めがさめたらほほ笑んでください

愛していますかわたしのことを。
そうですか、大変に、身がよじれてちぎれんばかりに、わたしを愛しておいでですか。
ならば許してくださいますか。あなたより先に土に沈み、種となって根を張らすことを。
どこへ行っても何を見ても、わたしを思い出してくださいますか。
生きる意味を見てくださるのですか。


無嵓(むくら)君。
人を愛するというのは簡単なようでいてとても難しいことなのです。
なぜなら愛するということは、悲しむということでもあるからです。
あなたがいた今日という日を愛すのならば、あなたがいない明日を、悲しむということなのです。

悲しみの中に、その必然の悲しみという世界の中に生きることは一つの業なのです。人は、愛というひどくやさしいものに包んで、苦しみと痛みを食まなければなりません。
わたしはそれでも、愛なのだなんだと知らぬと愛を打ち捨てずにいてほしいのです。どんなに失うことに苛んでも。
どうしたって逃れ得ぬものがあったとして、それを求めて一心に生きていくことには意味があると思います。
初めてあなたの涙を見た時からずっと、わたしはあなたに愛を感じていました。
あなたの涙にこそ愛がありましたし、それを見た時のわたしの心にも、確かに愛があったのです。
あなたの涙は人への愛を確かにそこへとうつし出しました。そして、わたしの愛も引き起こしたのです。ああわたしはわたしの生は命はここにあるのだと。なにひとつまちがっていないと。わたしの進む道は良き道だったと。

今でも夢を見ますか。
「はい。」
「あなたへの、愛を、口走った時の、夢をまだ。」

無嵓君、わたしのことが好きですか。
「はい。」

とても。
「はい。」

無嵓君。
わたしはあなたに愛を送りました。それはもう、溢れんばかりに。この大きな球の星からこぼれんばかりの愛を、あなたにあげました。一日一日送ったもの愛の欠片は、もう塊になったでしょうから、これを削っていって下さい。
「…。」

あなたが生きて、死ぬまで、それを少しずつ削って、辛い時には手に取り、火打石にして下さい。それ自体が輝くものですのでこれを、その日の明かりにしてもいいですね。
とにかく、眠れない心がある時にはそれを持って、わたしのことを思ってください。思い出してください。
そして、何事もなく幸せな日にも、手に取って眺めてね。きっとあたたかくなれるはずだから。
まいにち、くる日もくる日もこうしたら、あなたが本当に眠りにつくまでの時間、心が尽きてしまうことはないでしょう。

どうにかこうにかやってください。ふふふ。生きる日々はたのしいものでもありますが、かなしいものでもあります。けれど、あなたが生きてきた日々を、いつかこの腕に抱くでしょう。それを眺める日を思って、わたしはあの世でまっています。わたしはあなたの生きた楽しみを、あの世でよく聴きますから。たのしみにしています。

さようなら。愛していました。
この世ではここまでで。

…。
……。
………。


「愛しています、愛しています、愛しています、それでも。それでも。」
僕が落とした涙はあなたの愛の中に還りますか。
あなたが花を咲かせるための肥料になりますか。
ぼくはぼくのいのちをおい、あなたのいのちをおいます。
そのひまで。さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?