サンディエゴからの手紙~祖母の手紙より~その二

祖母の手紙、二通目です。段ボール箱の中にいっぱいあるのですが、日付ごとに整理するのが面倒なので、データ化しながらちびちびと作業しています。
今回もノンフィクションなので、差別的な言葉遣いがあるかもしれませんが。原文ママのものなので、そこはご容赦下さい。大正生まれの人間が書いたものなので、文章も古いです。
以下、全文です。
 

1956年3月18日分 サンディエゴからの手紙

三月十八日夜
御無沙汰致しましたが、皆様御元気でいらっしゃいますことと存じます。私共もおかげさまで、相変わらず元気で毎日働いて居りますからご安心下さいませ。先週の土曜の朝、お手紙を出しましたのが、もう多分着いて居りますでせう。
お金は八十ドル矢張り航空便にて、三月八日に、此処を出て居りますから、御安心下さいませ。
 いよいよ二十一日の朝、主人はハワイへ向けて出航致します。約一カ月の予定です。その間、私が少しは気らくになります。そして、一度サンデーゴへ帰りました上で、日本へ多分行くことになりますと思ひます。
わざわざキャプテンが手紙まで書いて、上の人にねがってくださいましたから。
とても日本人に好意を持っていてくれるらしいので、たすかります。
此処では もうすっかり春らしくなり、暖かですが、日本はまだまだ寒い日がありますでせう。
先日、テキサス州の主人の弟が結婚して、写真を送って来ました。これでとうとう親を助けられる子供はあとたった一人弟がいるだけになってしまひました。
母親は又、病院へ入ったとかなんとか云って来ましたが、まだ若いくせに實(じつ)によくない心掛けだと感心しています。
私達は早く日本へ行ってしまへば良いのです。あんな遠方迄は、まさか、追いかけてこないでせうもの。
先日、一寸メキシコまで行きましたら、お姉様のお好きな香水ね(LIU)つていふの、ありましたけど、二十六ドルで一寸手が出なかったので、四ドル程の、同じ香ひのコロンを買っておきましたから。匂ひは同じですから、我慢して下さいね。
日本で買うより安い物がありましたら、買って行きます。先日、お話ししました商品券ね。あれで、とても良くて安いスリップがあったので、貴女と私に一枚づつ買ひました。やっぱり現ナマにしてくれませんでしたので、ボツボツ買ふことにしました。
でもまだ、バランスが十六ドル程残っているので、でもわるいことに、其の店だけなので、一寸困りますが。あまり高級すぎて、私の買ふものがありませんでした。一日二日うちに、Tちゃんや家の子供達に、進級のお祝いに少しでも送りたいと思っていますが、出来次第送ります。きっとよろこぶと思ひます。でも、少しですよ。なにしろビンボウなのでね。
でも、元気でいるだけありがたいと思ってあきらめています。
私の家の隣の奥さんは日本人ですが、白人と一しよになって日本から来ているのですが。矢張り生活が出来なくて、私より少しあとから支那人のジョーヂ・ジョーと云ふバーへ働いてゐます。もちろん酒場なので、夕方から朝二時迄ですが。その代り収入は大したもので、三百ドル以上にもあるそうです。一寸うらやましいけど、家なんてタミーが気ちがいみたいなので、とてもとてもそんな所では働けません。その点、白人はあっさりとしたものですね。
今夜はサンデーだけど、タミー仕事?だと思えて帰りませんでしたので、一寸お便り書きました。野比へも書きました。
ではくれぐれお体は大切に大切に。
皆様へよろしく
  

とも子


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