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「わたし」というひとの話

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仕事でもなんでもない、ただのひと。 それもわたし。
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情報過多

情報過多

情報量が多すぎると吐き気がしませんか。
それでわたし、Facebookから離れたんだよなぁ…Twitterでもちょっと、その兆し。

なんていうか、内容がどうの以前に、たくさんのひとがいっせいに話したいことをわーって喋ってる感じ。それで、だれも他のひとの話は聞いてないの。
もちろん喩えですけど。そんな感じがして。たったひとりでみんなの話をぜんぶ、聞き役して回っているような。

ほしい情報、聞きたい

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後悔するには短すぎる夕暮れ

後悔するには短すぎる夕暮れ

後悔、というものが心底きらいだ。
決断にためらうとき。自信がないとき。
「後悔するぐらいなら」
わたしは最後の一歩を踏み出す

ほんとうにかなしいことがあると、自分はひとには言わないし、言えないのだな
ということも知った。

もしも、もっと早く来ていたら何か変わったのだろうか。

むだにした時間。
もとには戻らないもの。
きっと、人生に手抜きを知らないひとには、後悔している時間さえ惜しいのだと思う

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ひとは知らずにひとを救う

ひとは知らずにひとを救う

私にはいくつかの呪いがかかっていて、
それは解けるもの、一生解けないものとあるのですが

解けないかもしれないとあきらめていた呪いがひとつ、ひとと出会うことで すうっと消えていきました。

ありがとうの気持ちを噛みしめて
なんでもない今日の日が、ずっと続いてほしいと思います。

夢に見るほど

夢に見るほど

朝方に見た夢で、私は一軒家にいた。
実家だ。

幼稚園から大学進学までの時間を過ごした家
懐かしい、というよりは
思い出すとまだ とり返しのつかなさに胸が痛む。

母が死んでお葬式を終えてから、一度も訪れていない。
もっとも、もう何年も前から人に貸しているらしいので
今は知らない家族が暮らす 知らない家なのだ

母が死んだあと、父が再婚して
私はとうの昔に大人になっていたけれど
自分のこれまでの半

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土神と狐

土神と狐

2015年

きっと二度と書けないと思って保存していた文章です。

かつてのブログに書いたもの

すごくつらい出来事があったけれど、わたしはこのとき

人と人とのわかりあえなさを学びました。

離れることで、人を尊重することを知りました。

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「土神と狐」

宮沢賢治の「土神と狐」という話をご存知でしょうか。

土神は、粗野で外見の汚い神さま。
美しい一本の樺の木に恋をしています。

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葛藤は見えない

葛藤は見えない

どうしても、気軽に自分のことを語ることができない。

人を信じる信じないの問題ではなく、「そのように育てられたから」としか言いようがない。

私は、自分の話を心やすく口にすることができない。

子どもの頃、訳もわからず

とにかく自分のこと、家族のことを外で話さないように固く禁じられた。

もし回り回って母の耳に入ろうものなら

ものすごく 叱られた。ものすごく。

父の仕事柄、家が興味の対象にな

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