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【書評】千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話

今回ご紹介する本はこちら。

ラノベっぽいタイトルなので半信半疑で読み始めたのですが、ここ数か月でベストに入るおもしろさでした。

ただこれは「この1冊であなたもルーマニア語小説家に♪」というものではありません。たぶんこれを読んで「よし俺もルーマニア語で小説家デビューしよう!」と思う引きこもりの人はあまりいないのではないでしょうか(著者自身が冷静に分析しているように、ルーマニア文壇における日本人作家のニッチな需要にうまくはまった側面もあるだろうとは思われます)。

そもそもこの著者を引きこもりと言えるのか、という問題もあります(オフラインでの地理的な移動範囲が狭い、という意味ではそうなのでしょうが)。こんなことで張り合っても仕方ないですが、精神的には私のほうがよほど引きこもりです。私にはSNSでルーマニア人に片っ端から友達申請したり、高校生の天才詩人に弟子入りを志願したり、一度も会ったことがないルーマニア人作家と蕎麦屋でルーマニア映画について熱く語ったり、という度胸がまったくありません。

そんな意味でこの本は「ルーマニア語という運命から選ばれし稀有の勇者が、レベル1からスタートして繰り広げる異世界冒険譚」と言えます。

私もご多分に漏れず、ルーマニアといえばドラキュラ伯爵と独裁者チャウシェスク大統領夫妻の処刑シーンしか思い浮かばず、作家もミルチャ・エリアーデしか読んだことはないのですが(『妖精たちの夜』は傑作でした)、この本で披露されるルーマニアックな知識の数々は、それだけでわくわくします。言語としてのルーマニア語の特性から、著者の本領発揮といえるルーマニア映画の豊かな世界、最新ルーマニア文学事情まで「図書館でルーマニア関係のレファレンス質問が来たら役に立つかも」と思いながら読みました(たぶん来ないでしょうが…)。
残念ながら、紹介される映画のほとんどはDVD化されていないようで配信でしか観られず、文学作品も邦訳がないものが多いので、図書館で所蔵資料に推薦するのは難しそうですね…。

また、オンラインで出会った人々に対して、年齢や性別を問わず相手の才能や知性への真摯な敬意をもって語る著者の姿勢はとても感じが良いもので、そんなところもルーマニアで受け入れられた理由かもしれません。

「異国に生まれなおした人」という表現がありました。
イタリア文学者の須賀敦子を評して作家の池澤夏樹が使った言葉ですが、この著者にも同じことが言えると思います。
(ちなみに須賀敦子の文章も最高です。とくに『コルシア書店の仲間たち』)

私たちは日本という場所と日本語という言葉にがんじがらめになってそこから1歩も出られないように思っていましたが、別の言語によってもう一度生まれることもできたのですね。
埼玉からほとんど出ない引きこもりの図書館員で、一度も海外に行ったことがないうえルーマニア語の小説家になる予定もまったくない私にも、この本は不思議な励ましと、背筋が伸びる思いを与えてくれるのです。

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