#20240109-339
2024年1月9日(火)
久し振りに実家に足を踏み入れた。
コロナ禍に入ってから帰省していないので、4年振りか。片道1時間と遠くはないのだが、両親も高齢なので控えていた。
今のところ、ノコ(娘小4)のクラスは無事だが、新型コロナウイルスやインフルエンザで学級閉鎖になっているクラスもあるので発症はしていなくても感染している可能性はゼロではない。
決して流行が落ち着いたとはいえないが、次第に「いつまで」なのかが難しくなってきた。
両親が年始の挨拶に訪問することを渋らなかったので、もう行っちゃう。
高齢の両親だけでなく、年齢問わず、いつ何時何があるのかわからない。
会えるときに会っておく。
私自身は大きな被害にあったわけではないが、東日本大震災をはじめ、4年前の新型コロナウイルスの流行などを通してそう思うようになった。
母は料理がうまいと思う。
加減がうまく、煮加減、焼き加減がちょうどよい。
私は母に料理を習ったことがない。結婚を機に実家を出て、はじめて料理を作るようになった。
料理する母の横でその日あった出来事を喋るのが好きだったので、下処理や野菜の切り方は目で覚えた。
成人してからは自分の弁当は作るようになったが、量は求めないし、1日のうち1食がワンパターンでも気にしない質なので、ご飯に卵焼きにウインナーを焼けば出来上がり。たまに母が夕飯の残りを寄付してくれれば、それを詰めるだけ。
それで十分だった。
母に教えを請うたこともある。
「適当よ」
その度に母は首を振って笑った。
「いちいち計らないから、教えてっていわれても教えられないわよ」
私の料理は、料理本やTVの料理番組、インターネットで見付けたレシピでできている。
母から受け継いだ料理はない。
ーー母の味。
それがずっとわからなかった。
よく「おふくろの味」だのいうが、浮かばない。
4年振りの帰省は、ノコの始業式の後だったため15時になった。
翌日も学校があるため、長居しないことは告げてあった。
それでも母は夕食を用意していた。
「ここで食べてもいいし、詰めてあげるから持って帰ってもいいし、好きになさい」
顔を見ての母とのお喋りは尽きない。
皺が深くなった父はおだやかな笑みを浮かべて、ノコの「絵しりとり」につきあっている。
時計の針があっという間に進み、腰を上げるタイミングを逃してしまった。
「食べていくことにする」
私がそういうと、母は手早くお味噌汁を作り、料理をテーブルに並べていった。
「これはパパね。これはノコちゃん」
手にしたお盆に母はお椀をのせながら、私に告げる。
今や自分が作り手なので、こうやって配膳を手伝う役目なのがこそばゆい。
たこ飯にナメコと豆腐の味噌汁。
ミートボール。
トマトときゅうりとタコのカルパッチョ風サラダ。
並んだ料理を口に運んだ途端、笑ってしまった。
おいしい。
心底おいしい。
だけど、なぁんもない。
新鮮さも懐かしさもない。
まるで飲み慣れた水のようだ。
私の体はほぼこの味で構成されているのだと思った。
抵抗ひとつなく馴染んでしまい、当たり前のように私の体に溶けていく。
一番近い言葉はなんだろう。
ーー染み渡る、だろうか。
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