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ネガティブでも死なない

こんにちは。不可逆です。一応いまのところ毎日投稿という感じでやっているのですが、昨日は海へ遊びに行って、帰宅してそのまま寝てしまいました。10時間くらい眠ったので今日はすごく頭が冴えわたっています。

今日は「ネガティブ」さについて書いてみたいと思います。自分がネガティブであることに悩んでいる人はいませんか? しかしそれは本当は悪いことではないかもしれません。




ネガティブ・ケイパビリティ

みなさんは自分のことをポジティブだと思いますか、それともネガティブだと思いますか。

ネガティブは日本語だと消極的と訳されます。どちらかというと、よくないこと、直した方がいいことだと捉えられがちですよね。

でも、ネガティブなことは必ずしも悪いことではないと私は思っています。それどころか、消極性を軽視しすぎるべきではないとさえ思っているのです。

ネガティブ・ケイパビリティという言葉をご存知でしょうか。若くして亡くなったイギリスの詩人、ジョン・キーツが使ったことから広まった言葉です。

ネガティブ・ケイパビリティ——日本語にすると「消極的な能力」——とはいったいなんなのでしょうか。


わたしが思うに、それはたとえば、なにか摩訶不思議な謎に直面していて、その謎の答えが入った箱を差し出されたとき、その箱を開けずにいられる能力です。

ふつう社会で求められがちな積極的な能力とは、こういう場面で問題解決のために迅速に箱を開けに行けるような能力をいうのでしょう。

しかし例えば、その箱の中に書かれている答えが嘘かもしれません。こういうとき、誰か一人くらいは「ちょっと待って、結論を急がないほうがいい」と止める人が必要ではないでしょうか。

集団が一致団結して答えへと突き進もうとすると、誰もその選択が間違っていることに気づかないことがあります。そういうとき、勢いに流されてしまうのではなく、選べないことを最後まで「選べない」と言い続けること。ネガティブ・ケイパビリティの資質をもつ人とは、そういう人ではないかと思います。


「切断できない」という優しさ

積極性と消極性を隔てているものなのはなんなのでしょうか。

それはおそらく、「切断」が得意かそうでないか、という違いではないかと思います。

例えば、なにかを選ぶということは、他の選択肢を切断するということです。積極的な人は、選択肢の中からどれかひとつを選び、他の可能性を切断するということに抵抗がなく、容易に行えてしまうのです。

しかし消極的な人は、選択肢を切断して可能性を狭めるということが苦手です。決断することや、なにかを確定させることは、常に切断を伴います。作品を完成させるときも、切断ができないといつまでたっても細部が気になって修正を繰り返してしまいます。

こう書くと、切断できないことが悪いことばかりのように思えるかもしれませんが、そうではありません。

例えば、誰もが若い頃に抱く疑問というものがあると思います。例えば「人はなぜ生まれるのか」とか、「私が生きる理由はなんなのだろう」といった問いです。多くの人間は、大人になるにつれてこうした疑問について考えることをやめてしまいます。つまり、答えの出ない問題を切断することで、そういうことを気にせずに生きていけるようにできているのです。

しかし切断が苦手な人は、こうした答えの出ない問題に向き合い続けることができます。簡単に答えが出たことにせず、「問い」を切断せずにじっくりと向き合うという能力は、現代で要求されがちな迅速な処理能力とは正反対の資質ではないでしょうか。

切断できないことは、優しさにも似ていると思います。それはどんな些細な意見やわずかな可能性も無視することができない、ということでもあると思うからです。

自身も詩人であるジョン・キーツは、ネガティブ・ケイパビリティを文学などの分野で功績を残す人物が共通して持っている能力だと言っています。エドガー・アラン・ポーやシェイクスピアもこの能力を持っていたそうです。

詩や文学の分野では、急いで答えを出すことよりも、様々な可能性を切断することなく考え続けることのほうが重要な資質であるというのは、言われてみると納得ですね。


認知が歪んでいるのとネガティブは違う

ここで注意しておきたいのが、悲観的なのと消極的なのは違うということです。

よくあるケースとして、他人が何の気なしに言った言葉を「自分が責められている」と曲解してしまうような、過剰に被害者意識の強い人のことを指してネガティブだと言ったりしますが、これはネガティブなのではなく認知が歪んでいるだけです。

「マイナス思考」も消極性とは別物だと思います。マイナス思考はリターンよりもリスクを過大評価してしまう思考パターンで、これも認知の歪みのひとつです。

不安を感じやすいとか、繊細で傷つきやすいとか、そういったこともおそらくネガティブ・ケイパビリティとは関係ありません。

さきほど、ネガティブ・ケイパビリティは切断できないことだと述べましたが、言い換えればそれな「優柔不断さ」です。

おそらく99%正しいだろう、という局面であっても、残りの1%でも間違っている可能性があるのなら、その可能性を切り捨てることができない。そういう消極性こそがネガティブ・ケイパビリティではないでしょうか。


探偵と詩人

目の前に謎があるとき、あなたはどうしますか。

謎を積極的に解き明かそうとする生き方と、謎を謎のまま残しておきたいと考える生き方のふたつがあります。それは探偵の生き方と詩人の生き方です。

一番よくないのは、謎に直面したとき、それを自分の中で勝手に解釈してストーリーを作り上げてしまうことです。しかし、それが多くの人々が謎に直面したときにとる行動でもあります。それはポジティブでもネガティブでもなく、自分の知っていることの範疇でしか物事を考えられないだけです。

謎を謎のまま持ち続けるというネガティブな能力を発揮するのは実はすごく難しいことです。それはポジティブな能力を発揮するのと同じくらい難しいのです。

探偵になるか、詩人になるか、どちらに近い生き方を選ぶのかというのも考えてみてもいいかもしれません。ポジティブとネガティブ、正反対ではあるけれど、それらはどちらも、自分に都合のよい解釈で世界を見るのではなく、現実にしっかりと向き合うという生き方なのです。

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