見出し画像

食事に真摯に、丁寧に向き合う【丁寧な暮らし~No.33】

以前意識高い系女子の知り合いが居て(もはや顔も名前も思い出せませんが)。確かカフェイン抜き健康法?みたいなのをやっていたという記憶があります。

いやぁ、日常生活でお茶やコーヒーを飲まないでずっと行ける人ってどのくらい居るのだろう?どうやらずっと抜くのではなく、2ヵ月くらい抜くみたいなことを言っていた記憶もあります。

で、体調変わったんでしょうかね…(おそらく、変わってないと想像されます。)ただの意識高い系アピール行動だったのかなと想像できます。

また、世間には、やけに無添加・無農薬なものにこだわったり。肉を食べないという思想(?)が出てきたり。スーパーに行ってオーガニックとかいう商品も見かけるのですが、たいてい普通のものより値が張ったりします。

そこで一つ思ったのが

「丁寧な食事って、思想を抱くか、お金をかけないと出来ないのか?」


ってことです。

私はそうではないと思います。

カフェイン抜きの飲料しか飲まない。無添加・無農薬の野菜しか食べない。お肉ではなく、同様の味がする大豆ミートを食べる。

志向性と程度の話しでまとめるとすると、上記は丁寧ではなく「高価な食事」です。言い方を変えればセレブな食事、バエる食事でしょうか。

丁寧な食事や丁寧な生活は、志向性と程度で言えば私は「誰にでもできるもの」だと考えています。

何がどう違うのかを説明するより、私が考える丁寧な食事を3ステップで説明する方が良いかと思い、下記に書いてみますね。

1. 食材を選ぶ

無添加・無農薬を選ぶ?この現代においてそれを続けることは現実的でしょうか?

私が尊敬する格闘家の範馬勇次郎はこう述べています。

防腐剤、着色料、保存料、さまざまな化学物質。
からだに良かろうはずもない。
しかしだからとて、健康にいいものだけを取る。
これも健全とは言い難い。
毒も食らう、栄養も食らう。
両方を共に美味しいと感じ、血肉に変える度量こそが、食には肝要だ。

私は「この現代において、無添加なものだけを食べるのは(とてもお金をかけないと)無理」と言いました。が、勇次郎氏は別のベクトルで語っています。

毒を食らわず健康なものだけ食うということは、健全ではない

食べるという行為は、本来リスクであるはずです。かなり昔、狂牛病が騒がれた時がありました。その時、結構な人が牛肉を拒否したかと思います。

だがしかしその時、私の先輩は言っていました。

「そもそも他の生物を食べるという行為がクリーンなわけないだろう」

私もそう思います。

そして現代においてそのようなリスクは下がったものの、食の生産から遠い地域(東京とか)に住む以上は防腐剤、保存料なんてのは絶対に必要です。

なので、それらを食らうことは必然。それらを食べても、それすらも血肉に変えるという、度量の高い心身を保持しつづけることこそが「丁寧な食事」の為には肝要です。

2. 食材を調理する

何も調理せず、出来上がってるものだけを買ってくる。これは丁寧ではないですね。食べるということに、労力は必ず必要です。

その調理という行為を心を込めて行うことは「丁寧」でしょう。

だがしかし、その一方ですべての食事を毎日すべてこなすというのも、現代人には不可能でしょう。結構時間には自由度がある私の仕事ですら、さすがに毎日すべての食事は作れません。

一品くらいは、お惣菜で済ませたりもします。

そこにおける「丁寧」とはなにか?

その一品に感謝することだと思います。

毎日何も作らずに食品を買う事を当たり前にしてしまうと、人間ってどうしても慣れが出てくるので、食品が作られていることが当たり前になってしまいます。

昔の働く男って、家に帰ってくれば奥さんが料理を作ってくれているものだと「当たり前」に思っていた人も居るのではないでしょうか?毎日そうなっていて、それを「当たり前」として習慣としてしまうと、もうそこに感謝の念は薄くなります

しっかり、共に作ること。時には多めに頼ること、時は多めに作ること。

作るという行為に敬意を払うことが、私は「丁寧な食事」には欠かせないと考えます。

3. 食材を食べる

米国に住んでいた頃、とある家庭に行くと、食事の前に目をとじておそらく聖書の何かの言葉でしょうか、をみんなで唱えてから食事をしたことがあります。まるで映画のワンシーン。

そのくらい、目の前の食に敬意を払っているのです。

上記の勇次郎氏は、ある時自分の息子がご飯を食べながら考え事をしていることを見抜きこう言いました。

「なっちゃいない!」
漫然と口にものを運ぶな。何を前にし、何を食べているのかを意識しろ。
それが命を食らうものに課せられた責任、義務と知れ。

その通りです。

家庭では、テレビを流しながらご飯を食べることもあるでしょう。しかし、そこに没頭していて、気づいたら食事が無くなっていたでは、丁寧な食事ではありません。

テレビならBGM感覚と考えまだ食事に集中するスキマがありますが、スマホいじりはダメです。もう完全に自分の意識がスマホを"いじる"ほうに行っています。

食事に意識が行っていません。勇次郎氏の鉄拳が飛んでくるでしょう。

  • 目の前の食事に集中する。

  • 食材に感謝する。

  • 調理法や調味料に意識し、作った自分を褒めたり、作ってくれた相手を褒める。

食べる行為に集中することも「丁寧な食事」であると言えると考えます。

======

いかがでしょうか?

ここまで書いていてなんですが

あくまで私の考えです!


丁寧な食事は、何もオーガニックなモノを食べていればいいってことではないんじゃ?って思っています。そうじゃないよって方々は、まぁ日々オーガニックで高級な食事に舌鼓を打てばいいんじゃないでしょうか。資本主義の鑑だと思います。

食事に向き合い、食事を楽しみ、食事に敬意を払う。


丁寧に食事することで、今日一日にも感謝することが出来ます。

今日は以上です。
ぜひ、ご意見ご感想などお聞かせ願えると嬉しいです。

引き続き、素敵な週末をお過ごしください。
合掌!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?