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髪を切るのが苦手

 物心ついた頃から、髪を切る(正確には、髪を切られる)のがとても苦手だ。
 どのくらい苦手かと言うと、髪が伸びて邪魔になってきてそろそろ髪を切らなくてはいけないと考えるだけで憂鬱になり、ぎりぎりまで髪を切るのを引き延ばすから髪はいつも伸びすぎてしまい、いざ覚悟を決めても美容室の前まで来て「やっぱり気が乗らないから」と引き返してしまうこともあるくらいだ。
 最近では、美容室に行くのが嫌すぎて、毎回恋人や奥さんに切ってもらっている。最後に美容室に行ったのは何年前だったっけな……。
 どうしてそんなに髪を切られるのが苦手なのだろう?
 よく自分でも考えるのだが、どうやら理由はひとつではなくいくつも重なり合っているらしい。

1.じっとしているのが苦手
2.できあがりが自分でイメージできないのが苦手
3.他人に触られるのが苦手
4.されるがままになるしかないのが苦手
5.「かっこよくなろう」という意識が苦手

 ちょっと挙げるだけでこんなに苦手な理由がある。しかも、どれもが結構根深いコンプレックスに直結している。我ながらなんてめんどくさい性格をしているんだろう。
 ひとつめは、いかにもADHD傾向のある僕らしい理由だ。そういえば小学校の頃は、父に髪を切られていたのだが、「じっとしていろ!」と叱られて、泣きながら切られていた。そのトラウマが残っているのかもしれない。髪を切られている間の30分とか1時間、頭を動かさずにじっとしているのが苦痛でたまらない。
 ふたつめの「できあがりがイメージできない」も、僕自身の脳の特性が関係していそうだ。とにかく3D(立体)でものをイメージするのが苦手で、想像しようとするだけで脳の負担になるので、最初から諦めてしまう。鏡で前とうしろだけ見せられて「これでよろしいですか?」なんて聞かれても、わかるわけがない。おまけに、髪を切られている間はめがねを外しているので、確認される一瞬以外は自分が切られている様子はぼやけて何も見えていない。一瞬だけでどうか判断しろ、と迫られているように感じてしまい、全然わかってないのに「こんな感じでOK」ですと答えてしまう。そんな自分にもなんとなく嫌気がさして余計に憂鬱になったりもする。
 みっつめ、さわられるのが苦手なのは自意識が過剰なゆえだろうか。髪を切られるだけでなく、親しくない人にさわられること全般が苦手。マッサージも、病院も、フォークダンスも苦手だ。行ったことないけど、たぶん風俗も耐えられないと思う。嫌悪感、というよりも恐怖感に近い気がする。傷つけられるのではないか、と妄想して身構えてしまう。これはよっつめにも共通する意識。自分の頭のすぐそこで鋭いはさみが動いているなんて!! 妄想力たくましい僕は、美容師さんが突然猟奇殺人鬼に変身してはさみを僕の首にすっと当てる……などというのを想像してしまう。(ちなみにそのときにイメージする殺人鬼の姿は映画のシザーハンズだ。確かあれは優しい主人公だったと思うが、あの鋭そうなはさみのビジュアルが恐ろしすぎた)
 そしてもうひとつ。根深いコンプレックスなのがいつつめだ。「おしゃれがしたい~容姿コンプレックスを超えて~」という記事でも言及したが、僕は思春期以降かなり長いこと、「かっこよくなろうとすることへの恐怖」に悩まされていた。僕のことを好きだと言ってくれる人が増えて、そういう気持ちはかなり小さくなってきたのだが、髪を切る、というわかりやすい容姿の変化に接したときにかつてのコンプレックスがまた首をもたげてくるようだ。美容師さんに「今日はどうしますか?」と聞かれるのも恐怖だ。「雑誌の誰々みたいにしてください」だなんて、言えるわけもない。かといって立体的な髪の形の具体的なイメージはまったくできない。なのでいつももごもごと「か、髪の毛が目にかからないくらいの長さで……」などと髪型の指示とはとても言えないようなことを言ってしまう。重ねて「耳は、出すようにしますか?」と聞かれたりしてもどんな髪型かさっぱりわからないから「じゃ、じゃあそれで」としか言えないのだ。
 これだけの「苦手な理由」が即座に浮かぶくらいだから、僕が髪を切るのが苦手じゃなくなる日は、とうぶん来ないようだ。もう、髪の毛のことはなるべく考えず、知らぬ間に勝手に短くなっていてほしい。

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