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熊野古道

昨年10月末の大阪引越し以来、始めた事があります。それが熊野詣。新居がある大阪の中央区、散歩してると細い道の角にたまたま見つけたのか「熊野街道」の道標。大阪市が立ててる物ですが、和歌山の山奥と全くかけ離れた所に立ってるもので興味津々。ネットで調べたら、天満橋の京阪の裏、大川の岸から延々と熊野本宮まで続いてる道だと分かりました。
そういえば。。。小学校当時、近所に「小栗街道があってな、阪和線で途切れてんねん」と先生に聞いた遥か昔の記憶が浮かんで来ました。この大阪中央区の新居と実家近くが道一本で繋がっていて、さらに世界遺産になった和歌山の山奥まで繋がっている事に新鮮な驚きを持ちました。
調べたら、江戸時代の街道どころか、平安時代のお公家さん達から平民までが詣でたのが熊野さんだとか。丁度仕事を無くしての引越しという事もあり、これも何かのきっかけ。。。と思い立った訳です。少しずつ歩く距離を延ばしながら足腰を慣らせば、徒歩だけで熊野本宮まで繋がるかも?という軽い気持ちで始めました。
その細かい所は、達成時にでもシリーズで執筆したいと思います。

第一弾 天満橋→住吉大社 2020/11/15
※厳密には家のある松屋町から開始。其れ迄に自転車などで何度か天満橋→松屋町か通ってました。

途中あべのハルカスの上から歩いて来た方向を見下ろして撮りました。

第二弾 住吉大社→大鳥大社 2020/11/29
※鳳到着後、阪堺線で戻る為、浜寺公園へ下ったので少し距離は長めです。

到着時に大鳥大社の鳥居で一枚。秋祭りの宮入り動画をYouTubeで何度か見てますが、石畳が意外とガタガタしてて驚きました。

第三弾 大鳥大社→東岸和田 2020/12/12
※和泉市で山側へ寄り道してるのは、聖神社へ向かう際迷子しかけた部分です。

和泉市、聖神社境内での一枚。爽やかな朝でした。

第四弾 東岸和田→山中渓 2020/12/20

現存唯一の一里塚と言われる半田一里塚。一応実家の地元、貝塚市の歴史的な場所は一枚押さえましたw

4回目にしてついに実家近くまで到達。隣町岸和田からなのでスタート1時間で着いたので、勢いが付いて行けるところまで行こうとしたら、昼下がりに山中渓まで。事前の調べだと、この先が峠越えと分かっていたので此処で止めた訳ですが、ついに一回の距離が20キロを越えていました。

そして新年初回。和歌山県内突入と次第に増える峠越えを控えてトレッキングシューズを新調、2021年の個人的チャレンジとして先日行ってきました。

第五弾 山中渓→海南 2021/1/10

スタート地点、山中渓の石畳。

途中休憩した伊太祁曽神社。と、茶店で頂いたぜんざい。




本当は、往復の交通費の節約も考慮して、海南一泊で海南から先へ足を伸ばす事も考えたんですが、海南駅に着いた時、思いの外…脚が棒だったので、大人しく日帰りで戻りました(苦笑)それでも一日30キロはクリアしました。

コレで天満橋からの総延長で100キロも超えました。海南駅の少し南には、熊野一の鳥居跡もあり、いよいよ本格的な熊野古道の始まりとなります。峠道も増えます。まだ筋肉痛が収まらないし、もう少し間隔を空けてのチャレンジになりそうです。

延々歩いてて気付いた事がありまして。
例えば堺市内、仁徳天皇陵から一気に浜側に下ってまた南東方向に鳳へ向かいます。
貝塚市内から泉佐野市へは、何故かまた海側へ迂回する様に進みます。
そう、妙にジグザグ進むのが熊野古道の特徴。

江戸時代整備が進んだ東海道などの道は都市間の幹線道路だったので、しっかり街道として整備された道ですが、熊野街道は都市間では無く専ら参詣の為の道。それも平安時代。熊野詣でにはこの紀伊路以外にもアクセスルートが有ります。高野山を通る上級者向け小辺路、お伊勢さんから足を伸ばす伊勢路、紀伊路を南下した紀伊田辺からは人気の山間ルート中辺路と海沿いを回り込む大辺路。難易度からルート分けしてる緩さが有ります。
もしかすると。。。
お上が熊野詣でしたいから見て来いと言われた幹部が、実地調査して、有り物の生活道路から良いルートを繋いで整備したんじゃ無いか?と。天皇や公家が通る事で箔が付いて、沿道の庶民が盛り上がり、街道筋の施設、寺、宿場が整備されて、庶民にまで広まった。。。
と想像すると、ジグザグルートもまた楽し。と歩きながら思いましたわw

今年2021年の自分の恵方は南南東。
家から見ると、熊野本宮大社は正に恵方。
今年中に徒歩での詣でを達成して、お参りしたいものです。残り何キロあるんやろ?

ではまた改めてご報告を。

最後に、海南駅からたまたま乗った特急くろしおがパンダくろしおでしたw

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