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#建築をスキになった話─読書と建築─



汲み尽くせなさにこそ,建築の魅力はある


と言ったのは誰だったろうか(もしかしたら誰も言ってないかもしれない).

知れば知るほど知らないことが増え,その蓄積に圧倒される,というのはあらゆる学問に言えることだが,中でも建築はほとんど人類の誕生と共に歩んできたような文化であり,その蓄積の途方もなさは一層とてつもないと言える.
そんな意味が含まれたこの言葉がなぜだか,ずっと,頭の中に残っている.


#建築をスキになった話

#建築をスキになった話」を考えてみるも,明確な理由は浮かんで来なかった.
祖父が2級建築士の資格を持っていて,自身の家を増改築していた,母がもともと建築に興味はあったなど...それらしい理由がありそうな感じはあるが,「きっかけになった」と言えるかどうかは分からない.


「読書」─「建築」


2011年から「読書メーター」というサービスを用いて,読み切った本を記録している.

しっかり記録つけたりつけなかったりだが,7年が経過して読んだ冊数は786冊.

思い返せば,大学に入るまではほとんど本など読まなかったような気がする.大学に入り,建築を学び始めてから本をそこそこ読むようになった.
だから,建築と同じくらいの個人史を持つ読書と一緒に自分と建築のことを考えてみようと思う.


ル・コルビュジエの勇気ある住宅

高校3年生の進路相談だっただろうか.幼稚園くらいの頃から建築系のことはやりたくて,なんとなく,建築学科であればどこの大学でもいいやと思っていた.
ある教員に「じゃあ,どんな建築家を知っているのか?」と聞かれることがあった.当時は建築家の名前なんて一人も知らなかったから,答えられずにいたら,「そんなんじゃ建築なんてやれないだろ.諦めろ」と言われた.
そんなことを言われてムカついた僕がまず手に取ったのがこの本だった.
内容はまったく覚えていないのだが,初めての本の内容が安藤忠雄が書くコルビュジェなんて,なんてベタなんだろう.しかし,強烈なエピソードを持つこのふたりだからこそ,当時,なにか響くものがあったのかもしれない.


「建築ノート」シリーズ

そんなこんなで大学の建築学科に入学してみると,存外,周りの同級生たちは特別に建築に興味があるわけでも知識があるわけでもなかった.

なんとなく肩透かしを食らった僕はとりあえずハードルの低い本から読み始めて,ほどほどに大学生活を楽しみつつ建築の知識をつけていこうと思い至り,学校に行くのはそこそこに図書館などでこれを読んでいたような気がする(1年生時は教養科目ばかりであまり興味なかった,というのもある).
初学者に向けてつくられたであろうこの本からは随分と色々基礎的なことを学んだような気がする(案の定,内容は大して覚えていない).


錯乱のニューヨーク

大学2年生だか3年生だかの時に先人たちがこぞって読んでいた本があると聞いた.
それがこの『錯乱のニューヨーク』だ.
そろそろ初心者読書はいいだろうと思っていた僕は,今をときめく建築家たちが学生時代に読んでいたというなら読むしかない,と読んでみることにした.しかし,読み始めてみたはいいもののあまりの内容の晦渋さにただ読み切るまでに2ヶ月近くかかった覚えがある.しかも,内容もほとんど理解できなかった.
その後,この本については読書会を開いてみたり,読書ノートをつけてみたりしたが,結局ほとんど理解できずに現在に至る.

この本から学んだのは建築家のとてつもない構想力だった.そして,シナリオライターから建築家になったというコールハースの経歴に強く憧れることになる. (あとは忍耐強く本を読むという経験も得た)



廃墟の美学

3年生のある時から何故か「廃墟」に魅せられた.

各地に旅行して見た建築より,長崎の「軍艦島」で見た廃墟群の姿が頭からなかなか離れなかった.そんな時に「廃墟に魅せられる,とはどういうことなのだろうか」と思い,手に取ったのがこの本だった.
そして,このテンションのまま課題でつくったのが「廃墟のような建築」だった.内容としては,「神社」のようなある種無機能だけれども人びとの心になにがしかをもたらす象徴的な空間をつくるというものだったと思う.その表現方法が「廃墟」に近いものだった.
なぜか評価された.謎だった.しかも数百人くらいの前で発表することになった.

講評者に対しては「この人たちは何が面白いと思っているのだろうか?」と思った.そして,しばらくはこの思いが拭えなかった.その理由を知るために講評者たちが書いたものなどを読んでみたりした.


『都市計画家 石川栄耀』-都市探究の軌跡-

前述の「この人たちは何が面白いと思っているのだろうか?」という思いを拭えないまま卒業制作の時期に至った.
「廃墟」とか中二病乙!とか思っていた僕は卒業制作こそは地に足ついたものにしようと取り掛かった.
まず行ったのは対象となる名古屋を1ヶ月程,朝から夕方までひたすら歩き回るというものだった(地に足つく,の意味が違うような気がする).そして,隙間の時間で名古屋の「市誌」や「区誌」,「都市」についてのさまざまな本を読み漁った.
卒業制作では「都市」について考えたかったのだ.なぜなら「廃墟」に感じていた魅力とは「捉えきれなさ」で,それは「都市」にも感じていた感覚だったのだ.

そんな時出会ったのが名古屋の都市計画にも関わった都市計画家・石川栄耀の伝記書だった.石川が目指していた「都市味倒」という考えは「都市を味わい尽くす」という意味の言葉だが,この「味わい尽くす」という考え方に強烈に魅せられたのだ.

そうして,卒業制作は「人びとに,都市を味わい尽くす,ということを引きださせる」提案を目指すことになった.
結果としてできあがった提案はこれまた謎のものだったのだが(要約できないので割愛します),一定の評価を得た.
自分的にはまったく納得いっていなかったので,これまた謎だった.そして何故評価されたのかを分かるために色々と本を読み漁ってみることになる...


「知らないことを知らない」を気づかせる

と他にも取り上げる本はあるのだが,長くなってしまうので,学部生時代で終わらせるとして(大学院時代は逆に建築じゃない本ばかりを意識的に読んでいた).

僕にとっては「建築」とは「知らないことを知らない」を気づかせる良い媒介になっているのだと思う.
それは最初の

汲み尽くせなさにこそ,建築の魅力はある

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僕は「知らないことを知らない」ことに気づくと,それを知るために知識を漁りにいく.そして,漁りにいった結果知った知識がまた新たに「知らないことを知らない」ことを気づかせ,また知識を漁りにいき...と延々とそれを繰り返している.
その,あらゆる知的好奇心の基盤になっているのが建築なのだろう.それは建築があらゆる種類の知識に関わる「捉えきれなさ」を持っているからではないかと思う.

これは「#建築をスキになった話」というよりは「#建築にハマっていく話」と言えるかもしれない.
しかし,僕はこれからも建築の内部・周縁から知的好奇心を満たすために色々と知識を漁っていくのだと思う(ちなみに今の仕事である建築系の編集者になったというのも「一番,建築のことを「知れそう」」という自己満足感MAXな理由という感じです).

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