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KAYO

 インターネットってのは本当に便利だ。
 だって、あたしみたいな人間でも友達を作ることができるんだから。

 あたしは自分のブログを持っている。開設してそろそろ一年になる。
 そのブログであたしは、毎日欠かさずに日記を更新してる。
 日記といっても、その日に実際にあったことを書き込んでるわけじゃない。登校拒否で引きこもりの女子高生の日常なんて、何にも面白くなんてないから。
 だからあたしが書く日記は、架空の日常だ。
 ネット上でのあたしは、冴えない引きこもり女子高生の斉藤加世子なんかじゃなくて、友達も多くて、軽音部でバンドを組んでヴォーカルやってたり、それからイッコ上のかっこいい先輩に片想いしてたりする、明るくて活発な女子高生KAYOだった。
 実際には狭くて薄暗い自分の部屋から一歩も出ないまま、あたしは「明るくて活発な」女子高生の生活を想像しては、「日記」としてブログに書き込み続けている。

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タイトル:恋愛相談 2005/11/17 22:31

今日は、友達から恋愛相談を受けてしまったー(>0<)
恋愛の相談なんてされても、あたしにも全然経験なんてないし、
困っちゃうよ~(汗)。
でも、友達はすっごい本気みたいだし、ぜひ応援してあげたいと思うのです☆

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タイトル:部活でけんか(泣) 2005/11/25 21:17

今日はバンドのギターの子と、けんかしました。
音楽性の違いっていうかね。
あの子のやりたい音楽と、あたしのやりたいのとは少しだけ違ってるみたい。
あたしはどうしたらいいんだろ。
早く仲直りしたいよ。
とりあえず明日会って、謝ろうと思います。

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タイトル:センパイと目が合っちゃった! 2005/11/30 23:02

前にも言ってた、Sセンパイ!
今日はセンパイのバンドのライブだったんです!!いえー!
やっぱりセンパイの歌むちゃくちゃカッコイー!!!
そんで、センパイがステージの上で、こっち向いてくれました!
絶対目が合った!気のせいじゃないよね!ないよね!たぶん・・・。
とにかく、今日はいい日なのです!

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 こんな、他愛もない日々の出来事。
 現実のあたしには望むべくもない遠い世界の話だけど、ネットの上でなら、あたしは普通の女子高生でいられた。
 ネット上でのKAYOは、現実のあたしと違って社交的だった。積極的に他のサイトを回ってリンクを増やしたり、掲示板の書き込みにレスをつけたりしていたから、ブログのアクセス数も徐々に増えていって、定期的に見に来てくれる人もできた。
 あたしを、というよりKAYOをだけど、友達だといってくれる人さえいた。
 ネットの上でだけ、あたしは自分の居場所を見つけることができたんだ。

 2

 あたしがカケルと知り合ったのは、暇つぶしに参加したチャットでだった。
 「10代限定交流チャット」と題したそのチャットで、中高生特有の軽い、他愛も無いおしゃべりが繰り広げられている中で、カケルの書き込みはひどく素っ気無かった。

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KAYO>今日、友達とけんかしちゃって、すっごくショック。仲直りできるかなぁ。(2005/12/03 22:18)
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カケル>できなければ、その友情はその程度だったんだよ。>KAYO(2005/12/03 22:19)
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 他の子はみんな、「大変だね、頑張って!」とか書き込んでたから、カケルのその発言はかなり目立っていた。でもあたしは、うわべだけで励ましあうような、そんな付き合いにちょっとうんざりしてたから、カケルのその態度にすごく惹かれた。素っ気無いその態度が、すごくかっこよく見えたんだ。
 やがて夜も遅くなり、一人また一人とチャット参加者が「落ちて」いって、日付が変わる頃にはチャットに参加してるのはあたしと、カケルだけになっていた。
 すっかりカケルに惹かれていたあたしは、こんな書き込みをした。

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KAYO>あたしさ、ブログやってるんだ。良かったら見に来てよ。(2005/12/04 0:19)
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 少しだけ、間があった。
 それまでのチャットで、カケルのタイピングが相当速いことは分かっていたから、たぶん少しの間考えていたんだと思う。
 それから、カケルはこう書き込んだ。

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カケル>気が向いたら行く。(2005/12/04 0:22)
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 相変わらず素っ気無い書き込みだったけど、なぜかあたしの心は、躍った。その時は自分でも、カケルの言葉がどうしてそんなに嬉しかったのかよくわからなかった。こんな感情は、初めてだった。

 翌日の朝。いつもの習慣で起きてすぐにパソコンを開いたあたしは、メールが1件届いてるのを見つけた。
 現実の世界では、あたしにメールを送ってくるような友達なんて一人もいないけれど、ブログではメールアドレスを公開しているし、ネット上のKAYOにメールを送ってくる"友達"は何人かいたから、今回もそうかな、と漠然と思って、あたしはメールソフトを立ち上げた。

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<受信トレイ>
送信者:カケル   件名:無題   受信日時:2005/12/04 2:20
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 寝ぼけ眼でパソコンの液晶を眺めていたあたしは、送信者の欄を見て、息を呑んだ。
(カケルからだ)
 あたしは、急に激しく打ち始めた心臓を落ち着かせようと深呼吸をしてから、カケルからのメールをクリックした。

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送信者:カケル
受信日時:2005/12/04 2:20
件名:無題
本文:
さっき君のブログを覗いてみた。
コメント欄に書き込むのはなんだか苦手なので、メールにした。

KAYOはヴォーカルをやっているんだな。
俺は歌が下手だから、KAYOがうらやましいよ。
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 その書き込みから、なんだか気恥ずかしげなカケルの姿を想像して、あたしは可笑しくなった。そして、顔も知らないカケルの表情を想像している自分が、なんだか不思議な感じだった。

 それからあたしとカケルは、ひんぱんにメールをやり取りするようになった。学校に行ってないあたしは、パソコンをいじるくらいしかやることがなかったし、カケルもあたしと同じで暇なのか、昼間から盛んにメールを返してくれた。メールのやり取りは、一日で何十通にもなった。
 あたしたちのメールの内容は、本当に他愛もないものだった。大抵はあたしのブログの記事に対するカケルの感想から始まって、それに対するあたしのグチや言い訳、さらにそれへのカケルの感想。
 あたしの架空の日記からはじまってるから、話の中身は実際にはフィクションだった。けれどあたしは、話に矛盾が出ないように慎重に確かめながら、それが本当にあったことのように装って、カケルにメールを返し続けた。初めはいつ嘘だとバレるか冷や冷やしていた架空の悩みは、カケルに相談してるうちになんだか自分の本当の悩みのような気がしてきて、カケルが解決方法をアドバイスしてくれると本当にほっとするから不思議なものだった。
 カケルからのメールはやっぱり素っ気無かったけどとても的確で、大抵の場合、あたしの悩みはカケルのほんの一言で、あっという間に解決してしまうのだった。


 カケルに相談に乗ってもらえるのがうれしくて、あたしは色々な話をし続けた。最初は部活の話とか恋愛の話とか、完全に架空の話ばかりしていたけれど、そのうちにあたしは自分の本当の悩みをカケルに聞いてもらいたい、と思うようになった。だから、架空の話の中にひそませるようにして、あたしは本当の悩みをカケルに打ち明けた。

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送信先:カケル
送信日時:2005/12/18 14:26
件名:あたしの悩み聞いて~。
本文:
あたし実は、人付き合いが苦手なんだよねぇ。
なんていうか、人と喋るのがあんまり得意じゃない、っていうか。
われながらなんかかっこ悪い、とは思うんだけどさ。
なかなかうまくいかなくって。
カケルは人付き合いとか得意なほう?
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 もうすっかり送りなれているカケルへのメールだったけど、このメールを送るときには、すごく緊張した。だって、それは初めてあたしが本当の自分のことをカケルに話した瞬間だったからだ。それは今まで自分を飾ってきたあたしが、本当の弱みを、初めて見せた瞬間でもあった。
 まもなく、メールが届いたことを知らせる澄んだ電子音が響いた。
 あたしは、はやる気持を抑えてデスクトップのメールソフトのアイコンをクリックする。
(やっぱり、カケルからだ)
 あたしは急いで、メールを開いた。

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送信者:カケル
受信日時:2005/12/18 14:28
件名:Re:あたしの悩み聞いて~。
本文:
俺も、人付き合いは苦手な方だな。
KAYOと同じで、人と話すときは緊張してしまう。
そんな時は、「別に完璧じゃなくていい」と自分に言い聞かせるようにしている。
使い古された手段だが、相手がジャガイモか何かだと思うのもいいんじゃないか?
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 そのメールを見て、あたしは思わず吹き出してしまった。
 だって、あの無愛想なカケルが「ジャガイモだと思えばいい」だなんて。おかしいったらない。
 すっかり楽しくなったあたしは、きっと調子に乗っていたのだろう。深く考えもせずに、こんな風にメールを返した。

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送信先:カケル
送信日時:2005/12/18 14:30
件名:あはは。
本文:
ホントにカケルってばおもしろいね~。
今度直接会って色々と話してみたいなぁvv
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 送信ボタンをクリックした直後、あたしは自分が何をしたのかに気づいて激しく後悔した。
 あたし、何勘違いしてるんだろう。
 カケルが話してる相手はあたしなんかじゃないのに。KAYOという名前の、ネットの上だけに存在する架空の人間。
 直接会ったりしたら、あたしがKAYOとは違うことがバレてしまう。
 KAYOだと思っていたのがこんな根暗な、引きこもりの女子高生だと知ったら、カケルはきっと失望してしまう。
 でも、あたしがどんなに焦ったところで、送ってしまったメールは取り返せない。

 かなりの間があった。カケルは、迷っているのだろうか。
 カケルからの返事を待つ間、あたしは、もしカケルがOKしてしまったらどうしよう、とそればかりを考えていた。
 何本気にしてるの? 単なる冗談だよ。と言ってみようか。そうしたら生真面目なカケルは、馬鹿にされたと思って、怒ってしまうだろうか。こいつはまともに話す気がないんだ、とあきれられてしまうかもしれない。
 10分ほどして、電子音が鳴った。メールの着信音。カケルからだ。
 あたしは目を閉じて一つ大きく深呼吸をして、食い入るようにディスプレイを見つめた。

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送信者:カケル
受信日時:2005/12/18 14:39
件名:残念だが。
本文:
俺もKAYOに会ってみたいと思う。
だが残念ながら、俺が住んでいるのは北海道なんだ。
ブログによれば、KAYOは横浜に住んでいるのだろう?
さすがに遠すぎて会いにはいけないな。
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 その書き込みを見て、あたしは心底ホッとしてため息をついた。
 実際、あたしが住んでいるのは横浜だ。
 北海道と横浜。あたしたち高校生には遠すぎる距離だ。会いにいけない、十分な理由になる。
 あたしは急いで、返事を送った。

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送信先:カケル
送信日時:2005/12/18 14:41
件名:そっかぁ。
本文:
さすがに北海道は無理だなぁ。残念残念。
まぁ、メールで色んな話をしてるから、それで十分だよね~。
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 カケルからも、すぐに返事が来た。

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送信者:カケル
受信日時:2005/12/18 14:42
件名:Re:そっかぁ。
本文:
そうだな。
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 それからまた、あたしたちは何事もなかったかのように、他愛のないやり取りを続けた。
 カケルとの関係を崩さないで済んだことに、あたしは、本当にホッとしていた。
 そして、自分がどれだけカケルの存在にすがっているのかということを、改めて感じたのだった。


 それからも、あたしとカケルのやり取りは続いた。
 カケルもだんだんとあたしに心を開いてくれたのか、少しずつだけど自分の話をしてくれるようになった。サッカーが好きで、高校のサッカー部でディフェンダーをやっていることとか、休日には何キロも歩いて、知らない町を見てまわるのが楽しみだとか。
 あたしはカケルと本当の友達になれた気がして、すごくうれしい気分だった。もっとカケルと色々なことを話したい、とより一層思った。
 一度きっかけを作ってしまえば、あとはどんどんエスカレートしていくものだ。あのメール以来、あたしは次々とカケルに「本当の悩み」を打ち明けていった。グループを作る、クラスの女の子たちの雰囲気になじめないこと、友達とうまく話題を合わせられないこと、喋るときに思わず口ごもってしまうこと。
 そのたびにカケルはいつもの素っ気無い、でも優しい言葉であたしを励ましてくれた。カケルはいつも、こう言っていた。
「完璧を求めなくていい。人と同じじゃなくてもいい。欠けている所がある自分を、ありのまま受け止めればいいんだ」
 カケルは本当のあたしを知らないはずなのに、その言葉はあたしの心に深く沁みこんでいった。カケルの言葉はあたしを、殻に閉じこもっている現実のあたしを許してくれるような、そんな風に感じられた。
 だからあたしは、行動することにしたんだ。
 カケルに励まされて、殻から出ることができるような気がしたから。
 冬休みが終わった一月のはじめのある日の朝、あたしは約半年ぶりにブレザーの制服に袖を通した。

   *  *  *  *  *

 強く握りしめすぎて指の跡がついてしまったカバンを乱暴に放り出して、崩れるようにあたしはベッドに座り込んだ。目の当たりにした現実は、あたしの心を粉々に打ち砕いていた。
 何を勘違いしていたんだろう? あたしはあたし。駄目で冴えないあたしのまま。何も変わってなんかいなかったのに。突然学校に行ったからって、人が変わったように明るくなって、みんなと仲良く笑顔でおしゃべりできるとでも思ったのだろうか?
 現実は、残酷だった。
 半年ぶりに学校に行ったって、あたしに居場所なんてあるはずがない。たくさんのクラスメイトの中で、自分の孤独を思い知るだけだった。
 周りのみんなは、腫れ物に触るようにあたしに接した。白々しい笑顔が、何よりも雄弁にその心の中を語っていた。
 今頃何しに来たの? ずっと引きこもってればいいのに。
 こいつの相手するのめんどくさいんだよね。またおどおどしちゃってさ。
 そんな声が、聞こえてくるようだった。
 いつの間にか、涙があふれていた。
 「大丈夫?」という、クラスメイトの声。あたしには、「まためそめそしちゃって、キモチワルイなぁ」と聞こえる。
 いられない。ここにはいられない。あたしは無我夢中で教室を飛び出していた。
 すべて、幻想だったんだ。
 考えてみれば当たり前のことだった。
 カケルが励ましてくれたのは、許してくれたのは、あたしじゃない。KAYOだ。あくまでも架空の存在である、KAYOだったんだ。あたしは、現実のあたしはこんなに駄目で、こんなに醜い存在なのだ。許されるはずがない。
 悲しいのでも寂しいのでもなく、ただ惨めで、認められたと思い込んで一人で舞い上がっていた自分がただひたすらに惨めで、あたしは声を殺して泣いた。いつまでもいつまでも、泣き続けた。
 その時。澄んだ電子音。
 パソコンのメールの着信音だ。
 こんな日でもあたしは、帰ってくるなり無意識にパソコンを起動していたらしい。
 誰もいないこの部屋は寒くて、凍え死んでしまいそうになるから。だからあたしは、温もりを求めたんだろう。
 馬鹿だ、あたしは。パソコンの暖かさなんて、ディスプレイの温もりなんて、ただの機械の排熱に過ぎない。こんなのは温もりなんかじゃない。偽物だ。そんなのわかってるのに。
 わかっていても求めずにいられない、そんな自分が可笑しくて、あたしは少しだけ笑った。渇いた笑いはあたしの心を、少しも暖めてはくれなかった。

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<受信トレイ>
送信者:カケル   件名:無題   受信日時:2005/01/08 14:27
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 ディスプレイには、そう表示されていた。虚ろな気分なまま、メールを開く。

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送信者:カケル
受信日時:2005/01/08 14:27
件名:無題
本文:
KAYO、元気か?
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 それはカケルの、いつもの挨拶だった。普通に挨拶するのが苦手だと言う彼は、いつもそんなメールで挨拶の代わりにしていた。
 だけど、あたしにはその言葉が性質の悪い皮肉に見えた。カケルが「KAYO」に向かって親しげに話しかけているのがひどく腹立たしくもあった。カケルはあたしのことなんて何も知らないくせに。知っているのは「KAYO」。実際には存在しない架空の人物。偽物のあたし。
 あたしはパソコンに向かった。考えるよりも先に、指がキーボードを叩いていた。そのまま、送信ボタンを押す。
 あたしが送ったのは、こんなメールだった。

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送信先:カケル
送信日時:2005/01/08 14:29
件名:Re:
本文:
あたし、死ぬことにした。
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 それが本心だったのかどうか、あたしにもよく分からない。
 でも、もう本当にどうでもいい気分になっていたのは確かだ。
 ピコン、と電子音が鳴った。メールの着信音。
 カケルからの返信だ。
 カケルは一体どんなメールを返すのだろうか。
 冗談はよしてくれ迷惑だ、とか。
 もうおまえとは話したくない、と言われてしまうかもしれない。
 それとも。
 ありきたりな言葉で慰めてくれるだろうか。
 オレでよければ話してごらん、とか。
 死ぬなんていうなよ、とか。
 ……それはもっと最悪だ。
 あたしにとって唯一心を許せる相手だと思っていたカケルにそんなことを言われたら、耐えられない。
 カケルも、クラスのみんなやあたしの家族たちみたいに、薄っぺらな存在なんだって気づいてしまうのは。
 いっそのこと、見ないままこのメールを消してしまおうか。そんなことが頭をよぎったけれど、そんなことをする勇気はあたしにはなかった。祈るような気持ちで、メールを開く。
 カケルからのメールは、あたしが考えていたどんなものとも違っていた。

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送信者:カケル
受信日時:2005/01/08 14:55
件名:Re:Re:
本文:
本気、なのか?
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 怒るでも慰めるでもない、ただシンプルなその言葉から、あたしは目を離すことができなかった。
 本気、なのだろうか。
 あたしが「死にたい」と思ったのは。
 あたしは、カケルのその言葉に、答えることができなかった。
 きっと。
 あたしは死にたいんじゃない。
 「死にたい」って言ってそれを止めてもらうことで、生きていることへの許可が欲しかったんだ。 
 ただ、心配して欲しかったんだ。
 でもそんなこと、カケルには言えない。
 いっそのこと、本気なんかじゃないよ、冗談だよ、と言ってしまえばいいのかもしれない。
 だけど、これ以上自分の気持ちに嘘をつくのは、あまりに惨めで嫌だった。

 ピコン。
 もう一度、電子音が鳴った。

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送信者:カケル
受信日時:2005/01/08 15:03
件名:俺は
本文:
KAYOのおかげで、死ぬのを、やめたんだ。
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 予想もしない内容に目を見張る。
 あたしは、反射的にメールを打った。

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送信先:カケル
送信日時:2005/01/08 15:04
件名:Re:俺は
本文:
カケルも、死のうと思ったの?
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 送信ボタンをクリックして、あたしはやっと我に返った。
 カケルが、死のうと思ってた?
 そんなわけない。
 だってカケルはあんなに強いのに。弱虫のあたしなんかとは違うのに。
 そう思った時、あたしは急に全てを理解した。
 架空の自分を創り出していたのは、あたしだけじゃないのかもしれない。あたしがKAYOじゃないように、カケルもきっと、カケルではないのだ。
 カケルのことを知りたい。ネットの中の存在ではない、本当のカケルのことを。
 だからあたしは決心した。すべてを告白することを。

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送信先:カケル
送信日時:2005/01/08 15:16
件名:KAYOは
本文:
作り物なんだ。
本当のあたしは学校にも行けない、引きこもりの女子高生なんだ。
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 絶対に誰にも言わない、と決めていたことなのに、不思議と怖くはなかった。これでカケルに嫌われてしまうならそれでもいい。そう思った。偽物の自分でカケルと接し続けることのほうが、あたしには耐えられなかった。
 本当のあたしを、この醜いあたしを見てほしい。
 その欲求はあたしの中でどんどんと大きくなっていったんだ。
 少しの間があって、カケルから届いた返事は、こうだった。

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送信者:カケル
受信日時:2005/01/08 15:22
件名:Re:KAYOは
本文:
なぁ、やっぱり、直接会わないか?
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 でも、カケルは北海道に住んでいるんじゃなかったの?
 あたしがそう返信すると、カケルは、あれは嘘なんだ、と決まり悪そうに(といってもそれはあたしの想像でしかないけど)返してきた。

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送信者:カケル
受信日時:2006/01/08 16:02
件名:実は、
本文:
オレは、東京に住んでいるんだ。横浜なんてあっという間に行ける。
あの時は……KAYOに会いたくなくて、嘘をついていたんだ。すまない。
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 それをメールを見て、あの時あたしもカケルと会うことになったらどうしよう、とあわてていたことを思い出す。
 まさか、カケルもそんな風に思っていただなんて。そんなことは思いもしなかった。

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送信先:カケル
送信日時:2006/01/08 16:05
件名:それなら、
本文:
どうして、今度は会おうと思ったの?
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送信者:カケル
受信日時:2006/01/08 16:08
件名:Re:それなら、
本文:
自分でもわからない。でもたぶん……。
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 カケルからのメールは、中途半端な所で途切れていた。きっと、言うのをためらっているのだろう。もしかしたら自分でもまだ何を言うべきかわかっていないのかもしれない。
 かなり、間があった。
 あたしはただ、ぼうっと光るディスプレイを見つめ続けながら、カケルからのメールを待った。
 ピコン。
 散々聞いたはずの電子音が、やけに大きく響いた。

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送信者:カケル
受信日時:2006/01/08 16:24
件名:無題
本文:
嘘をつくことに、つかれたんだ。
今まで作ってきたオレは、全部ニセモノなんだ。
それでいいと思っていた。
ネットの上では、ニセモノで生きていこうと思っていた。
でもダメなんだ。

KAYOにだけは、本当のことを知ってほしい。
でも……正直、怖い。
自分をさらけ出すのが怖いんだ。

だってオレは、欠けているから。
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 カケルからのメールを、何度も読み返す。何故だか、涙が零れ落ちそうになった。
 おんなじだ。あたしとおんなじ。
 カケルも、あたしと。
 心の奥の何かに突き動かされるように、あたしの指がキーを叩く。

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送信先:カケル
送信日時:2006/01/08 16:28
件名:あたしも
本文:
あたしも同じだよ、カケル。
すごく、すごく怖いけど。

カケルに、会いたい。
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 雲ひとつない青空。
 ディスプレイ上のどんな"青"も、この空ほど青くはないんだろうな。
 そんなことを、ふと思う。
 大嫌いだった太陽の光が、容赦ない明るさで影を殺していく。いつも頭の上にあった薄汚れた天井を、ひどく恋しく思う。幾重にも厳重に施したあたしの心の覆いは、暖かい光の前に為す術もなく溶かされていく。
 駅前の小さな公園の茶色いベンチの隅に、あたしは座っている。
 一月の冷たい空気の中、眩しすぎる青空にくらくらしながら、あたしは駅に出入りする人の群れを目で追っていた。
 ビジネスバッグを重そうに抱えながら携帯電話に向かってひたすら謝っているサラリーマン。隣の同僚に向かってしきりと愚痴をこぼしているOLらしき女の人。手をつないで楽しそうに笑い合っている、若い男女。
 世の中には色々な人がいるんだなぁ。そんな当たり前のことを、ふと思う。
 でも誰もが自分の人生に一生懸命で、それがあたしにとってひどく遠い存在のように思えた。あたしは、この人たちと同じ世界の中で生きているのだろうか。生きていて、いいのだろうか。
 せわしなく働きすぎてオーバーヒートしてしまいそうな頭を休めようと、あたしは軽く目を閉じた。手にした白い傘の柄を、そっと握りしめる。
 こんなによく晴れた昼下がりに、傘を手にしたあたしの姿はひどく目立っているに違いない。
 これは、カケルとあたしとの「目印」だった。
 明日はよく晴れるらしいから、目印に傘を持っていこう。そうすればお互いがわかるはずだ。
 カケルが、メールでそう提案する。そんなの目立って恥ずかしいよ、と抗議したあたしに、カケルはこう返してきた。

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送信者:カケル
受信日時:2006/01/10 11:18
件名:無題
本文:
目立たないと目印の意味がないじゃないか(笑)。
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 カケルが、「(笑)」なんて書いてくるのははじめてだった。だからあたしはなんだかうれしくなって、思わず「いいよ、わかった」なんていうメールを送ってしまったのだ。
 ベンチに座りながらそのときのことを思い出して、あたしは口元が緩んでくるのを感じていた。あんなに嫌いだった陽射しも、今は少しだけ優しくなったような気がする。
 カケルと待ち合わせをしているこの場所は、東京の外れの駅前だった。カケルが待ち合わせに指定したところで、カケルが住んでいる家から一番近い駅なんだそうだ。
 「自分で、『横浜なんてすぐだ』なんて言っておいて、家の近くまで呼び立てたりして本当に申し訳ない」なんて、カケルはしきりに謝っていたけど、あたしは自分の町を一度離れたかったから、ちょうどよかった。
 そんなわけであたしは、すごく久しぶりに電車に揺られて、ここまでやってきたのだった。
 約束の時間よりもかなり早くに待ち合わせの公園に着いて、ベンチに座って目を閉じ想いを馳せる。
 カケルは、どんな顔をしているのだろうか。背は高いのかな。声はどんな感じだろう。
 ……あたしをはじめて見たカケルは、どんな顔するのだろう。
 そう思ったら、急に心臓の音が激しく鳴り出した。
 いつものように失敗してしまうんじゃないだろうか。あたしは、人としゃべるのが下手だから、カケルともうまくしゃべれなくて失望させちゃうんじゃないか。
 言い様もない不安に襲われたあたしの頭の中に、カケルのくれた言葉が浮かんだ。
「完璧を求めなくていい。人と同じじゃなくてもいい。欠けている所がある自分を、ありのまま受け止めればいいんだ」
 カケルは、自分も「欠けている」のだと言っていた。あの言葉は、自分に言い聞かせていたのだろうか。
 でもそれは、やっぱりあたしの心に、深くしみこんだ。
 受け止めよう、あたしを。これがあたしなんだから。はじめて会ったカケルに、とびっきりの笑顔を見せられるように。
 怖いけれど。今にも体じゅうが震えだしそうなくらい、怖いけれど。もう嘘をつくのはやめたんだ。あたしは、本当のあたしで、カケルと向き合いたいんだ。
 心の中でそう決めて、あたしは静かに深呼吸をする。大きく吸った息が体の中に沁み渡って、あたしの鼓動を少しだけ緩やかにする。
「君が、KAYOだな」
 その声が目を閉じたままのあたしの耳に飛び込んできたのは、突然だった。
 少し高い、でも決して不快じゃない澄んだ少年の声。
 どくん。
 あたしの胸が、周りの人たちに聞こえたんじゃないかと心配になるほど、大きく高鳴った。
「オレは、カケル。風間 翔。よろしく、KAYO」
 ゆっくりと目を開いたあたしの視界で、そう言ってぎこちなく右手を差し出していたのは、青い車椅子に乗った小学生くらいの少年だった――。

「意外と、背が高いんだな。それに……思っていたより美人だ」
 あたしが何かを言う前に、翔はそんなことを言って、幼い顔で微笑んだ。
 長い睫毛が優しく揺れて、とてもきれいだな。
 あたしはそんなことを、ふと思う。
 その顔には屈託がなかったけど、でもほんの少しだけ、寂しそうに見えた。
 それから翔は、差し出したままだった右手を決まり悪そうに引っ込めようとする。
「あ、あたしは、斉藤加世子!」
 慌てて言いながら、あたしも右手を差し出す。
 翔が、きょとんとした表情になって、差し出されたあたしの手と、引っ込めようとしていた自分の手を交互に見つめる。そしてうれしそうに、……そう、今度は本当にうれしそうに、にっこりと笑った。
「……よろしく、翔」
 あたしは、少しだけ震える手で、翔の右手をそっと握った。
 冷たい風に冷え切ったあたしの手に、翔の手から、優しい温もりが伝わってくる。機械の排熱なんかじゃない、人の温もり。何年かぶりの人肌の感触は、とてもとても、暖かかった。
 あたしの目から、熱い雫が、とめどなく流れ落ちてくる。
「お、おい、泣くなよ、加世子。オレ、なんか悪いことしたか?」
 慌てたように言う翔の、困った顔。不器用だけど優しいその様子は、ディスプレイの中であたしが会話していたカケルと、おんなじだった。
「……カケルが小学生だったなんて、反則だよ」
 あたしは精一杯笑顔を作って、翔にそう言ってやった。……やっぱり、少しだけ涙声になってしまったけど。
「小学生じゃないぞ、中学一年」
「同じだよ!」
「同じじゃないだろ、オレは立派な中学生だ」
 憮然とした顔で言う翔がおかしくて、あたしは声を上げて笑った。
 すごくすごく幸せな気分になって、あたしは泣きじゃくった顔のまんま大声で笑いながら、車椅子の翔に抱きついていた。翔の温もりが、あたしの腕を通して硬く凍っていたあたしの心を暖める。
 驚いた翔の声と、あたしの笑い声が、午後の優しい陽射しの中で弾けていった。

文章を読んでなにかを感じていただけたら、100円くらい「投げ銭」感覚でサポートしていただけると、すごくうれしいです。