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東京芸術劇場で日本フィルの演奏を聴いたこと、映画3本見たことなど

私は、ちょうど1年前、東京藝術大学や桐朋学園大学に在籍、または、卒業していた若手ピアニスト7人の演奏をまとめて聴く機会がありまして、場所は、確か銀座のヤマハホール

藝大、桐朋など入学すら難関なのに、その上、修士だったり留学だったりという研鑽を重ね続けている方々の演奏を次々と聴いたわけで、いや、もう、7人の演奏はどれも見事すぎて、私が聴いた限りでは、優劣などつけられず、ただただ、7人の演奏は素晴らしかった、という思い出です。

そして、7人の演奏を聴きながら、この中には後に頭角を現してくるピアニストが含まれているのだろうな、と、うすうす感じてました。

2024年2月27日(火)14時、

池袋の東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団が演奏するグリーグ(1843-1907)のピアノ協奏曲(イ短調、作品16)を聴きました。

ピアニストは秋山紗穂さほさん。(演奏中、演奏後の写真はこちら、グリーグ「ピアノ協奏曲」の冒頭を練習している動画はこちら

ということで、めきめきと上達し、活躍の場を広げているピアニストの秋山紗穂さんは、1年前、私が銀座のヤマハホールで聴いた7人のうちの1人だったのです。

秋山さんは、この3日前、2月24日(土)にも、ミューザ川崎シンフォニーホールで(こちらの写真のように)演奏会に出演していたようで、もう、今や、24日(土)、27日(火)と1000人超えの会場でピアノ演奏するほどグレートなピアニストです。

そんな、秋山さんはまだ先生から教えを受けている立場でしょうか、それとも、もう既に先生を超えた演奏家になっているのでしょうか?

えー、何を考えているかと言いますと、

教える側と教わる側、上下の立場、師弟関係、それが逆転するとどうなるか・・・

最近、そんなことを考えさせられる映画を何本か見たものですから、つい、演奏を聴きながらピアノの世界の師弟関係についても思いをはせました。

その映画とは、

まず『落下の解剖学』、雪山の山荘で転落死するフランス人作家の男性、以前はこの男性が教える側で、ザンドラ・ヒュラーによって演じられる妻が教わる側のドイツ人作家だったのですが、様々な問題を抱え、さらに、夫の挫折、妻の成功などで折り合いが悪くなり、師弟関係は逆転、家族のバランスが失われてゆくことが事件後、法廷で徐々に明らかとなります。

よどみなく言いたいことを言い争う、あの夫婦喧嘩のシーンをもう一度見たい、と思うくらいの熱演でした。


次に『哀れなるものたち』、エマ・ストーンが演じる自殺した女性が天才外科医により蘇生し、新生児の脳を持つ大人として自由と成長を求めて旅に出る物語で、旅に連れ出す男が教える側、それについてゆく女性(エマ・ストーン)が教わる側で「ピグマリオン」とか「マイ・フェア・レディ」という話しのように(予想通り)上下関係が覆ります。ただし、それは全体の奇想天外なストーリーからすると、ほんの一部分。

12音階からはずれた音を使う音楽がとても効果的で、ときには間抜けに、ときには不気味に響きます。ダンス音楽もダンス自体も独特でした。(ダンスシーンはYoutubuで公開されていて、こちらです)

人によっては見たくないシーンもあるかと思いますが、私の場合、メスで身体を切るシーンなどは直視できません、次のシーンまで目をつぶりました(これが私の映画鑑賞法)。


さらに、もう1本、

バービー』、完璧な夢の国「バービーランド」で暮らすマーゴット・ロビー演じるバービーが、人間の世界に迷い込んで自分の存在意義を見つける物語り。

人間の世界ではバービー人形の玩具メーカーであるマテル社が男性優位だったり、バービーが人間の世界に迷い込んでいる間に、いつの間にか「バービーランド」も男性優位の社会にされていたり、その矛盾や混乱を解決し、上下関係を修復してゆきます。

そして、この作品は劇作家イプセン(1828-1906)の戯曲「人形の家」と同様に「人形と人間との違い」について考えたり、さらに、「なぜ生まれてきたか」、「(生きるために)どういう選択をするか」など、笑わせながら訴えかけます。

最後に、

ノルウェーの劇作家イプセンと作曲家グリーグは「ペールギュント」という作品を完成させるために手紙をやり取りを始め、作品の完成後も文通が続く、尊敬しあう仲だったそうです。

そう、上下とか、師弟という関係は気にせずに、お互いに尊敬しあう関係ならばいいのですね。


読んでいただき、ありがとうございます。

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