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「君には才能がない」と宣告する人

『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』という小説で、主人公ホールデン・コールフィールド君が読んだ本についてあれこれ論評するシーンがあるのですが、その中でサマセット・モームの『人間の絆』について「あれはなかなかいい本だ」と言っています。
当時学生だった私は、わりとなんでもこきおろすホールデン君をして「なかなかいい」と言わしめる『人間の絆』とはどんなものか興味をひかれ、読んでみました。

『人間の絆』はいわゆる教養小説で、不遇な生い立ちの少年フィリップが、さまざまな経験や人との関係を通して成長していく物語です。

中盤、フィリップは画家を志してパリで修行を始めるのですが、思うように成果が出ず、徐々に生活が行き詰まっていきます。
ともに夢を追っていた仲間が貧困の果てに痛ましい最期を遂げたことがきっかけで、不安になったフィリップが、尊敬する絵の先生に「ぼくは画家として成功する見込みはあるでしょうか」と尋ねる場面があります。
それに対して先生は「君にはたしかに器用さはある。君より下手な画家もいる。ただこの先どんなに努力しても、並み以上の画家には絶対なれまい」と答えるのですね。
さらに「資産がないのならなおさら、今のうちに見切りをつけたほうがいい」とも勧めます。
将来どうなるかまったく見通しのたたない当時の私には、けっこう胸をえぐられるようなシーンでした。
先生はいい人で、もちろんフィリップのためを思って助言したのでしょう。ただそれだけではないことは、続くセリフでわかります。
「ぼくが若い時に、今と同じことを言ってくれる人がいたら良かったと思うよ」
先生の言葉はフィリップだけでなく、昔の自分に対してのものだったのです。教師と掛け持ちとはいえ画家として生計を立てており、むしろ成功している部類のような気がしますが、もう若くない先生としては人生を賭けて凡庸な画家にしかなれなかった自分に忸怩たる思いがあったのでしょう。

ここで比べるのもなんですが、私も昔職場の人に「あなた図書館の仕事向いてないんじゃないの」と言われたことがあります。私の場合その人の判断力に重きを置いていなかったのであまり気にしてはいませんでしたが、今となっては「たしかに向いてない部分もあるな」と思うことはあるので、あながち間違ってはいなかったのかもしれません。
まあ図書館員は経験でカバーできる部分が多いので、向いてないなりになんとかがんばって十数年間働いてきましたが、これが芸術家とかスポーツ選手とか、もっとシビアに才能がものをいう世界ならそうはいかなかったかもしれません。

先生の立場になってみると「君には才能がないからあきらめたほうがいい」と言うのもなかなか勇気が要ることです。私なら「自分にはわからないから何とも言えない」と答えそうな気がします。私がよけいなことを言ったために天才を歴史から葬り去ってしまったり、逆にむなしい努力をさせて困窮に陥らせたりしたらどうしよう、と考えてしまいます。
(社会保障がしっかりしていて、歳を重ねてからでも安心して挫折できる世の中なら、こんな葛藤はなくて済むのでしょうが…)

その後フィリップがどうなるかは『人間の絆』でどうぞ。
『ライ麦畑』のホールデン君が言うとおりこれはなかなかいい本で、すぐれた青春小説としても楽しめるので、おすすめです。

新訳も出たようです。

原題の『Of Human Bondage』を新訳では『人間のしがらみ』と訳されています。たしかにBondageを辞書で引くと「隷属」とか「束縛」と出てくるので(縄でがんじがらめにされているイメージですよね)、「絆」としてしまうと現代人には美化しすぎに聞こえるので語義的にはこちらが正しいのでしょうが、一方で「しがらみ」と言うと悪い意味だけになってしまいます。作品を読む限りでは「Bondageのなかでも幸せを見つけられるのが人間だ」という解釈も可能だと思うので、自分が訳すなら「人間のつながり」かな…などと考えます。



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