見出し画像

映画 正欲の感想

見たあと、友人と感想を言い合ったが、答えがわかっていないのに答え合わせをしながら、様々な視点で語りあい、あっという間に時間が過ぎていった。

そして、一人になってからも、その答えを探そうとしている自分がいた。

感想を簡単に言えば、凄い良かったし、役者さん達もみんなよく、吾郎ちゃんの役は、難しい役だったけど、見事それを上手に演じ切っており、半世界や窓辺にても好きだったけど、嫌な役なのになぜか、それをこんなに自然に演じられ、検事さんの憂いさえ感じられた。

新垣さん、磯村さん、佐藤さん、東野さんも、
それぞれに素晴らしく、きっとこんな人達がいるんだなって。

でも、なんかこうやって言葉にしてしまうと、薄っぺらくなってしまう。多様性やダイバシティ?など、言葉だけが先行している世の中なのに、映画の中と同じように、その言葉を簡単に扱ってはいけない気がしてならない。

原作を読まないで映画を見たので、原作をじっくり読もうと思う。
ただ、こんなにも良い映画なのに、感想をことばにできないのは、久しぶり。

私の場合、人に関して、だんだん希薄になっているせいか、少数派の気持ちもわかる。だからこそ、
自分の感覚を理解してくれる人との繋がりは大事。
でも、その少数派でさえ、一歩間違えれば、その繋がりは、儚く散っていく。

ただ、吾郎ちゃんの役も理解できる。なんか、子供も、奥さんも、もっと理解のある父親像を求めてる。でも、YouTubeをやることも、凄く反対したわけでもない、NPOのイベントにも参加している。ましてや、レトルトカレーでも、文句をいわずに食べている。なのに、離婚調停するほどに溝ができていた。そこに気づけなかった。理解ができなかった。
だからこその、ラストシーン。

でも、その事じたいもそんなに悪い事でもないように覚えるし、検事という職業がら致しかだない。
私には、どの登場人物もなんとなくわかるし、少数派とか多数派とか、普通とかの概念がない。

人に対する許容範囲は広いほうだけど、性的な思考まで理解や許容できるかと言われると、考えてしまう。

だから結局答えがでない。

この感想も後少しで、なぜか下書きのままになっていた…。

磯村さんが今出ているドラマ 「不適切にもほどがある」で、昭和の時代が出てくるが、昭和なら、この映画は、受け入れられないのかなって。

だからこそ、昭和の残り香が、かすかに、微妙に残り、炙り出されている現代だからこそ、「正欲」の映画は、一石を投じているように思えてならない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?