々しさ」もあって、それが「今」を書く魅力なのだと思う。

 時が経てば、状況も変わる。
 社会情勢、教育環境、里子に関する法律などなど。
 今のことを書くからこそ、どこかの誰かの役に立つかもしれない。そういう思いもある。

 私の地域での話ではあるが、私たち夫婦が里親登録をした当時は、共働きの里親はいなかった。家庭と縁遠く育った子どもたちを養育するのだから、里親がしっかりついているべきだという雰囲気があった。里親は、そこが施設とは違うのだから。
 はっきりと言葉にして児童相談所からいわれたわけではないが、里母が仕事をしていると里子の紹介が来ないらしいという話も耳にした。
 それがつい5年前だ。
 今や共働きの里親家庭もあるし、保育園に通う里子もいる。里親登録をしたからといって里母は仕事を辞めない。
 たかが5年、されど5年なのだ。
 長く里親をされた大先輩の体験談は大変勉強になる。おそらく子育て、里子育ての根っこといえるところは変わっていないのだろう。だが、枝や葉のような小さなところは変わっていく。
 教育にしても、私が子どもの頃は学校に行けない子どもたちを「登校拒否」と呼んでいたが、今や「不登校」となり、その数もぐっと増えている。いずれ学ぶ場は学校だけではなくなっていくだろう。
 学ぶ形が変わりつつある。

 「今」を「今」、書き残す意味はきっとあると思っている。
 だから、未来に不安はあるけれど、あがく「今」を残そうと私は今日も書く。
 特に子育てなんて、何をもって結果といえるかさえわからないのだ。
 いい人生、悪い人生なんて、息絶える瞬間までわからない。
 どっちみちそうなのだ。
 「今」を「今」書くことくらい、よく考えたらなんてことない。

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