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お前のバカで目が覚める! 第21回「ひらがなで書きたい『おだぎりじょー』」

【注記】
これは、ぴあが発行していた情報誌「weeklyぴあ」に2003年7月14日号〜12月22日号の半年間連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在のポリティカル・コレクトネスや倫理規範に照らし合わせて問題のある表現が数多くあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

ひらがなで書きたい『おだぎりじょー』

 田村正和が「マサにガスだね」と言い出した辺りから、どうもあやしいとは思っていた。日本人の濁点・半濁点に対するデリカシーの低さに、である。

 よく焼き肉屋や居酒屋に行くと、結局「ビビンバ」なのか「ビビンパ」なのか、みたいな言葉じりが気になったりするじゃない。君はしなくても俺はするのね。だから戯れにネットで検索してみたわけ。そしたらもうね、事態はそんな生やさしい次元をはるかに超越してましたね。ビビンバ、ビビンパは言うに及ばず、「ビピンパ」「ピビンバ」「ピピンバ」など、考えうる濁点と半濁点の順列組み合わせのパターンすべてが、同じひとつの食べ物を指す言葉としてまかり通っていたのである。なんだこの当てずっぽうみたいな精度の甘さは。節度ないにも程がある。足並み揃わなさすぎだ。

 とある韓国レストランのホームページなんて、もはやメニューの隣同士すらコンタクトがとれてなくて、

・石焼ユッケビピンバ  千円
・石焼焼肉ピビンバ   千円

 とかなってるのな。外来語をカタカナであらわす表記上の問題とか、もうそういうレベルじゃない。何か不思議な力が、人に点と丸に対するデリケートな判断力を失わせているとしか考えられないのだ。まさかないだろうと悪ふざけのつもりで検索した「ピピンパ」までが焼き肉屋のサイトにヒットしたときは、さすがに軽い恐怖を覚えた。

 往々にして、われわれはカタカナ語に対して態度を決めかねる。「デズニーランド」と発音するオヤジはバカにするくせに、「ハンチング帽」はアリだ。「ハンティング」じゃないのか。コロムビアレコードの「ム」はいいのか。関係ないけどダイドードリンコの「コ」ってなんだ。

 カタカナがうやむやにしている問題はまだある。たとえば「ポケット六法」。ポケットに入る気などさらさらないであろうそのふてぶてしいサイズにもかかわらず、臆面もなく「ポケット」と名乗り続けるその傲慢さ。その背後に見え隠れするのは、日本人の外来語に対する盲目的な腰の低さである。「有効成分インドメタシン配合」と言われれば意味わからずともすがりたくなるし、「イブプロフェン・アンチピリンが効く!」となればもう土下座だ。「ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株~♪」などと歌われた日にゃ、はなの歌唱能力のまずさなどたやすくねじ伏せチャラにしてしまえるほど、見る者に「トクホだから体にいいんだよなぁ……」と漠然と思わせるゴリ押しの説得力がある。

 すれ違いざま、見知らぬ人に「このポカホンタス!」と言われたらどうだ。よくわからないがとにかく罵られている気はする。大切なのはその「気がする」部分だ。そこから漂うムードさえつかめれば、ポジティブな愛のヴァイヴスでピース! なのである。「次はー、シンパシー、シンパシーです」大丈夫、たぶん新橋っぽい所に着くって。

(初出:『Weeklyぴあ』2003年12月1日号)

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【2023年の追記】

宮沢章夫のような視点に、松尾スズキのような文体を融合させた……みたいな感じを狙っていたんだと思います、たぶん。

狙っていたというよりも、めちゃくちゃ影響されまくって自然とそうなってしまったというほうが正しいです。

そして、本当は今でもずっと濁点と半濁点のことだけを考えていたい私なのです。

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