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猫また

高校の時、教科書に載っていた「徒然草」に自分で少し手を加えての掌編です。
と言っても、ほとんど意訳ですね。内容そのまま。
「徒然草」って面白いな、と思ってもらうきっかけになれば幸いです。

猫また、よく現代の創作にも出てきますね!
昔は電気というものがなかったので、夜に歩くとなると本当に真っ暗だったと想像します。
その闇の中にこそ、昔の人は妖怪や化け物をリアルに感じ取ることができたのでしょう。

わたしは大学も文学部国文学科。
専門は中世文学で、卒論では「今昔物語集」について書きました。
古典は長く触れてきて大好きなので、また別の作品でも何か取り上げられたら嬉しいです。



「聞いたかね。また山奥の方で人が一人、行方知れずになったそうな。あいつさ。あの化け猫がまた出たんだ」
「へぇ、恐ろしい。いったいこれで何人目かね」
「何人喰ったってあれの胃袋は底なしだ。膨れやしない。おっかないねぇ。次は誰が喰われるのかね」
「あんた、他人事ではないよ。この辺りでだって長く生きた猫が化けて出て、人を喰っちまう事が、あるそうじゃないか」
 小(こ)川(がわ)の向かい、寺の内での立ち話の横を、とある法師が行き過ぎる。
「まったく夜の一人歩きには気をつけないとな」
「ああ、いやだいやだ。指の一本もかじられたくないもんだ、猫またにはよ」
 
 猫また。「目は猫のごとく、その体は犬の長さのごとし」。尾が二股に分かれていて、よく化け、人を喰らう。
 近ごろ、この怪獣があちこちで悪さをしているらしい。この革(こう)堂(どう)(行願寺)の僧に仏の教えを聞きにくる庶民らの間でもまことしやかに猫またの噂が流れ、ひどく恐れられていた。
 法師は寺の外へ出て、正体のない噂話から遠ざかった。
やれやれ。何が猫まただ。
ちょうど目の前を横切ろうとする、太った猫を見つめた。
どうせ種もない噂に決まっているわ……。
 すぐ近所にある家に着いてしまうと、法師は飼い犬の餌の世話や連歌のことで頭をいっぱいにした。そういうわけで、法師の中から猫またのことはすっかり抜け落ちてしまった。
 
 それからほどない、ある夜の出来事だった。
 法師はもう遅い時刻に、一人小川に沿って家路についていた。
 月はまだ新しく、影は弱い。か細い月光が雲に覆われてしまえば辺りは夜目も利かない暗闇で、川を流れる水音だけが耳についた。
 法師は機嫌よく、先刻皆に披露した歌を口ずさんでいた。懐は今夜連歌の会でもらった賞品で暖かい。歩くたび扇だの小箱だのが、かちゃかちゃと音を立てる。
 法師はふと足を止めた。
生温い風が吹き抜け、雲が月を消す。
ちょうど革堂の門前だった。
暗がりの中、首を傾ぐ。懐の物音に、小さな足音が重なって聞こえた気がしたのだ。
 水の流れる音にじっと耳を澄ませた。
 ぱた。
 ぱた、ぱた。
 確かに四本足の獣が歩く、軽い短い足音がついて来る。
(馬鹿な)
 法師は息を潜める。
(くだらん噂のはずだ)
 ふいに法師の頭の中に、先日聞いたあの怪獣の名前が浮かんでいた。
 つと冷や汗がつたう。耳の奥で鼓動が速まる。
 ぱた。ぱた。ぱた。
――あれの胃袋は底なしだ。
ぱたぱたぱたぱた。
――次は誰が喰われるのかね。
ぱた。
 背後で足音が止まった。猫またの荒い息遣いが聞こえるようだった。
 法師はゆっくりと振り向いた。
暗闇の低い位置で、ふたつの目玉が閃(ひらめ)いた。
 
 法師は悲鳴を上げて駆け出した。
 それを猫または三歩と行かせず飛びついて法師の首の辺りを喰おうとする。
 法師は正気を失って小川に転がり落ちた。
「助けてくれぇ。猫まただ、ようよう」
 夢中でもがいていると、やがて松明を持った人々が何事かとやって来て川を覗き込んだ。
「これは、これは」
 いつぞや猫またの話をしていた男が、法師を引っ張り上げた。その拍子に、懐から品物が水に落ちてしまった。
法師は必死にそれらを拾い集め、やっと硬い土を踏んだ。
「坊さん、いったいどうなすった」
すると法師は息も絶え絶えに訴えた。
「猫まただ。わしはあの化け物に襲われたんだ。あんた、前に話していただろう」
「猫また」
 たちまち男は笑った。
「そりゃ、あいつのことを言っているのかね」
 
 東の空が白み始めた頃、水のしたたる賞品を抱え法師はようやく家に入った。
 実は法師の飼い犬が、暗いけれど主人とわかって飛びついてきたということだった。
 この話は町中に笑い話として広まり、法師はこのあと長くみじめな思いをして過ごすことになったそうな。
 

「徒然草」 第八十九段 より

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