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ゾンビの恋

 今夜は公園には行かず、明子さんといっしょに山の上の展望台にあがってきた。
 明子さんの手の甲にも、大きな黄色いバッテンが書かれているのだ。
「明子さん、ほんとにゾンビ?」
「うん。脳波止まってるって。でも、それでもさ、頭のなかがぐるぐる回ってる感じで大変なの。なんだろこれ」
 そうなのだ。
 明子さんの目はいつもキラキラしている。
 ゾンビに静的なゾンビと動的なゾンビがいるとしたら、明子さんは動的なゾンビの代表選手だ。
「なに笑っているの?」
「いや。明子さん、ゾンビっぽくないなって思って」
「ホントにね、あたし、ゾンビって言われてからのほうが頭がぐるぐるしているよ」
「明子さん、いま何歳」
「二十六だよ」
「うわっ。俺の半分かあ。俺、まだ五十には届かないけどね」
「四十くらいかと思ったよ」
「もうそのくらいになると、十年や二十年、変わらないよ。昔さあ、人生五十年と言われていた時代があって、あ、信長もそんなこと唄い舞って死んだよなあ」
「知り合いの人?」
「いやいや。大昔に死んでる。小泉純一郎みたいな、なんでもぶっ壊してやる系の人」
「その人もゾンビだったら、今でも生きていられたのにねえ」
「だから死んでるんだって、ってドクターなら言うよ」
「ははは。よく似てる」
「人生五十年なら、俺、もう死ぬ頃なんだよ。隠居って書いてゾンビって読みたいくらい。目も老眼でどんどん文字が霞んでくるし。体のいろいろな部分のうち、脳が最初に止まったって感じで、気持ちは静かなんだ。でも、君はなんか違うねえ」
「人間の脳ってねえ、ものすごい量の情報がどんどん流れているんだって。ほんの一部分だけが記憶として定着するらしいよ。あたしの脳はもう定着する力がないから、丸抱えしている感じ。ぱんぱんなの。なにも忘れられない」
「なにか理由があって、記憶を上書きしたくなったのかなあ。俺は歳とるにつれて、覚えておく価値のあることなんかないって思えるようになって、それで脳のほうが息絶えて止まっちゃった感じだ。昔のことはよく覚えているよ」
「ノブナガとか」
「それは古すぎるけどね。生きてないもん、戦国時代」
「君は面白いね」
「いや、俺は絶対面白くないよ。高校生くらいの時にはもう脳波止まっていたんじゃないか。考えないもんなあ、なにも」
「ここからどうやって帰るかも考えてないでしょ」
「あ」
 俺と明子さんはそれから白々と明るくなってくる山の稜線を見た。

(了)

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