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「お母さん食堂」署名はやりすぎ?私も過去にそう思ってました。

2020年末ファミリーマートの「お母さん食堂」の名前変更を求める署名が立ち上がり、個人的に応援していました。一方で「やりすぎだ」という意見も拝見し、ぜひ皆さんとシェアしたい過去の経験をnoteに書くことにしました。

「キッチン女」改名事件

私は過去に海外の会社に行っていたことがある。その会社には共同キッチンがあり、食器やシンクを洗ったりゴミを捨てたりという仕事は社員の当番制で回していた。キッチン当番はその国の言葉で「キッチン女」と呼ばれていた。「今週のキッチン女は笛美だよ」のように使う。当時はフェミニストではなかったし、その名前に特に問題を感じていなかったのだが、数ヶ月経ったころ女性社員の中から「キッチン女」という名前を変えようという声が出てきたのだ。私は「女性なら料理をして当然だ」という考えは好きではなかったし、もし結婚して共働きになるなら男性も料理をしてほしいと思っていた。だけど「キッチン女」のネーミングは気にならなかったし、その名称を変えようという女性社員を見て「やりすぎでは?」と感じた。なぜそう思ったのかを振り返ってみた。

①男女ともに「キッチン女」を担当するから

「キッチン女」の当番をするのは女性だけではない。男性も女性も平等にキッチンの当番になる。日本では女性の仕事にされがちなキッチンの整理を男女ともにやるだけで平等だし、ネーミングに女が付いていても問題ないと思った。

②みんなに浸透しているから

ネーミングはすでに社員のみんなに浸透していて、これ以上キャッチーなワードになるとは思えず、もったいないと思った。

③ネーミングに悪意が見えなかったから

「キッチン女」のネーミングの背景には「女は料理をしろ」という抑圧があるのは当時も分かった。でもその抑圧は人間の姿を持って現れず概念としてあるだけで、当時の私にはその実害が想像できなかった。だから声を上げている目の前の生身の女性にばかり目がいってしまって「やりすぎだ」と思ってしまったのかもしれない。

④表現が狭まると思ったから

「言葉狩り」「ポリコレ棒」という言葉は使いたくないけど、当時はNGワードが増えるほど表現の幅が狭くなるのではないかと思った。でも特に広告クリエイティブなんて制約があって当たり前だし、めちゃくちゃな制約を乗り越えて名作ができたエピソードはよく聞くし、制約を乗り越えてこそプロだという考え方ってある。←これは私が言ってるのではなく、大御所クリエイティブの人もよく言っている。

⑤新しい価値観を前に様子見していた

個人的にはたぶんこれが一番デカい。人は松竹梅を見せられると竹を選ぶ習性があるんだけど、それに似てるというか。過去に聞いたことの無い全く新しい価値観に直面して、私は自分の中でバランスを取ろうとしたのだと思う。彼女たちのネーミング変更の要望に対して、私は批判したり賛成したりせず、ただ黙って様子を見ていた。

ちなみに声を上げた女性社員たちは「キッチン仕事は嫌いだ」「キッチン仕事をさせるな」とは言ってない。むしろ彼女たちには料理がすごく上手な人もいた。ただ「キッチン仕事を女性に押しつけるようなネーミングはやめて欲しい」と言っていたのだ。他の社員から反対意見は出なかった。

「キッチン女」の代案は数多く出されたが、「キッチン当番」という名前になった。改名されたからと言って、特に私の毎日に変化はなく、いつもと同じような日々が繰り返された。いま改めて振り返るとネーミングが「キッチン女」であるメリットって本当にあったのかなと思う。「お母さん食堂」で起きていることは「キッチン女」で起きたことと極めて近いのではないかと昨日になって気がついた。「キッチン女」改名事件に戸惑ったけど、今は「お母さん食堂」署名活動を応援する立場で、ご批判への答えを書いてみたい。

これって「ポリコレ棒」では?

「お母さん食堂」改名について、「ポリコレ棒」とか「言葉狩り」というご批判があるのを拝見した。過去の自分の反応を振り返ると、たしかにそのような心配をされる気持ちは分かる。Twitterをやっている人ならご存知だと思うけど、しばらく前に「ポテ爺」なる人物が流行った。「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ?」と子連れの母親に説教をかましたおじいさんのことである。そのツイートは37万回もいいねされていたし、多くの人が母親に同情のコメントを寄せた。

ポテ爺は「母親のくせに棒」でお母さんを殴っていたのだと思うし、多くの人がその棒を感じたのだと思う。

では「お母さん食堂」はどうだろう?このネーミングに悪意はない。むしろお母さんの作ってくれた安心安全なごはんという温もりをまとっている。それに手作りの料理をしなくてもお惣菜を買えばいいよという優しさもこもっている。だけどそのネーミングの出所にはやはり「母親は料理の主体である」という考え方が横たわっている。ポテ爺の「母親のくせに棒」はネガティブで乱暴な棒だった。お母さん食堂の「母親のくせに棒」はポジティブで優しい棒だった。ポテ爺とは比べ物にならないくらい好感度の高いタレントさんの存在感もあって「母親のくせに棒が見えにくくなくなっていると思う。クライアントさんにも広告代理店にも誰にも悪意はない。だから難しいのだ。どうかこれを誰か1人の責任にして欲しくないと思う。

試しに「母親のくせに棒」と「ポリコレ棒」なるものを並べてみた。

「母親なら料理を作るべきだ」

「母親なら料理を作れと言わないで」

「ポリコレ棒」と呼ばれる後者がそんなに過激なことを言っているのだろうか?むしろ母親なら料理を手作りしろと言う前者の方が、押しつけのように見えるのは私だけだろうか?「母親のくせに棒」がなければ「ポリコレ棒」と呼ばれる棒は存在すらしなくてよかったのかもしれない。

お母さんの味を否定してる?

「お母さんの味を否定するのか」というご批判も目にする。「お母さん食堂」の名前を変える=母親の料理を否定するのではない。

「お母さんの料理は美味しい」「お母さんの料理に感謝している」

「お母さんなら料理をするべきだ」

この違いがお分かり頂けるだろうか?お母さんの料理を好きだったり感謝する気持ちと、お母さんに料理を押し付けるのは別のものだ。私個人はお母さんの料理が大好きだし、今年もお母さんのレシピを参考にお節を作った。お母さんに料理を押し付けなくても、お母さんの料理を大切に思うことは可能ではないだろうか。

署名を集めるのは大げさか?

署名を集める方法も大げさだと言われる。もしも女子高生3人が深夜のファミマに武装して押し入りワンオペの店員にナイフを突きつけて「お母さん食堂のネーミングを変えやがれ」と言ったらそれは恐いと思う。でもそうではない。ファミリーマートさんは全国に1万6000店あり従業員も6,045名(2019年2月末)いて総資産額は1,976,116百万円だ。女子高生3人と何人集まるか分からない一般人の署名のどちらにより威力があるというのだろう。それに署名をどう受け取るかはあくまでも企業の主体性に任せられていて、強制なんてこれっぽっちもしていないのだから、安心してほしい。私も「キッチン女」を変えてと言った人達をどう受け止めていいか分からなかったし、企業よりもイメージしやすい女子高生に気持ちがいってしまうのは分かるけれど、大丈夫だよ。

食とジェンダーの話題は簡単じゃない

そもそも「食にジェンダーを持ち込むな」という話はとても高度な話題だと思う。過去に外国人のフェミニストからこんなことを言われたことがある。「日本のレディースセットはおかしい。女性だって大盛りの食事をしたいかもしれないし、男性だってヘルシーなものをあれこれ食べたいかもしれないのに、これではジェンダーバイアスがかかる。」「男のプリンというネーミングはおかしい。女性だって大きなプリンを食べたいかもしれないし、男性だって小さなプリンを食べたいかもしれないのに。」しばらくは理解できなかったし、その時はフェミニズムを知っていたはずの自分でさえ彼女のことをめんどくさいと思った。でも時間をおいて考えて色んな本を読んだりして、1年くらいたって、やっと性別による無意識の決めつけが私を苦しめていることを理解できるようになった。私は別に「今すぐレディース セットや男のプリンを無くせ」と言いたいのではないし、そうなったら逆に怖い。もしかしたら日本には早すぎた話題なのかもしれないけど、子供たちはすぐに大人になりポテ爺に説教される未来が迫っているのに、笑ったり嗜めたりするのは大人として申し訳ないような気がした。私にとって理解が難しかった食とジェンダーの話を、2020年のうちにできるなんて全く思わなかったから、考える機会を与えてくれた高校生に私は心から感謝している。

それでも「うるさいフェミ」になった理由

「キッチン女」や「レディースセット」に問題提起をするフェミニストをやりすぎだと思っていた過去の私。でもそのうるさいフェミがいた国では、男女平等が日本より遥かに進んでいて、幸福度が高く、過労死はなかったし、ワンオペ育児もなく、待機児童もおらず、パパ活する女子大生もおらず、セクハラなんて絶対になかった。女性として嫌な思いをしたことは、ほぼなかったと言ってもいい。その国には料理が得意な女性もいたし、男性もいた。料理をしない女性もいたし男性もいた。日本より多くの生き方の選択肢が公的にも個人レベルでも認められている社会だった。うるさいフェミがいてくれたからこそ、当時の私は幸せだったのかもしれないと思う。その国で私はフェミニストになる必要はなかった。彼女たちがいたからだ。でもジェンダーギャップ指数121位で男女格差が世界的にも深刻な日本で、私はフェミニストにならざるを得なかった。そうしないと女性にとってどんどん不利な社会になっていくから、バランスをとるためにね。だから、すぐに分かってもらえるなんて思ってないし、これからもうるさいな〜と思い続けてくれてOKよ。私もうるさく言っていくわ(笑) 

あと今は「フェミフェミ」言ってる私でさえ、ほんの少し前までは全くフェミニズムを理解していなかった。今は分かってくれない人も、将来は仲間になるかもしれないよね。

今年もよろしくお願いします。