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男のコンプレックス Vol.16「非常時男子の平常心」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

“大変じゃない”ことは
罪でも無力でもない!

 たとえば、楽しいクラス遠足のバスの中、気持ち悪くなった江成さんが、こらえきれずに胃の中のハードジェルをエクトプラズムのようにエロエロエッサイムしてしまったとしよう。下品にならないよう喩えに凝るあまり、かえってわかりにくくなってしまったが、とにかく非常事態である。車内には甘酸っぱいメロン臭とわずかな動揺、気まずいやっちまった感がたちこめる。

 そんなとき、隣の席にいた野毛君が、とっさに江成さんのハードジェルを手で受け止めてあげたら、彼はヒーローになれるだろう。“勇敢なやさしさプリンス”と名付けられ、クラスの女子からモテてしまうかもしれない。

 でも、その後ろで水筒の麦茶を飲ませてあげていた土橋さんや、気を紛らわせようと話しかけていた房園君は役に立たなかったのか。否! ヒロイックな活躍こそなかったものの、彼らのやさしさは確実に江成さんのエロエロエッサイムを遅らせただろう。

 その斜め前から“大丈夫?”と声をかけることしかできなかった丸茂君も、2列後ろで“あんまり騒ぎたてるとアレだから……”とあえて知らないフリを続けていた風祭さんも、持っていたやさしさのポテンシャルという意味では、野毛君と等価のはずである。

 5列後ろにいたため事態に気付かず平然とはしゃいでいた毒島君でさえ、「無用なパニックを引き起こさなかった」という理由で、私は彼の“いつも通り”を評価したい。無論、騒動のさなか冷静にセーフティドライブを続けたベテランバス運転手・九頭見竜兵(53歳)の功績は言わずもがなである。

 大変なことが起きると、人はなぜか大変ではない自分に罪悪感や無力感を感じ、「俺も何か大変なことをしなきゃ」と思いがちだ。でも、本当に大変なときに必要なのは、大変な人をいたわりながらも、自分にできることをいつも通りがんばって、世界をなるべく平常心に近づけるということ。

 だから、丸茂君も風祭さんも毒島君も、巡りめぐってちゃんと江成さんの役に立っている。大丈夫、世界は否応なしにつながっているんだから。

(初出:『POPEYE』2011年5月号)

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【2023年の追記】

この回だけ、「男のコンプレックス」という連載テーマにまるで関係のない、寓話のようなふわふわしたエピソードになっているのにはわけがあります。「初出:『POPEYE』2011年5月号」というのを見て勘のいい方は気づいたかもしれませんが、月刊誌の5月号ということは、これは2011年4月に発売された号であり、ということはつまり2011年3月のあの震災が起きた直後に書かれたものです。

今振り返ると不思議なことですが、あの当時はインパクトのある映像や数字、壮絶な体験談がおびただしい量で報道されたことによって、「自分が無事でのうのうと生きている」ということに罪悪感や無力感を感じる人が続出しました。あるいは、正常性バイアスや公正世界仮説がいっさい通用しないできごとの前に、世の中全体が軽い強迫観念に取り憑かれていたのかもしれません。

震災の直後から「絆」「助け合い」が叫ばれる一方で、「平常心を取り戻そう」という呼びかけも盛んになされるようになり、私なりに立ち止まって落ち着こうよ、というメッセージを込めたのがこの原稿でした。直接震災を想起させない寓話としてのちょうどよさ、滲ませるユーモアのほどよさ、メッセージの押し付けがましくなさ、どれをとっても我ながらいい塩梅に書けた回だったなと思います。正直、このときの世相や空気だったからこそ書けた、火事場の馬鹿力的な文章だったことは否めませんが。

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