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結婚を9回もすると

ヴィニシウス・ヂ・モライスという男がいた。ジャズの定番曲(いわゆるスタンダード)に『イパネマの娘』という有名な曲があるが、この作詞を手掛けたのがこの人物だ。アントニオ・カルロス・ジョビンという天才作曲家とタッグを組んでボサノヴァという新しい音楽ジャンルを作り出した立役者でもある。

この人、すごいんですよね。外交官として敏腕を発揮しながら、詩人として類まれな才能を発揮して脚光を浴びた。『黒いオルフェ』という映画は彼が書いた前衛的な戯曲を原作としていて、なんとカンヌ国際映画祭における最高賞であるパルム・ドールまで取ってしまったというではないか。ブラジルのポピュラー音楽・カルチャーにおいて超重要人物であるのにも関わらず、気取ったところもなく愉快でユーモラスなキャラで周りから慕われていたそうな。おまけに大の酒豪で女好き。当時のブラジルの若いミュージシャンたちがこぞって彼に惹かれ、そしてそんな彼の存在が今でも後世に色濃く影響を与えていることはなんら不思議ではないことだ。

ただなんにも増してびっくりしてしまう事実がここに一つある。それは彼が生涯を通して9回も結婚・離婚をしたということだ。

ヴィニシウス ~愛とボサノヴァの日々~』というドキュメンタリーでは、その辺の話を当の本人が包み隠さず話しているので凄く面白い。観たのがちょっと前なのでうろ覚えではあるけれどこんなシーンがあった。

「9回も結婚したのはどうしてですか?」

そうインタビュアーが質問した。すると彼は狼狽(うろた)えもせずにこんな返事を返す。

ぼくは毎回出し切るまで愛し尽くしたんだ。

「え、そんなのあり!?」と思った。ぼくは暗がりの部屋でベッドに横になりながらこのシーンを観ていたわけだけど、思わず起き上がってそうつっこんでしまった。

もちろん恋をすることは素晴らしいことだし、恋多き男・女は誰だって魅力的に映るものだ。とはいえ、離婚された側は一体どんな気持ちだったんだろうなと余計なことを考えてしまう (笑)。そして9回も、、、なんとまあ大変だったでしょうね。そしてこの言葉だけを切り取るとなんとも苦し紛れな言い訳のようにも聞こえなくもない。なんというか気持ちがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしまう散漫な輩と捉えられても仕方あるまい。

ただこのヴィニシウスという人。やっぱりただものじゃないのです。というのも世界のどこにいようがその時に誰と結婚していようが、一度好きな人が出来てしまったら最後、もう止まらなくなってしまうのだ。「おー愛しき人よ!」みたいなことになってしまい、ひたすら愛の日々に全力投球。文字通り自分の全てを愛する人に捧げるのだ。もちろん次の恋に火がつくまで、という条件付きではあるが。

そんな彼の生き様からして、そしてこのドキュメンタリーで映る彼の素朴でいて愛らしい姿から察するに、きっと彼が言ったことは本音なんじゃないだろうかと思う。「まあ毎回惚れちゃったんだからしょーがないじゃないか」といった様子なのだ。「ぼくの心がその都度"全力で愛そうぜ"っていうもんだから、そのまま従っているだけなんだよね」とも取れる。

彼はこんなことも言っている。人生でもっとも重要なのは情熱だと。

そう、彼が若いミュージシャンと新しい音楽シーンを作ったことも、詩作にふけったことも、なんなら愛する人を追いかけ続けたことも、すべては情熱がもたらしたものなのだ。彼がボサノヴァという新しいポピュラーミュージックの創造の一端を担ったことも、パルム・ドール賞を取ったことも、9回に及ぶ結婚・離婚も、すべて情熱が行き着いた先の結果でしかないのだ。

彼はなにを訊かれても「まあそうなっちゃったんだから仕方ないじゃないか」みたいな感じでどこか飄々としている。その様子から伺えるのは、ヴィニシウス自身が情熱というものの敬虔な奴隷とでも言える存在であるということだ。情熱のままに従い、起こった結果はそれとして受け入れるだけだと。

なるほど。9回も結婚・離婚をするとそんな境地にもなるのだなとつくづく感心した。

ぴしっとしたロジカルで整然とした履歴書を書くためでもない。周りから理解してもらいやすい"それなり"な生き方をするでもない。「情熱に従ってたらこんな人生になりました、てへへ」というのが最もカッコいいあり方なんじゃないかなと思ったり。そんなことをこの男、ヴィニシウスさんから学ぶわけです。

とってもエモい夕焼け

今日はそんなところですね。シアトルで真っ赤な夕焼けを眺めながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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