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ジェットコースターに乗っていると気がついたのは12年後だった話

生きてます、藤森愛です。

8月よりライブキャンセルが続いてしまい、皆さまを驚かせてしまったかと思います。予定に入れて楽しみにしてくれていた皆さま、その日を作るためにずっと準備をしてくれていた皆さま、本当に申し訳ありませんでした。ファンの皆さま、先輩方や友達、色んな方から連絡をいただけて心救われています。

これからお話しすることは別にわざわざ言わなくてもいいことで、人によっては言わない方がいいと思うかもしれません。でも私はこれまでずっとファンの皆さまには今思っていることや、何をどうやっているかは全てさらけ出してきたつもりで、それを知ってもらった上で応援してもらえたら嬉しいというスタンスでやってきました。なので今回のことだけは話さずに何事もなかったかのように復帰するのは、自分の中で辻褄が合わなくなってしまうなと思いお伝えすることにしました。


私は根暗でネガティブですってよく言ってるのですが本当にそうで、1年の内の大半を鬱モードで過ごすんですね。これを言うと毎回驚かれるのですが、私ってダメなやつがデフォルトです。来世は感情に左右されない鳥になりたいとよく思っています。できれば誰にも狙われないやつがいいです。鷹とか鷲とか(ぜいたくっ!)

そんな鬱モードももう付き合いが長いですから、とっくに手なずけて仲良くやっていると思っていたのですが、ここ数年はコントロールできないほどの深い鬱に襲われることがよくありました。ランニングしたり、早起きしたり、食事に気をつけたり、鬱にはこれがいい!とされることは全部やっていて、もはや医者も突っ込めないほどの健康対策包囲網。徹底的に調べて試して攻略していくのが好きなんです。それをすると体にどんな作用があって、脳に何が分泌されるのかってところまで調べます。学生の頃の自由研究とかすごく褒められてたタイプです(笑)それでも防ぎきれなくて、過ぎ去るのを静かに待つしかない時がありました。

その包囲網を完全に突破されてしまったのが8月頭。パニック状態が2週間続き、これはもうライブ本番には間に合わないと判断して、自分の誕生日の日にキャンセルを決断。なんて誕生日なんだ…と絶望しつつ(たくさんのおめでとうメッセージをありがとうございました)、数日後には、まあ来月には復活できるだろう!という謎の自信。ついこの間までパニックだった人間のどこからそんな自信が湧いてくるのか。まじおまいう。病院には絶対に行かないと決めていました。これでも12年目のプロ鬱ですので、どんな薬が処方されて、日々どんな生活をすればいいのかは分かっていましたから。だから私は「こんなにやっているのにおかしい!!!」と思っていたわけです。

そんな時、心配して連絡くださった先輩がとある精神疾患について話してくださり、調べる癖の私はまたなんとなく調べてみました。それは「双極性障害」という何でもできると思う躁状態と、何にもできないと思う鬱状態を繰り返す病気。そこで私はふと思い出しました。今まで鬱ばかり気にしていたけど、躁は考えたことがないと。


何でもできると思う無敵な時期が確かにあるけれど、それはただ調子が良くなっただけで、ようやく本来の自分を発揮できる時がキター!と喜んでいました。調子が良くなると私はとても調子に乗ります。つい数日前までパニックだったのにもう大丈夫!とか言って新しいプロジェクトを始めようとしたり(それが今回)、日本中飛び回ってライブをやり続けたり、40曲レコーディングし続けたり、一人でニューヨークへ行ったりします。表向きには調子がいい時しか見せないので分からないようになっているのですが、この間には必ず鬱があって、ずっと鳥になりたいって思ってる時期があるわけです。例えて言うなら、いつも次のビッグウェーブが来るのを待っているサーファーみたいな感じ(笑)海は見る専で、泳ぐ専ではないのですが。

調子がいい私は躁?え、躁なの?あれが本来の私じゃないの?と信じたくない気持ちでいっぱいになりながらも、調べても調べても身に覚えがあることばかり。「いえーい!私はなんでも実現できる!くよくよしてる暇があったら今すぐ動こう!まずはそれからだ!絶対上手く行くから!」と自信満々な状態から、「私はまじでダメなやつだ。なんにも続かないし、すぐに落ち込んじゃうし、この人生に意味なんてない。鳥になりたい。」って状態になります。まじおまいうパート2。

今は客観的になれているから意識的に思い出せていますが、鬱の時は躁の自分を忘れているし、躁の時は鬱の自分を忘れています。なので躁鬱があると気がつけるまでには約4〜10年かかってしまうそうです。私はこれまで鬱の自分をなんとかしようと鬱のことだけを考えてきました。鬱を治せば無敵になれる。ずっとやりたいことをやり続けられる。早く鬱を終わらせなければ。元気になれよ!死体蹴りっ!みたいなことをしていたんですね。躁の時はもうそれはそれは世界が輝いて見えますから、落ち込んでいたことや、後に死体蹴りを始めることすら忘却していますので、とことん好き放題散らかしていきます。そうやって躁のエネルギーにあやかって出来たことがたくさんあります。途中で破綻しそうになりながらもこれまでやり切れたのは、周りにいる人たちや環境に恵まれていたからです。途中で鬱に入ってしまった時も、周りの人たちに支えられてきました。感謝しかありません。

「どこからそんなエネルギーが湧いてくるのか?」と質問されるのに対して、「なんかよく分からないけど頑張らなくても湧いてくる」と曖昧な回答をしていたのですが、正解は「躁状態なう」でした。12年越しの答えです。

私はすでにラピッドサイクラーという躁と鬱の周期が短くなっている状態で、ジェットコースターの急上昇と急降下を繰り返している感じに近く、一見楽しそうにも見えるのですがやはりずっと乗っていると気が狂うもので、このままでは身が持たないと危険を感じ、もう絶対に行かないと決めていた病院へある程度の確信を持って行きました。もはやテストの答え合わせをしに行くような感じで、これで違っていたらまた迷宮入りしてしまう!とそっちの意味でドキドキ。そこで「双極性障害II型です」と診断されてスッキリしたというか、納得したというか、これでようやく前に進めるような気がしました。


でも同時に新たな悩みも発生しました。それは「これって病気なの?」問題です。双極性障害は治らないとか、一生薬を飲み続けなければならないとかやたら重くて暗いことを言われているのですが、私はこれを単なる「病気」という言葉で片付けてしまうのはなんだか違う気がしたのです。病気と診断されて安心する人も確かにいるでしょうし、躁と鬱の反動に耐え切れず自殺してしまう人が多いのも事実です。なのであくまで私個人的な感想なのですが、「これまでの自分は全て病気のせいでした。だから薬を飲んで抑えましょう。」と全てを否定されたような気分になったのです。日本中飛び回ったのも、40曲レコーディングし続けたのも、一人でニューヨークへ行ったのも病気のせい?って。唯一肯定できていた躁の自分を無くそうとしているわけですから、この先一体何が残るのだろうと…。だからどうにかこうにか上手く付き合っていく方法はないものかと考えました。このままでは波の来ない海でサーフボードの上にまたがり、嗚呼、あの波は良かったな…とぷかぷか漂うだけのサーファーになってしまう。

そんな悩みに答えてくれたのが、坂口恭平さんが書かれている躁鬱大学です。

いつも大きな波に怯えながらもそれが忽然と消えてしまう、そんな世にも奇妙な物語を全て語源化してくれていて、まるで自分のことを話してくれているかのよう。躁鬱に心当たりのない人が読むと理解不能だと思うので、読まないことをオススメします(笑)これは躁鬱人が躁鬱人として生きていくための躁鬱人取り扱い説明書みたいなもの。私は私が躁鬱人であると気がつくまでに12年もかかってしまったので、自分と同じように悩んでいる人が気づけるきっかけになったらいいなという思いもあり、このnoteを書いています。


今は降りられないジェットコースターに乗っている状態なので、もう少し上手に波を乗りこなせるサーファーになれるように薬を飲んでいます。このnoteしかり、クリエイティブな作業はいつも鬱を支えてくれるので、できる範囲でやっていこうと思っています。むしろこの激情の波の中をなんとか生き抜いていくために身につけたクリエイティブなのではないかと思っています。そしてどうせこの鬱を忘れてまた新しい何かをやり始めてしまうと思うので、その時は止めていただくか(笑)応援していただけたら嬉しいです。たまにやってくる季節ものみたいな、夏に見られる花火みたいな感じでいていただければと思います。

「何もできない私は私じゃない。何でもできる私が本来の私である。」それは間違った解釈でした。

「何もできない私も、何でもできる私も私である。忘れちゃうから思い出してね!」でした。

なのでこれからは、何もできない私を隠すのはやめることにします。その一歩がこのnoteです。きっと無敵な人は存在しません。皆んなどこかでバランスを取っていて、人それぞれの偏り方があります。私はこれまで偏りすぎているのがしんどくて平らにしようとしてきましたが、偏りを理解さえすれば偏ったままでも生きていけると思えるようにしたいと思っています。忘れないうちにここに書いておきますね(笑)


ここまで長い文章を読んでくださりありがとうございました。



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