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男のコンプレックス Vol.18「不合格男子の自己採点」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

未練を清算するため
“恋の答え合わせ”は自分で。

 ああ、恋にも赤ペン先生がいればいいのに! と思うよね。……あ、いきなり無理な共感押し付けてごめん。でもほら、恋って抜き打ちテストみたいなとこあるでしょ。毎日が女性からの出題の連続じゃないですか。

「あれ、あのコ髪型少し変えたかな? でも、もし違ってたら“話題見つけようと必死”って思われないか?」とか。

「ツイッターで“体調悪い”ってつぶやいてるけど、わざわざ<大丈夫?>とかDMしたら“彼氏気取りかよ”って引かれないか?」とか。

 でもこのテスト、誰も添削してくれないから困るのだ。自己採点を甘めにつけてたら、最後にこっぴどくフラれて“不合格”だったりする。しばしばする。そもそも、相手の受験資格すら満たしていなかった、なんてこともある。割としょっちゅうある。

 男の恋が未練がましいのは、きちんと“答え合わせ”してもらえないからだと思うのよ。「途中式までは合ってたのに」とか、「部分点はもらえてたはず」などと考えてしまい、心がいつまでたっても“浪人”してるわけ。

 そこで私は提案したいね。赤ペン先生がいないのなら、終わった恋の添削は自分でしようぜ、と。つまり、これまで自分が受験した女のコや、気になったまま願書も出せなかったコ全員と会って、直接聞いてみるのだ。

「あの頃さあ、もし俺が告白してたら付き合ってた?」「タイミングが違えば、可能性あったの?」「小栗旬を100点満点として、俺って何点?」「俺似のジョニー・デップとジョニー・デップ似の俺、どっちに抱かれたい?」

 ……あれ、おかしいな。未練を清算するための答え合わせなのに、むしろめちゃくちゃ未練がましくなってるぞ。ていうか、いざ実際に会ってこんなこと聞けるのか? 先日、友人の結婚式でかつて好きだったコと再会したときも、妙にきれいになった彼女の薬指に指輪が光ってて、なんか、その……話しかけられなかった俺じゃないか。

 女というテストから男は何も学べないようにできている。そんな俺に誰か、赤ペンで大きくバツ、つけてくれ。

(初出:『POPEYE』2011年7月号)

* * * * * * * * * *

【2023年の追記】

この回も、今読み返すと非モテ男子の自己憐憫感が強すぎておなかを下しそうな文章ですね。

文中に書かれている「自分がフラれた人に、どこがダメだったか聞いてみる」「気になっていたけど何もなかった人に、あのとき実はアリだったかどうか聞いてみる」という企画を、当時の私は機会さえあれば本当にやってみたいと思っていました。『やれたかも委員会』をリアルで本人にぶつけるような、ほとぼりの冷めた黒歴史をさらに黒歴史でホットに上塗りするような気持ち悪すぎる発想であり、やらなくて本当によかったと今では思います。

しかし何を隠そう、私がジェンダー論やフェミニズムに関心を持つようになったきっかけの一つは、この「なぜ自分は不合格男子なのか」というテストの答え合わせがしたかったからなんですよね。

非モテをこじらせていた当時の私は、誰も自分を男として選んでくれない理由について「女の人はなんで本当のことを言ってくれないんだろう」とずっと思っていました。そこで、女性の本音や本性、欲望が知りたいから男女論やジェンダー論を読むようになり、そうこうするうちに、私が女の人特有の考え方だと思っていたものは、どうやらそう育てられてきた社会の構造によるものらしいということに行き着いた……というのが、私がフェミニズムを知るようになった流れです。

だから私が、ナンパスクールに通って女性を抱いた数を競うような有害なホモソーシャルにのめり込んだり、Twitterで「女が上昇婚しないのが悪い」とルサンチマンを垂れ流したりするような男にならずに済んだのは、たまたまインストールした価値観の順番が違っただけで、本当に紙一重の差だったんじゃないかと思うときがあります。

ミソジニーのダークサイドに落ちる穴は、どんな男性の足元にも常におびただしい数あいていて、そこに一回もハマらずに済む男性はおそらく存在しないんじゃないか。足を取られるたびに、その都度穴から這い出てまた歩いていくしかない。そういうものなのだと思います。

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