フジマルママ(藤原由美子)

川崎市溝の口にあるクラフトビール店「フジマルクラフト」&2号店クラフトビールと…

フジマルママ(藤原由美子)

川崎市溝の口にあるクラフトビール店「フジマルクラフト」&2号店クラフトビールとベトナム料理の店🇻🇳「フジマルサイゴンプロパガンダ」オーナーシェフ。 2013年に専業主婦から起業し、出版、デザイン、飲食など手がけるスタジオクリップ株式会社運営。59歳。

マガジン

  • 日本人の私がベトナム料理屋を始めたワケ

    日本人の私が、ベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたきっかけは、7歳の時、近所を走る電車の踏切に爆破装置が仕掛けられたことでした。 ベトナムを追い続けているうちに、ベトナム料理にハマり、夫のリストラを機に始めたクラフトビール屋でベトナム料理を提供するようになり、ついにはベトナム料理専門店を開店することになりました。 違う仕事をしていても、好きなことは、いずれその人の生活を支える糧として目の前にチャンスが訪れるのではないかと思います。 子供の頃から好きなことがある人、最近ハマった何かがある人ににぜひ、読んで欲しいです。

最近の記事

フジマルがアピアランスケアについての請願書を川崎市に提出するワケ

こんにちは♪ フジマルママです! 2024年3月、フジマルは川崎市議会へアピアランスケア助成金についての請願書を正式に提出いたしました! なぜ、一介のビール屋の私が行政に向け請願書を提出することになったのか? また、現在住んでいる自治体にアピアランスケアについての助成制度がなく、困っている方の参考になればと、請願書提出までの道のりについてお話しします。 フジマルユーザーが乳がんに アピアランスケアという言葉をつい最近、知りました。アピアランスケアとは、国立がんセンター

    • フジマルのブルワリーめぐりの旅

      こんにちは。 フジマルママです🙋‍♀️ 本日9月25日(月)、埼玉県比企郡にあるTeenage Brewingさんに行って来ました! ブルワリーのお名前の由来ですが「十代の頃に音楽を聴いて感じた驚きや衝撃をビールの醸造に込める」という思いから名付けたそうです。 代表を務める森さんは、2拠点のライブハウスの経営者&ミュージシャンとしても活躍されており、斬新かつ独創的なビール作りの原点になっているのは、アーティストとしての好奇心や探究心なのだと感じました。 また、2年の歳月

      • フジマルが「爆音割烹」を開催しようと思ったワケ 

        こんにちは。フジマルママです。 2023年7月15日(土)に開催されたイベント「爆音割烹」のインスタ投稿をまとめてみました。 皆さんの職場にろう者の人はいませんか? どうやってコミュニケーションをとったらいいかわからなかったら、ぜひこの「爆音割烹」を参考にしてみてください。 案外、相手のろう者の方も「どうやってコミュニケーションとったらいいのかな?」と悩んでいるかもしれません。 その解決方法は、意外にもアナログで単純です。そして、誰にでもできる。 いざ行動してみると、昨日ま

        • 新成人をサポートする「振り袖バンク」を立ち上げたい!

          大人にとって成人式は対岸の火事? 世の中には様々な理由で成人式に参加したいけれど、できない多くの新成人がいる事を皆さんご存知でしょうか? コロナ以前、「荒れる成人式」がマスコミに取り沙汰される事が多かった記憶があります。 ド派手な和装で「荒れる」新成人達を煽るマスコミ、その報道を見て彼らを冷笑するのが、毎年の恒例行事となり、それが成人式の象徴となっていたような印象があります。 中高を通して友人があまりできなかったり、大学の試験を優先したり、そもそも式典に興味がないなどの

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        • 日本人の私がベトナム料理屋を始めたワケ
          5本

        記事

          「実家フェス」開催!ケアリーバーを通して見えてきた「みんなの自立」。

          戦後ヤミ市の面影を残す溝の口。南北に広がる川崎市のほぼ中央に位置するこの街でクラフトビール店「フジマルクラフト」を始めて丸8年になります。 フジマルクラフトは、開店した翌年の2016年から現在に至るまで、児童養護施設への寄付など子供を中心とした支援活動を2023年の今日にいたるまで継続して行なっています。 なぜ一介のビール屋の私が、子どもへの支援活動を行うようになったのか? そのワケは、私の生い立ちと深いつながりがあるのです。 私はハードなDV家庭で育った 「もうこん

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          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(5)

          1990年。 ベトナムからバンコク経由で成田に帰国する機上で、私は自分の身体に異変が起きているのを感じました。 厳密に言うとベトナム入りした直後からずっと微熱が続いていました。 マラリヤや破傷風などいくつものワクチンを打ってから出国していたものの高熱と激しい動悸、締めつけられるような胸痛があり、帰国した翌日、病院で検査を受けます。 検査結果は、「多種類の細菌による心臓の衰弱」。 心筋梗塞を起こさないよう半日入院して、点滴することになりました。 あらためてインフラ整備の大

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(5)

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(4)

          1990年、念願のベトナム入りを果たした私が見たホーチミン市内の様子はどのようだったかについて今回はお話します。 外国人が珍しかった時代ホーチミン1区は、今でこそハイブランドのアパレル店舗が立ち並ぶ市内の中心部ですが、1990年はアスファルトの道は少なく、バイクが土埃を巻き上げ、スコールの後はぬかるみで足元が泥だらけになりました。 自動車に乗るのは外国人かよほどのお金持ちだったので、市民の足はバイクか、自転車、シクロでした。 どこへ行っても車から降りると、途端に大勢の子供

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(4)

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(2)

          前回お話した「南武線発火装置事件」の4年後の 1975年4月30日。北ベトナム軍のサイゴン陥落によりベトナム戦争は事実上、終結します。 ベトナムは社会主義国家としての新たなスタートを切りますが、内戦が始まり更なる犠牲者を出し続けます。 報道写真が伝えたベトナム戦争 「安全への逃避」というベトナム戦争を撮影した写真でピューリツア賞を受賞した沢田教一というカメラマンを皆さんはご存知でしょうか? UPI通信社の契約カメラマンとして1965年にベトナム入りした彼は、翌年の19

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(2)

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(3)

          ベトナム戦争が終結したのは1975年ですが、第三次インドシナ戦争と呼ばれるカンボジア、中国との国境紛争は1990年まで長引きました。 そんな軍事政権下の1990年、私は1人でベトナムへと向かったのが前回までのお話。 戦後間もなかったベトナムでの国営公社の監視付きの窮屈な旅についてお話する前に、バンコク経由ニャチャン行きの飛行機の中でのエピソードをひとつ紹介します。 ベトちゃんドクちゃんの担当医師と隣り合わせて タイのバンコクからベトナム中部の海沿いに位置するニャチャン

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(3)

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(1)

          ベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」の企画、立ち上げからもうすぐ3年が経とうとしています。 店舗で調理をしていると、お客さまから、 「どうしてベトナム料理の店を始めたのですか?」 と毎日のように聞かれます。 私だけでなく娘やバイトのナナちゃんもあまりに質問されるので、 「いい加減にママ、店の成り立ちをnoteで説明して!」とついにお叱りを受けました(涙)。 なのでプロパガンダが出来るまでの長い道のりについて、お話することにします。 きっかけは1971年。南武

          私がベトナム料理屋「フジマルサイゴンプロパガンダ」を始めたワケ(1)

          「生理の貧困」その後。生理用品1000パック500人分を川崎市のご協力で配布することが決定いたしました!

          どうも!フジマルママです! 前回noteに書かせていただいた記事、若者の5人に1人が「生理の貧困」に驚愕したフジマルが今、すべきことをお読みいただいた皆さん、ありがとうございました❣️ 想像以上のnoteのチカラいやー、noteのチカラって本当に凄いですね!思っていた以上に反響があったのでビックリしました。 募金方法についてフジマルにお問い合わせくださった方、直接フジマルにお越しいただいて募金にご協力くださった方、フジマル2号店プロパガンダにて募金にご協力いただいた方、n

          「生理の貧困」その後。生理用品1000パック500人分を川崎市のご協力で配布することが決定いたしました!

          若者の5人に1人が「生理の貧困」に驚愕したフジマルが今、すべきこと

          「生理の貧困」2021年3月10日。豊島区が防災備蓄品である生理用品730パックを生活に困窮する女性に配布するというニュースを目にしました。 生理用品の軽減税率署名活動などを行う慈善団体「#みんなの生理」が今年3月、高校生以上の女性を対象にしたオンライン調査によると、解答した671人のうち20.1%の若者が「金銭的理由で生理用品の購入に苦労した経験がある」と判明しました。「金銭的な理由から生理用品でないものを生理用品として使用した」という解答も27.1%にのぼりました。

          若者の5人に1人が「生理の貧困」に驚愕したフジマルが今、すべきこと