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「介護」という言葉の違和感

介護と鬱

母は、これまでにいくつもの介護施設で働いてきた。いくつものというのは、辞めては新しい場所へと場所を変えてきたということ。それは、どうしても、自分の思い描く「介護」とは違っていたからだった。そして、いつしか、疲れきった母は、うつ病と診断された。

大きな間違い

それから数年、なんとか、やりくりをしたり、いろんなことを両親としながら、家族のみんなが笑顔になるようにしてきたつもりだった。しかし、ある方のメッセージを機会に、それは、まだまだ、私の思い込みだったと気づかされた。
実は、母は、父が脳幹出血で倒れて、父が介護を受ける側になったのをきっかけに介護の仕事をはじめたらしい。しかし、私にとって、この「介護」が、ずっと、他人事だったのだ。本当に大事なことは、「介護」を自分事として、家族と共に歩むことだったのではないか?と感じ、母と父と、「介護」に向き合うことにした。

「介護」という違和感

介護について調べたり、知人の介護施設に行って体験してみたりして、「介護」という言葉の違和感を感じるようになった。それは、簡単に言うと、介護を受ける側と介護をする側と分断されていることだった。介護を受ける側のおじいちゃんやおばあちゃんから、私自身も、「とてつもなく大事なことを教えてもらっている」そんなことを感じたからだ。そして、母の介護に対する違和感も同じだったことをその少し前に知った。そこで、両親と一緒に、介護を受ける側の方々から、教えてもらっている大切なものを、形にしていきたいと思うようになった。

住み込み介護

そんな時、ご縁をきっかけに、大分県で、ステージ4のすい臓がんのお母様を自宅介護をしている方と出会った。出会ったばかりで、正直、その方の想いや志は、ちゃんとは把握できていなかったが、なんとなく、介護をしているということだけでなく、逆に大事なものを教えてもらっているということは共感できたと感じた。しかし、4月から、仕事の関係もあり、自宅介護が難しく、施設に入らなければいけないといことを知った。それが、とても悲しく、本当は自宅で一緒にいたいということだった。そして、改めて、自分自身に問いただしてみた。本当にみんなが笑顔になる道はないか?そして、両親と大分の息子さんに、数日後に、大分に住み込みで、介護というか、介護をしながら、いろんなことを教えてもらうという、「共育」というのをしてみないか?と聞いてみた。答えはすぐでた。私自身、出会ってまだ、数日の方の家に、神奈川から大分へ、母だけが、住み込みすることになった。

「共育」のメモ帳

私が大分のご家族と出会ったのが、3月25日。この時、大分のおばあちゃんは、歩いたりもしていたし、長い間の住み込みになるかもと思っていた。だから、脳幹出血の父が神奈川で一人になるので、家族のグループラインで毎朝の挨拶をすることを決めたり、ケアマネさんに連絡したり、準備を整えた。そして、4月2日、母が、神奈川から大分へいくことになった。出会いから、母が大分にいくまでは、時にして、数日だが、本当にいろんなことが起きて、いろんなことを話した。いい事も悪い事も全部、みんなが笑顔になるということを意識して、みんなで超えていった。
前日に、4月2日から、日々感じたことや、おばあちゃんに教えて貰ったことをメモしてもらうように、妻と一緒にノートを買いに行って、母にプレゼントした。しかし、その日の夕方、大分から連絡があった。
「もしかしたら、脳梗塞が再発したかもしれない。状況はかなり変わったが、どうしますか?」
私たちの答えは、「とにかく、行こう」これしかなかった。そして、母を連れて、妻と娘と一緒に大分に、4月2日の15時過ぎに着いた。おばあちゃんの呼吸が辛そうだった。正直、今日がもしかしたら、という話もあった。先週、一緒にご飯を食べたり、話したりしていたのに。そんな想いがこみあげて、少し、心が落ちていた。そんな時、2歳の娘が、おばあちゃんに、「こんちわ」と、笑顔で話しかけた。その場の空気が、一気に明るくなったのを覚えています。元々学校の先生だったおばあちゃん。これまで、寝たきりだったおばあちゃんの目が娘を追って、手も動いた。そして、いろんな人の声や行いに触れて、おばあちゃんが少しづつ、よくなっていくのを、感じた。言葉で、私たちが感じたことを上手く伝えられないのが、もどかしい。これが凄いとか、これが正しいとか、そんなことを言いたいのではなく、本当に、言葉では言い表すことのできないことが起きて、それをみんなで感じたということ。
そして、それから5日間、さらに、いろんなことが起きて、いろんなことを感じた。もう、ほんとうに、数か月くらい経った感じもした。何度も、キセキだと感じるようなことが起きて、4月6日、おばあちゃんは母と息子さんの弟さんの前で、旅立ちました。そして、母がおばあちゃんから教えてもらった、気づきのメモをもとに、あらためて母と話し合いました。


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「感じあう」

母と話し合う中で、私たちは、おばあちゃんから、「感じあう」ということの大切さを教えてもらったんだと気づかされました。このメモから、たくさんの対話をしましたが、それを言葉にするのはできないと感じました。みなさんも、よかったら感じてみてください。私は、「感謝を育みあう」という表現をしていましたが、これも感じあうだし、母は、「寄り添う」という言葉を最初使っていましたが、全部まとめて、「感じあう」というのが一番しっくりくるねとなりました。思い返せば、本当に、すべてが、「感じあう」ということを教えてくれていたんだなと実感しています。私たちも、そしておばあちゃんも、みんなが感じあっていた。そしてそのことは、あの時、一緒に過ごした方々は、きっと感じていることなんだと思う。言葉ではなく、実際に経験として感じあったからこそ、育みあえるのかもしれない。きっと、最後の最後まで、おばあちゃんは、私たちに、この「感じあう」という大切な気づきを教えてくれていたのです。本当にありがとうございました。

「恩と志」

おばあちゃんから教えてもらった、この「恩」をみんなで感じ、お葬式の翌日に、これまで一緒に育んできた仲間と家族のみんなで向き合い、ありがとうを伝えあいました。そして、この恩を未来に活かして、みんなで「感じあう」という生き方を道にしていこうと志にしました。この時はまだ、「感じあう」というコトバには出会っていませんでしたが、想いは同じだったと感じています。こうして、亡くなったおばあちゃんから教えてもらった恩を感じ、志として、未来に向けて、生き方として、みんなで道にしていくことができれば、きっと、いつまでも一緒に歩いていけるんだろうなと感じました。私たちは、この恩と志という道を文化にしていきたいと今日も話し合っています。

よし、これから、家族とみんなと一緒に、「感じあう」という、「介護」を超えた、「共育」という介護しあえる道を、創っていきたいと思っています。みんで一緒に感じあって、育みあっていきたいです!


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