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お前のバカで目が覚める! 第6回「付加なんていらねえよ、夏」

【注記】
これは、ぴあが発行していた情報誌「weeklyぴあ」に2003年7月14日号〜12月22日号の半年間連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在のポリティカル・コレクトネスや倫理規範に照らし合わせて問題のある表現が数多くあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

付加なんていらねえよ、夏

 ここはひとつぶっちゃけ話をしましょう。みんな、コカコーラとペプシコーラを味の違いで区別できてるんだろうか。正直、私は茉奈と佳奈くらい区別できていない。あめくみちことかとうかずこすら混同しがちな私が、佐藤B作とそのまんま東という旦那のオプションによって両者を区別しているように、人がコーラのチョイスをするとき、それはCMのイメージやボトルキャップのおまけといった「付加価値」によるところが大きいのが実際じゃないだろうか。

 世の中はいま、付加価値つけてナンボの時代なんだろうと思う。もはや商品そのものじゃ差がつかない。たとえるに、企業は常に「どっちの料理ショー おはぎVSぼたもち」みたいな不毛な勝負を強いられており、その中で一歩抜きんでるためには、いかにヨソと違う付加価値をつけられるかしかないのである。

 おはぎが「最高級小豆使用」を売りにすれば、ぼたもちは「選りすぐりのもち米100%」で押してくる。一方が「あんこたっぷり」を打ち出せば、「あんこぎっしり確かな満足」「あんこの厚みが違う」「乙女、あんこに感動」「おおよそあんこ」「ほぼあんこ」「ていうか全部あんこ」と競合はエスカレートしていくばかり。やがて「つぶあんのツブツブにいまだかつてないソリッド感!」を謳ったものが現れると市場に衝撃が走り、以降しばらくは「サクサククリスピー」「トルコ風のびるもち米」など新食感をめぐる争いとなる。

 しかし、それも出尽くすと今度は「お盆に供えれば大霊界のご先祖様もご満悦! 丹波哲郎」「おはぎです! 食べなさい! おすぎ」など芸能人の推薦コメントで知名度のアップを図りはじめる。その後も、おはぎ・ぼたもち双方が「月九ドラマとのタイアップ」「つんく♂プロデュースでCDデビュー」などそれぞれメディア戦略に乗り出すが、あるとき、室伏が砲丸大のぼたもちを投げるCMを放送したところ「食べ物を粗末にするな」と抗議電話が殺到。ぼたもちサイドが劣勢になったスキをついて、おはぎ側が「トップブリーダーも推奨」「省エネ大賞受賞」「多い日も安心」などをうたい文句に大躍進。ついにはアンアン読者アンケートにて「おはぎたい男ランキング」第1位を獲得して業界シェアトップに踊り出るのである。

 ごめん、おはぎごときで遊びすぎた。でもいいよね。言葉遊びという付加価値で飾ったときだけ、俺は己の原価の安さをだましだましやり過ごせるんだから。あなたもそうでしょ? 米米クラブの無駄な人数の多さがそれなりの迫力を生んでいたように、京本政樹がモミアゲ込みで京本政樹であるように、足して足された自分の付加価値を寄せて上げてかき集めて、無理矢理Cカップくらいにしてあなたもなんとか生きているのでしょ? 大丈夫。ホントは貧乳だって知ってるけど、それでも愛するからさ、俺は。

(初出:『Weeklyぴあ』2003年8月18日号)

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【2023年の追記】

ああ、私はこういうひたすら意味のない上っ面の言葉遊びが心底大好きなんだなあ、ということがわかる回ですね。特に、「何かと何かが似ている」とか「何かと何かの違いがわからない」みたいなネタは、昔から今にいたるまで大好物です。

実は私には一時期、1本数秒〜数分のギャグ映像を毎日必ずアップする「福田のギャグマラソン」という活動をしていた黒歴史があるのですが、そこでも“コイケヤの「スコーン」と、フリトレーの「チートス」が戦争をするが、入り乱れて戦ううちに敵か味方かわからなくなって混乱する”というネタをやったことがあります。

今も、暇さえあれば「林家三平と片寄涼太は似ても似つかないが、間にラブレターズ溜口を挟むとグラデーションで似ている気がしてくるから不思議だな」とか、「人間は2種類に分けられる。オズワルド畠中の声が、バナナマン設楽に聞こえる人と、吉田豪に聞こえる人だ」とか、「コロチキのナダルじゃないほうの顔を思い出そうとすると髭男のボーカルが出てきてしまう現象に名前をつけたい」とか、「マカロニえんぴつのボーカルの顔を思い出そうとするとコロチキのナダルじゃないほうが出てきてしまう現象には名前はいらないか」とか、そんなことばかり考えています。

もう2度とやりませんが、もしも万が一、いま「福田のギャグマラソン」を撮れと言われたら、“「崇(たかし)」と「祟(たたり)」の違いを、腕の上げ下げのジェスチャーで表現する男”という一発ギャグをやろうと思います。

ほんとうは私は、ずーっと、いつまでも、永遠に、こういうことだけを考えて生きていきたいのです。

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