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『ビビを見た!』が彩った人生

子どもの頃に読み、大人になってなお記憶に残っている本はありますか?
感動的であったり、恐ろしかったり、楽しかったり……人それぞれ、さまざまな感情とともに大切に心の中にしまわれていることでしょう。

1974年に理論社から刊行された大海赫先生の『ビビを見た!』も、そんな本の一つです。その物語と力強い挿絵、色彩で多くの人に鮮烈な印象を残した同書は、何年もの間絶版状態が続いていましたが、決して忘れ去られることなく読者の記憶に残り続け、2004年に復刊ドットコムから復刊されました。

2004年に復刊した、『ビビを見た!』大海赫

<あらすじ>
盲目の主人公ホタルに「7時間だけ見えるようにしてやろう」と言う声が聞こえた。ホタルの目が見えるようになると同時に、回りの人は光を失った。
ホタルの住む町が正体不明の敵に襲われると、テレビ放送が始まる。
人々は町を脱出するための列車に乗り込んだ。
ホタルは列車の中で不思議な緑色の少女ビビと知り合う。
その列車を巨人が追ってくる。
巨人をなだめられるのはビビだけだ…。

復刊ドットコムHPより引用

本書は、児童書でありながら、描かれる情景も、綴られることばも、子どもにとってはあまりに強烈でした。無垢な心に容赦なく刻み込まれたその印象はトラウマにさえなるようなものだったのです。

子どもたちの心を大きく揺さぶった理由の一つには、そんなトラウマ童話とも評される物語の恐ろしさがあったかもしれません。ですが、本当の理由は、多くの人が『ビビを見た!』の深いところに横たう大海先生のメッセージを感じ取ったことにあるでしょう。それは、「本当の愛」と、「真実の美」のこと。その正体がはっきりとは分からなくても、恐ろしさの中に燦然と輝く、真っ直ぐな美しさが、えもいわれぬ感情となって子どもたちの心を打ったのです。

『ビビを見た!』の存在は、時に読者の人生に影響を与えるほどの力を持ちましたが、実は、著者自身もまた、同じように人生を大きく動かされた人物の一人でした。同作の復刊によって、30年近くぶりに“第二の”作家人生が再び動き始めたのです。


『ビビを見た!』復刊に至るまで

当時、復刊ドットコムに寄せられた『ビビを見た!』への復刊リクエストは300票以上。同作に強い影響を受けたと公言する作家の吉本ばなな先生もブログで同作を紹介するなど、復刊を待ち望む人が多かったことは明らかでした。

<吉本ばなな先生が『ビビを見た!』に寄せた解説文より一部抜粋>
私がこの本から受けた影響は、並大抵のものではありません。
今、39歳になって住んでいるこの家にも、ちゃんと1974年、
理論社刊の「ビビを見た!」を持ってきているのですから。
読んだのは10歳の時だから(ちなみに、大海先生のもうひとつ
の名作『クロイヌ家具店』もいっしょにあります!)
なんと29年間、ずっと大事に読み返し、内容も決して色あせない、
これは私にとってそういう本なのです。

『ビビを見た!』P.124

ですが、同作の復刊を相談した児童書出版社の反応は芳しくありませんでした。差別用語が含まれていることや、内容が「暗い」ことなどが理由でした。

今でこそ、ネット上の声の影響力は誰もが知るところですが、当時はまだ時代が追いておらず、出版社を動かすには至らなかったのです。同作にすっかり惚れ込んでいた当時の復刊交渉の担当者は、「なぜ、この本のすばらしさがわからないんだろう?」と不思議に思ったといいます。

しかし、結果的に同作が復刊ドットコム(当時はブッキング)の出版部門から復刊されたことは、復刊ドットコムや担当者にとって幸運なことでした。その後、作家と出版社という関係を超えた交流が生まれることになるからです。

動き始めた、“第二の”作家人生

大海赫先生との出会いは、大海先生の奥様が営むリサイクルショップ「魔女」でのことでした。復刊ドットコムの担当者はこの日初めて、復刊交渉のために大海先生を訪ねたのです。

初めて顔を合わせた大海先生はひどく不機嫌で、門前払いされそうになるほどだったといいます。正式な出版の依頼とは思わず、怪しいセールスと勘違いされていたためでした。30年近くも著書の刊行がなかった大海先生にとって、この訪問は、そんな誤解を生むほどに思いがけないものだったのです。

ですが、幸いなことにその誤解はすぐに解けました。その後の話し合いは打ち解けたものとなり、復刊交渉は無事成立。
復刊に向けた編集作業も滞りなく行われ、2004年2月、『ビビを見た!』はついに再び読者の元へ届けられることとなりました。

 同作の復刊後は、サイン会や展示などのイベントを精力的に行い、復刊を待ち望んでいた大海先生のファンとの交流も活発化しました。絶版になっていた他の作品や、単行本化されていなかった作品などの刊行も続き、2005年には児童文化功労賞を受賞するにまで至ります。その状況はさながら、『ビビを見た!』の復刊をきっかけに、止まっていた時間が動き出したかのようでした。

年に一度、大海先生のファンが集う「ビビを見た会」の様子。
大海先生自身も参加しており、写真下部に映っているのは大海先生が画用紙で作ったかるた。

作家と出版社 その垣根を超えて

『ビビを見た!』の存在に大きな影響を受けたのは、復刊ドットコムも同じでした。大海先生専属の出版社さながらに、著書の刊行はもちろん、数多くの催しについて全面的に関わり、その関係性は年を追うごとに深いものになっていきました。展示会をすれば、絵を壁にかけるところまで手伝い、ファンが集う場があれば足を運び、時には営業担当や編集者が先生の自宅に泊まったり、家族まで含めて旅行にいったりすることもあったといいます。

大海先生が神栖市の防潮堤に描いた絵を見に行った時の写真。
大海先生、ファンの方々とともに。

私生活と仕事に明確な線引きをすることが多い現代において、こうした付き合いのあり方は、どこか昭和の時代を彷彿とさせるものです。出版業界には、かつては作家が原稿執筆のために籠る宿に泊まりがけで訪れたり、接待をしたりと、作家と担当者との濃い人間関係の上に成り立ち、会社もそれを許容している時代がありました。大海先生との関係は、そんな時代の名残を感じるさせるものでした。いつしか、作家と出版社という垣根を超え、互いの人生にまで影響を与え合うほどになった関係は、もはや家族とも言える域に達していたのです。

『ビビを見た!』の復刊から20年余り。振り返れば、同作が描かれなければ、そして復刊されなければ、生まれ得なかった多くの感動や出会いがありました。それは、一冊の本がもたらした奇跡のような出来事。忘れ去られそうになっていた大海赫という作家とその作品たちは、今再び、多くの人の人生を彩っています。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、社会の〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

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