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【小説】おいしいものを、すこしだけ 第11話

 ジロの仕事が忙しいことはもともとわかっていた。それでも夏前までは一応日曜日の休みは確保されていたし、定時で上がれる日に待ち合わせて会うこともできたので、これくらいならまあいいほうだろうと思っていた。
 
 それが一変した。次の休みがいつになるかまったく見通しが立たず、定時に上がれる日など夢にも考えられなくなった。休めるはずの日に会う約束をしていても、急に仕事が入ってだめになることが続いた。
 もっとひどいのは会っている最中に電話が入って呼び出されることだ。
 私の誕生日にちょっといいレストランで食事をしていて、前菜が運ばれてきたところで会社から呼び出され「ごめん、すぐ戻るから」と言って出て行ってしまった。そのままいつまでたっても戻ってこない。お連れ様は、という店員の視線を痛いほど感じながら後続の料理を飲みこみ続けた。ジロの料理は止めてもらうべきだったのかもしれないけれど、この段階でキャンセルできそうになかったし、戻ってくる可能性も捨てきれなかった。
 結局デザートが終わってもジロは戻らず、私は一人分の料理をテーブルに残したまま席を立って自分で支払いをした。後日ジロは平謝りでお金を返してくれたけれど、この時以来、ジロと一緒にいいお店でおいしいものをゆっくり食べる、ということは最初からあきらめることにした。食事は残しても惜しくないようなところで簡単に済ませる。無意識のうちにジロが呼び出される前に食べ終わろうとしてよく噛まずに飲みこんでいるらしく、ジロと食事をしたあとはいつも胃がシクシクと痛んだ。

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5,139字

現役図書館司書が書いた、図書館司書の登場する小説です。 (全20回連載予定)

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