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漫才論| ⁵⁰何回みてもまたみたくなるオチが綺麗なネタの仕組みとは❓

昭和の漫才と比べて,最近はオチが綺麗な漫才が減ってしまったので,綺麗なオチがあることによって生まれるあの「ワクワク感」を知らないという方も多いかもしれません。そこで今回は,古典落語を例に取り上げ,どんなワクワク感が感じられるのかを書いてみたいと思います


やっぱりさんまは目黒にかぎる

「目黒のさんま」という古典落語の演目をご存じでしょうか?(あらすじはこちら)このネタのオチは,「やっぱりさんまは目黒にかぎる」というもので,多くの方はこのオチをはじめて聞いた時,「なるほど!」「そうきたか!」と感じます。しかし2回目からは,「なるほど!」「そうきたか!」とは感じません。すでにオチを知っているからです

結末が分かっている推理小説を読んでもあまりおもしろくないのと同じように,「オチが分かっている噺を聴いてもおもしろくない」と思われる方もいるようですが,そんなことはありません。なぜなら,「オチを知らない噺」と「オチを知っている噺」とでは,聴き方や楽しみ方が違うからです

1回目のオチと2回目以降のオチ
では聴き方が違う

オチを知らない噺の場合,「『なるほど!』と思わせてほしい」という気持ちで聴いています。一方,オチを知っている場合は,「あのオチを言ってほしい!」という気持ちで聴いています。オチが近づくにつれ,「来るぞあのオチ。来てくれあのオチ。『やっぱりさんまは目黒にかぎる』と言ってくれ!」という独特のワクワク感が生じます。当然ですが,噺し手は期待通りそのオチを言ってくれます。そして,「何度聴いてもいいオチだなぁ〜」というあのなんともいえない満足感に満たされます。この感覚はとても心地いいものなので,何度も聴いた同じ噺でも,「また聴きたい!」と思うようになります

推理小説などは結末が分かってしまうと,1回目のあのワクワク感はもう二度と味わえません。2回目からは,1回目に見落としていたことや結末が分かったからこそ気づく伏線などを見つけるといった楽しみ方がありますが,1回目のワクワク感と比べると相当減少するので,「もう一度読んで見ようかな」と思って読み始めたものの,「知ってるからなんかつまらないな」と思ってやめてしまうこともあります

一方,古典落語の「あのオチを言ってほしい」というワクワク感は,1回目の「どんなオチが来るんだろう」というワクワク感に引けを取らない,場合によってはそれを上回ることさえあります。だからこそ,同じ推理小説を何十回も読むことは難しいのに対し,古典落語は何十回も何百回も聴くことができます

何回もみたくなるオチが綺麗な漫才

「夢路いとし・喜味こいしの漫才は何回でも聴ける」という声をよく聞くことがありますが,オチが綺麗なこともその一つの要因だと思います。漫才でもオチが綺麗だと,「あのネタまたみたい!何回でもみたい!」という気持ちにさせるより完成度の高いネタに仕上がります

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THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】