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やさしさって、なんなのか。

突然だけど「やさしさ」の話をしたい。最近も、「本当のやさしさとは」を考えている(昔からこんなことばかり考えているわけですが)。


たとえば、ある人が、別の人から見たら「うーん、それはどうなの?」と思うような行動をしているとしよう。

その行動の背景には、周りからは見えにくい『何か』が必ずある。
それは、外的要因だったり、内的要因だったりするが、内的要因の場合は特に『見えにくい』。認知特性、行動特性、思考特性、パーソナリティ、価値観、生きてきた中で身につけたビリーフなど。また、誰だって大小なんらかのトラウマを持っており、それが行動に影響を与えている。

そして、ご本人もそれらに気づいてないことが、ほとんどである。

それを、表面的に見えている部分だけで「こいつはこうだから」と決めつけ、「あれはだめだ」「こうした方がいい」とアドバイスや矯正をしようとする。これが一番、意味がない(成果が出ない)と私は思っているし、なによりも、自分とは違う体と心を持ち、自分とは全く違う人生を生きてきている他者への、配慮・敬意に欠けるまなざしであり、行動だと思う。


「私から見えているあなたは、こういう行動をしていて、こういう結果になっているように見える」 

「そのことを私は(一面的にしかあなたを知らないけれども)、こう捉え、こう感じている」

「あなたにとっては、どうだろうか」「あなたのことを、教えてもらえないだろうか」

「あなたの抱えている問題が解決するように、状況が前進するために、何か、手伝えることがあるだろうか」

このスタンス、関わりが、私は、本当のやさしさではないかと思う。


仕事柄、社長や部長クラスの方の、マネジメントや人材育成、組織の人間関係のお悩み相談に乗ることが多い。もっと具体的に書くと、「◯◯さん(←個人名)に困ってる」という話である。

ご相談いただくクライアントは、当事者すぎて必死すぎて、わりと近視眼的になっておられたり、ご自分のものの見方(認知)からどうしても離れられなかったりする。これは誰であっても、どんな問題であっても同じだし、責任が重ければ重いほど、自力ではどうにもならないほど雁字搦めであられたりする。
 
だからこそ、外部の専門家が役に立つし、持ち込む「やさしさ」が力になり、問題やそこに直面している人たちの意識を変えていけるのだと思う。


ここからは、心理学の人として書く。

多角的に相手を見る・視る・診るのが【アセスメント】であり、

適切にアセスメント〜支援をするために必要な在り方が【カウンセリングマインド】であり、

対話(傾聴、承認、質問などの基本的態度の上に重ねられる)を通じて、ご本人に内的・外的な世界を表現いただき、そこから気づきを得てもらうために使うのが【カウンセリングスキル】であり、

出てきたものの整理を手伝って、どこから何をするのかの絵を描くのが【コンサルテーション】であり、

実際の行動をご本人に決めてもらい、その背中を押すのが【カウンセリング】や【コーチング】である。


わたしたちは、外部の人間だからこそ、問題に、内情に影響を受けない「やさしさ」を持ち込める。そして、人に、組織に、人と人との間に必要なのはやはり、「やさしさ」ではないかとつくづく思う。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。