見出し画像

海の街へ移住したら

伊東へ移住して1年が経ったので、今しかないこの新鮮さをパッケージングしておくためにも、初めの1年で起きたことをまとめておくことにした。


伊東市は約半分が国立公園になっていて、国際観光温泉文化都市にも指定されている自然豊かな街。私が暮らしている「新井」という場所は、特に古い街並みが残っている漁村で、道端で干物が干されているのが当たり前の風景。高齢化が進み、空き家も増えているけれど、私がここでしか感じ取れないものが確かにある。



勝手に健康的な生活になる

早寝早起きはしたくてもできなかったことの一つ。毎日早起きするぞ!と気合いを入れても、数日後にはまた元通り。でも田舎あるあるで、伊東にあるお店は早い時間に閉まり、街全体が寝静まってしまうため、自分も周りに合わせて昼型の生活になる。何より海や山などの美しい自然を楽しむには、よく見える昼間の方がいい。暗闇で煌びやかに輝くネオンもいいけれど、陽の光の中で広大に息づく自然のもとにいた方が、身体の喜びを感じられるようになった。海の幸も山の幸も新鮮なため、加工されたものではなく、素材そのものを楽しみたいと思うようになる。温泉都市のため、各地域には歩いて行ける距離間で大衆浴場があり、区民であれば120円ほどで入れてしまう。毎日身体の芯まで温めて、お肌もツルツルになれば、ファンデーションも必要なくなってくる。目に入る美しい景色と、口に入れる新鮮な食べ物と、身体の内側から温めて綺麗になれる温泉によって、頑張らなくても勝手に健康的な生活ができてしまう場所だ。


ストレスを抱えなくなる

伊東は自然に溢れているため、普通に生活しているだけで常に自然の音を聞いている状態になる。そのおかげで脳がリラックスしているのか、漠然とした焦りや悩みを抱えなくなった。これからどうしよう…なんて考え込んでしまう日もあったのに、なんとかなるさと楽観的になっている。ストレスが溜まってくると、用もないのにコンビニへ入って余計なお菓子を買ったり、洋服をまとめ買いして発散していたけれど、そもそも近所にはコンビニも洋服屋もない。海や山を眺めて、新鮮な食べ物を食べて、温泉に浸かれば大抵のストレスは消えていく。そして消えていくどころか、だんだんとストレスそのものが生まれなくなっていった。いっぱいいっぱいになってしまった気持ちを必要がないもので覆い被せて隠しても、先送りにしているだけで解決にはならない。ここでの暮らしはストレスを解消できるというよりも、ストレスそのものを作らないようになると感じている。


孤独を感じづらい

田舎は狭くて、人付き合いが面倒くさいと言われることがよくある。あまりにも田舎すぎると私でもコミュニティへの入りづらさを感じてしまうかもしれないけれど、伊東は観光地であるがゆえに外からよく人が来るし、移住者も多いためコミュニティへ入りやすい。中でも新井は漁村のため特殊な地域らしいけれど、高齢者地域だからこそ、若い世代を歓迎してもらっていると感じる。近所付き合いが減り、隣人は挨拶もしてくれず、SNSのいいねばかりを気にするようになった現代では、ご近所さんが挨拶してくれたり、行きつけのお店で顔を覚えてもらい世間話ができることは、孤独を感じづらくさせるためには大切なことなのだと知った。この場所に自分が存在していると認知するために、存在してもいいと思えるために必要なのは、大きな成功体験ではなく、地域での何気ない小さな交流だった。渋谷のスクランブル交差点にいても孤独を感じるように、人が大勢いればいいというわけではないのだろう。自分にとっての小さな社会を作り上げることが、孤独を感じづらくさせる方法の一つなのだと思った。


アーティストにとって理想の環境

最前線で戦うためには、東京が一番だと思っていた。実際にレベルが高いものは東京に集まりやすい。でもその分、常に比較や競争をしてしまい、創作をしているというよりも、のし上がるためのツールを作ろうとしていたような気がする。自分で言うのもなんだけどアーティストは繊細で、ちょっとしたことを糧にしたり、傷ついたりする。だからあまりにも刺激が強い場所へ身を置いていると、そのセンサーがバグってより強い刺激を求めるようになったり、防衛本能で感じ取らないように拒絶すらしてしまうように思う。人が感じ取りにくい些細なものを受け取れる体質だからこそ、自然により近く、弱い刺激の中へ身を投じていた方がむしろ創作意欲が湧いて、純粋に作りたかったものに気づけるようになったと感じている。この1年で作ったものは音源4曲、風景画43枚、文章130本以上、依頼の仕事もいくつか。それでもやっぱり最先端のものに触れるのも大事だと思うので、電車や車で2時間〜2時間半あれば東京へ行ける、伊東のほどよい距離感はありがたい。自分にとって適した創作場所と発信場所を分けたことは、アーティストの私にとって本当に大きなメリットになっている。


空白の時間を楽しむようになる

地下鉄が3分に1本の頻度で来るような場所で私は育った。都会は何でも早くて便利だ。だからスムーズにことが運ぶのが当たり前の日常で、少しでも遅れたり上手くいかないことがあるとイライラしていたと思う。だけど伊東は、バスが1時間に1本しか来なかったり、電車の乗り換えに30分待つのはザラで、不便が当たり前の日常。だから急がずに待つ、という行為が私の生活へ入ってくるようになり、急いでいたら気がつかなかったであろう景色の変化が分かるようになった。移り変わる空や山の色、季節ごとに咲く花や旬の野菜。向かわず待ってみることで、身の回りで過ぎ去っていく自然を感じ取れるようになったことは、便利さで得られることよりも幸福度が高いように感じる。穏やかでゆったりとした人が多いのも、その生活から得ているもので心が満たされているのもあるのだろう。私自身も久しぶりに会う人から、穏やかになったと言われるようになった。

新井の朝
新井の昼
新井の夕方
新井の夜


自分に合った街を

なんだかいいことばかり並べてしまったけれど、要は合う合わないで、人によってはここへ書かれていることは全てデメリットにもなると思っている。私には伊東が合っていただけで、そんな自分に合った街を見つけられたのは本当にラッキーだった。私が今、唯一困っていることと言えば、いいところすぎて伊東から離れられなくなってきていることかな(笑)大好きな海まで徒歩3分の、東京のワンルームより安い家賃の一軒家で干物を食べながら、自然に溢れた不便な生活を今日も楽しんでいる。皆んなそれぞれ、自分に合った街はきっとどこかに。



この記事が参加している募集

この街がすき

頂いたサポートは活動のために大切に使わせていただきます。そしてまた新しい何かをお届けします!