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仙骨と私 その18

ここでまた大幅に時を遡ると、幼少期の私の家庭環境はなかなかハードだった。

元々かなりの神経質な上に当時はアルコール依存だった父が、とにかくいつ爆発するか分からない。父は音や動きにものすごく敏感で、ちょっとした物音や気配にも反応するから油断ならない。

私は物心ついた時には、泣かないのはもちろん、歩くのも喋るのも静かにそろりそろり、なるべく存在を消して父を爆発させないように振る舞う子供になっていた。

だけどどんなに気をつけても、全く予測できないきっかけで父は爆発する。家の中を端から端までビール瓶が次々と飛んだり、父が喧嘩を売ってしまったらしいヤクザが乗り込んできたり、今でこそ笑って話せるけど我が家は大変な日常だった。ここには書けないようなこともたくさんあった。

無邪気な子供時代、みたいなものとは無縁で育った私は自分の感情がよく分からない代わり、いつも目の前で起きることを淡々と頭の中で同時通訳のように文章化する癖があった。文章を読むか書くか考えるかしていないと、たぶん自分が壊れそうだったんだろう。

(そのおかげで、今でも文章を書くことは息をするぐらい簡単だ)

そこからもちろん順調に病み、そうしてこれまで話したような諸々を経て27歳でやっと人間になった私には、体を使った自己表現なんて思いもよらないことだった。

文章ならいくらでも書けたけど、溢れ出す踊りも、溢れ出す感情も、そもそも自分の存在を主張すること自体、それまで生きてきた自分とはあまりに真逆だった。

物心つく以前から抑えて抑えて抑えてきたものが、あの日皿洗いの最中に、仙骨から爆発したのだと思う。

今生で初めて出会う「本来の私」だった。

この劇的な出会いのために、極限まで自分を抑える環境を私は選んで生まれたのかもしれない、と今は思っている。対極を体験するために。

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