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発達障害の「障害」って、何?

発達障害は「障害」なんだろうかという疑問

発達障害という言葉に違和感を感じてはや数年。
どこにその原因があるかというと「障害」という言葉にである。
障害者という言葉には、法律で定義があって、以下のようにされている。。

障害者基本法における「障害者」とは、「身体障害、知的障害又は精神障害があるため、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者」と定義している。

この日常生活または社会生活に相当な制限を受ける、という言葉から、身体障害や知的障害をイメージするのは容易いが、精神障害の一種として発達障害をイメージするのは、私には難しかった。

しかし、どうも「障害」という言葉の定義が変わってきているのでは無いかと気づいた。一応学生時代に心理学科で心身障害について学んだはずなのに(当時は発達障害という概念はまだ一般的ではなかった)、どうもその頃の知識では追いつかないものがあると感じていた。

変わってきた「障害者」の定義

やはり、変わってきているようなのだ。

かつての「障害者」の定義は、心身の機能障害の有無で判断する「医学(医療)モデル」が中心でした。しかし1980年代から、個人の機能障害だけではなく、社会の制度や環境が障壁となってその人の生活に障害をもたらしているとする、障害の「社会モデル」という考え方が広まり始めました。

その転機は、21世紀になってからのようだ。

2006年に国連総会で採択された障害者権利条約(障害者の権利に関する条約)で、社会モデルの考え方が大々的に打ち出されました。同条約に批准した日本では、2013年に障害者差別解消法が制定され、「障害及び社会的障壁」という、社会のあり方や制度によっても障害がもたらされることを示す文言が盛り込まれました。

つまり、障害者に対する定義は、20世紀型の「医療モデル」と21世紀型の「社会モデル」があると考えたほうが良いようなのだ。

そこにあるのは、「障害」は身体や知能といった「障害者の中」にあるのではなく、「社会の側」つまり「障害者の外」にあるのだという視点の転換だった。

だからこそ、障害者の治療だけではなく社会的な支援が必要だし、社会の側にその障害を取り除く努力が求められるというのだ。

発達障害者支援法による定義

そして、発達障害についても、平成16年(2004年)に発達障害者支援法という法律ができていることを知った。

この法律において「発達障害」とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。

この法律で定義されている「発達障害」においては、その病的な症状だけではなく、まさに「社会的障壁」について述べられている。

この法律において「発達障害者」とは、発達障害がある者であって発達障害及び社会的障壁により日常生活又は社会生活に制限を受けるものをいい、「発達障害児」とは、発達障害者のうち十八歳未満のものをいう。

発達障害があって「日常生活または社会生活に制限を受ける」ことが問題なのだという定義であり、障害の原因となる脳機能の異常だけではなく、その結果起きる「制限」が問題なのだと指摘する。そして、それを生むのは社会の側でもあるのだ。

この法律において「社会的障壁」とは、発達障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

ここまでみて、なんとなく納得したのと同時に理解したことは、「発達障害」は「社会生活に不自由があるかどうか」が問題だということだった。

そして、それは社会生活を営むようになって初めてわかるものなのでは無いかという疑問だった。

我が子を発達障害にしたがる母親たち

この疑問に見事に応えてくれる記事を読んだ。

「子ども本人が自覚する困難」は、ある程度大きくなってからでないと生まれないと思うんです。そうなると、「もしかしてうちの子は発達障害?」と思った親は、「本当にそうであるなら、できるだけ早く診断を付けたい」と考えてしまいそうです。

インタビュワーである女性ライターは自らが発達障害を抱える子供を育てているという。だから、早期診断が必要ではないかと問う。

しかし、高橋医師は、それに異議を唱える。

高橋氏:「早期診断、早期治療」がいいというのは、大抵の病気に当てはまる原則です。ただ、子どもの発達障害の場合は少し違って、「早期診断、早期心配」にならないように十分な配慮が必要です。

情報が溢れている現代では、ネットで検索すれば多くの「診断」に出会うことができる。自分の子供の一挙手一投足が気になるお母さんは、つい、「他の子との違い」が「異常」ではないか、「発達障害」ではないかと思いがちで、その「結果」を欲しがりがちだ。

でも、それが本当に親子にとって幸せなことだろうか。

高橋氏:発達障害と聞くと、「見逃しちゃいけない」と思う方が多いのですが、実はそうでもないんです。早い時期に診断を付けることで、本来楽しめるはずだった育児を、不安と療育だけで満たすようなことは避けたほうがいいはずです。

他の子と比べて劣っていないか、遅れていないかとつい考えがちな親御さんは多いだろう。でも、優れているところには気づいているだろうか。

今や自閉症は、ASD(Autism Spectrum Disorder)と称されるようになった。スペクトラムという言葉がつくように幅広い範囲の症状があり、重度のものから軽度のものまで刺すようになって、わかりにくくなった気がする。

幼小児期には以下のような症状がありますが、ASDのお子さんのみにみられる特徴ではないことに注意してください。
・言葉の遅れがある、あるいは言葉が出ない、指さしが少ない。
・要求をあらわすのに、他人の手を対象物へ持っていくクレーン現象がみられる。
・おもちゃを並べる、タイヤや扇風機など回転するものが好き、一人での遊びに没頭する。
・切り替えが苦手、決まったパターンと違うと癇癪を起こす、集団での活動・遊びが苦手。

こうした他者との違いを見るとお母さんはすぐに「発達障害」や「自閉症」を疑ってしまうのではないかと思う。でも、専門家も指摘するように「個性」なのかもしれないのだ。

高橋氏:発達障害と断言できるお子さんはむしろ少ないということです。そして現代のように発達障害に関する情報が簡単に手に入る状況では、親御さんによる“過剰診断”がどうしても多くなる。すると「発達障害ではありません」と断言してあげたほうがいい場合が、相対的に増えてくるわけです。

こうした「個性」の芽を親の過剰診断で潰してしまうこともまた、子供の発達には大きな影響になってしまうことを考えなければならない。

我がことを振り返って母に感謝

自分のことで言えば、我が母親から聞いて感謝したのは、

「あなたは3歳くらいから看板を見れば大きな声で読んで確認する。知らない文字があると「何」と聞く。街中でもやるから恥ずかしかったけど、ここで私が恥ずかしがったらば、この子の成長を止めると思ったから、常に応えることにした」

という話だった。

母親の覚悟がなければ、小学校に上がる前に辞典や新聞を読めて、好奇心のままに知識に向かう子供にならなかったかもしれない。すると、今の私は無い。

今の基準で言えば、どう考えてもADHD気味の子供だったのに。

「とにかく何か見えると真っ直ぐに走っていってしまうから、目を離せなかった。何度、このままだと事故に遭って死んでしまうと思ったことか。」

田舎だったので交通量も少なかったですから大丈夫でしたけど、確かに、向こうの原っぱに何かあると行かずには気が済まない子供でしたからね。

「個性」と考えて対処してくれた母親に感謝してもしきれません。

治療の目的は「自己肯定感を下げないこと」

このインタビューで最も感心したのは、高橋医師の治療方針でした。

高橋氏:薬物治療の目的は、決して子どもを「静かにさせること」ではないんですよ。日々の困難を緩和し、あたり前の日常生活を送る。そして自分に自信を持ってもらう。それが治療の目的なんです。

なぜ自己肯定感を下げないことが大事かというと、それが二次障害になるからだと言います。

高橋氏:発達障害の治療において非常に大切なことがもう1つあります。それは二次障害を防ぐことです。

二次障害とは、ASDやADHDが引き金となって、うつ病や社会行動の異常などを起こすこと。それは、発達障害という病気よりは、自分への絶望に原因があるのではないか。

 ADHDの場合、犯罪率が一般の平均より高いというデータもあるようですが、衝動性が関係してくるのはごくわずかで、原因の大部分はそれまでの苦労の多い人生にあるんだと思うんです。他人に理解してもらえない生活しづらさ、報われない努力、いじめなどが重なり、どうしようもなくなる。誰も助けてくれない。誰も自分の努力を見ていない。なぜ自分はこんなにダメなんだと。それが、引き金となるんです。

子供の自己肯定感を下げない子育てというのは、発達障害に限らず、大事なことだと思います。いわゆる「毒親」と言うのは、そこを削ってくるわけですから。

発達障害があることが原因で、自己肯定感が下がり、二次障害、すなわち「自分なんてどうでもいい」という状態に陥ることを避けるのが治療の最大の目的です。その結果、普通に日常生活を送る、好きな仕事に就く、そして幸せな人生を手に入れる、ということになります。

どんな子供であろうと、日常生活を「障害なく」送れるようにしてあげたい。そのために必要なのが、教育であり、子育てであり、しつけなのではないでしょうか。

発達に問題があるのではなく、発達の仕方が、社会で暮らすのに障害がある人のことを「発達障害」だと言うのだとわかって、少し納得しました。

そして、その障害を減らすために、治療と教育と支援があるのだと。

この法律において「発達支援」とは、発達障害者に対し、その心理機能の適正な発達を支援し、及び円滑な社会生活を促進するため行う個々の発達障害者の特性に対応した医療的、福祉的及び教育的援助をいう。

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岩波氏:多くの方が「発達障害」という言葉を、「糖尿病」や「胃がん」のような疾患名だと誤解しています。発達障害とは、あくまで「総称」なのです。では何の総称かというと、「生まれつきの脳機能の偏り」を持つ状態を示しています。脳機能に偏りがあるために、思考パターンや行動パターンが独特の特徴を持つようになります。

まだまだ知るべきことはたくさんあるなあ。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。