【何でも聞いていいんだよ。】イギリスにいる難民の友人たちからの言葉。

イギリスのブラッドフォードで大学院生活を送る私は、ボランティアでブラッドフォードに避難してきた難民の方たちと関わる機会が多い。

イギリスのリトルパキスタンとよばれる、移民の街、ブラッドフォード。
イラン人、スーダン人、シリア人、ウガンダ人、コンゴ人、エリトリア人、クルド人、イラク人…毎回、新しい人たちと出会う。

私はずっと思っていた。自分が何か難民である彼らの生活をいい方向に変えてあげられもしないのに、個人的な質問は、すべきじゃない、って。
例えば、ただのクラスメートなら聞けたかもしれない気軽な世間話や身の上話を、自分から難民の人たちに無意識に振らないように気を付けていた。彼らの辛い、悲しい過去や現状に、私が土足で踏み込む権利はないと思っていたから。

日本にいる難民の人から、僕は難民だけど、人間だよ。紛争だけが僕のバックグラウンドじゃない。難民は僕のアイデンティティを象徴するものじゃない。そう聞いて、その通りだと思った記憶が、私をそうさせているような気もする。

最近、二人の難民の友人から言われた。シリア人とスーダン人の友人。
「聞きたいこと、何でも聞いて良いんだよ?ふみは、あんまり深い質問を自分から振ったりしないよね。どうやってヨーロッパまで来たのとか、なんでイギリスで難民になったの、とか。なんでも答えるよ。本当に遠慮しなくていいの。世界中の紛争地から人が集まるこの場所にいて、この機会を生かさないのはもったいないでしょう?大学院で平和学まで勉強してるのに。」

たぶん、友人たちには私という人間を信頼してくれたのと、この世界の苦しみをより多くの人が知るべきだという気持ちがあるんだと思う。

言われた後も、正直もやもやとした気持ちが続いた。もちろん、聞きたいことは山ほどある。でも、これは私の自己満の為に質問してもいいってこと?学校の調査対象でもないのに?

そして私自身も、ただ自分の知識不足で相手にきちんと的を得た受け答えができないのでは、という心配もあることに気づかされた。そして、私自身が相手の辛いストーリーに対して何と声をかけたらいいかわからない怖さから逃げているだけなのかもとも思った。

イギリス生活、残るは半年強。
せっかくそう言ってくれる友人がいるならば、話を聞いてみようじゃないか。その人が難民であってもなくても、みんなそれぞれのストーリーをもって生きている。今ここにいるから、聞ける話があることは間違いない。

忙しさにかまけず、人と向き合おう。そもそも、私は人が好きで、平和学学んでたんだった、とふと原点に返ったような気がした。

本人の了解が得られたら、できるだけこのノートにその記録を残していけたらと思っています。さて、有言実行だ!

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