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【卒論】なぜ自己啓発書は心の「処方箋」になるのか ~ポジティブ・努力の信仰と「自己責任」について~ 第一章

・はじめに

自己啓発本を読んだことはあるだろうか。書店に行けば、ビジネス本やスキルアップのための書籍、資格のためのハウツー本など、様々な種類の自己啓発本があるので、一度くらいは手に取ったことがあるかもしれない。

二〇二三年の日販の年間ベストセラーランキングを見てみると、『頭のいい人が話す前に考えていること』(安達裕哉 ダイヤモンド社)、『人は話し方が九割』(永松茂久 すばる舎)、『二〇代で得た知見』
(F KADOKAWA)などがランクインしている。

牧野智和は『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』(勁草書房)で、(1)「自己啓発書は、日々の生活を、人生を、目の前に開ける『世界』をどう受け止めるか指南するメディアでもある」とする。そうした観点で見ると先ほど挙げたベストセラーたちは、対象としている読者は異なるが、どれも自己啓発本であると言える。

そのため、片付け本やダイエット本といった、一見すると自己啓発本ではないと思われそうな書籍も、部屋を綺麗に片付けた先や、ダイエットを成功させた先の「世界」を指南する物であった場合は、自己啓発本に含まれることになる。

また、牧野は同書で自己啓発本について、(2)「不安を掲げて人々を惹きつけ、それらへの処方箋を提出する書籍群なのだ」とも述べる。では、人々の「不安」とはどこにあり、何から解放されるために自己啓発本を読むのだろうか。

本論文では、より深く「自己啓発」に迫るために、自己啓発“本”にとどまらず、関連するものとして、オンラインサロンやスピリチュアル、占いも研究対象とした。
まず第一章では、「自己啓発のはじまりはどこか」として、歴史や源流の思想を見ていきたい。

【註】

(1)牧野智和『日常に侵入する自己啓発 生き方・手帳術・片づけ』勁草書房 
二〇一五年 ⅱ頁
(2)同上 ⅱ頁

第一章 自己啓発の始まりはどこか 

・アメリカで巻き起こったポジティブ・シンキングブーム

日本以外でも自己啓発本は浸透しており、アメリカでも一ジャンルとして好まれている。
とりわけ、アメリカでの市場規模は日本以上に大きく、(1)「『自己啓発産業』と表現される巨大なビジネスにまで成長」している。
日本でも大ヒットした、片付けの達人・こんまりこと、近藤麻理恵の著作『人生がときめく片づけの魔法』(河出書房新社)はアメリカでもブームを巻き起こしており、売り上げは世界でシリーズ累計一〇〇〇万部を超えている。ときめくことを「Spark Joy 」と名付けた彼女は、米タイム誌の「世界で最も影響力のある一○○人」(The 100 Most Influential People)(2)にも二〇一五年に選出された。彼女の提唱する片づけや、断捨離・ミニマリズムといった分野も自己啓発の一つとして分類することが出来るだろう。

「ポジティブ・シンキング」の考えも、アメリカでブームを巻き起こし、世界中に広まった。「ポジティブ・シンキング」は、アメリカで活動した牧師、(3)ジョセフ・マーフィーが提唱し、広まっていったとされる。彼は後ほど取り上げるニューソート系の牧師であった。また、「ポジティブ心理学」の創始者である、マーティン・セリグマンは、(4)「自分についての考え方を変えれば、能力や効果に影響が出る」と言う。こうした流れを見ると、一般的に馴染みのある「ポジティブ・シンキング」も、れっきとした自己啓発の思想の一つであると言える。

・キリスト教の異端「ニューソート」の流れを汲む「引き寄せの法則」

ポジティブ・シンキングの思想に近いものに、「引き寄せの法則」がある。これはスピリチュアリティの世界で広まっている考えで、アメリカでは「動機付けの心理学」とも呼ばれる。筆者がアルバイトをしているコミュニティFMでも、番組に出演している占い師の方が事あるごとに「引き寄せの法則」についての話をしていた。彼女は四柱推命を専門にする占い師だった。

「引き寄せの法則」は、オーストラリアのテレビ作家・プロデューサーのロンダ・バーンが二○○六年に制作した映画「ザ・シークレット」を基に、同一タイトルの自己啓発本を発売したことで一気にブームが起こったとされている。風水師やギフト向けスピリチュアルグッズの会社の経営者など、様々な人のインタビューで構成される、書籍版『ザ・シークレット』は、出版から数か月で全世界三八〇万部を売り上げた。

スポーツやビジネス、恋愛や健康、人間関係など、あらゆる分野で「引き寄せ」は用いられる。今挙げた分野は、どれも自己啓発本が多く出版される分野でもある。「引き寄せの法則」は、二○○六年にブームが起きたと書いたが、存在自体は百年以上も前からあると、バーバラ・エーレンの(5)『ポジティブ病の国、アメリカ』(河出書房新社)では述べられている。

では、一体「引き寄せの法則」とはどのような法則なのか。基本原則を見てみたい。ダイヤモンドオンラインの記事(「本当?『引き寄せの法則』を使えば、未来は思いのままになる!」)では以下のように定義されている。

・宇宙の万物は、それぞれ波動を放っている
・似た波動を放つもの同士が引き合う

これだけでは少し抽象的で分かりにくいので、他の資料にある「引き寄せの法則」の定義も見てみたい。(6)『SPECTATOR 自己啓発のひみつ』第五一号(有限会社エディトリアル・デパートメント)では、「人間がより良い状況を自ら思い描くことによって、その望みの通りの状況を引き寄せることが出来る」とある。
「宇宙」や「波動」という言葉にはスピリチュアルの方向性を感じるが、「引き寄せの法則」ではニューソートという十九世紀末にキリスト教から派生した宗教思想が源流にあり、ポジティブ・シンキングも同様にこの流れを汲んでいる。

ニューソートは、キリスト教を基盤にしているものの、キリスト教内では異端の扱いを受けている。それは、ニューソートが「人間が現世での幸福を享受すること」を肯定するため、禁欲を説くキリスト教とは相容れない主張だということに起因する。

しかし、混ぜるな危険のこの二つの思想は矛盾しているが、相反する思想だからこそ、ニューソートがキリスト教社会のある種の「解毒剤」になっていたという見方もある。
「解毒剤」という言葉は参照した『SPECTATOR』で用いられていた表現だが、自己啓発書に対するその他の考察や書籍でも、「処方箋」「万能薬」など、薬や精神的おまもりとして見立てる例えがしばしば見られた。しかし、ポジティブ・シンキングは単なる比喩としての「お守り」的存在ではなく、実際に魔術の護符に近いはたらきをしている。

『ポジティブ病の国、アメリカ』では民間の魔術の「共鳴的魔術」と「引き寄せの法則」に共通点を見出している。“民間の魔術”となるといよいよ怪しいが、「引き寄せの法則」で用いられるビジョンボードと、魔術の領域の「繁栄の護符」を比較している。
ビジョンボードとは、何か達成したい目標、車やマイホームなど、具体的な物の写真を用意し、それをボードに貼り付けて、毎日二~三分眺めるというものだ。そして重要なのはそれが実現するところを想像すること。そうしていると、現実に起こるという仕組みである。では次に、「繁栄の護符」の作り方も見ていきたい。

(7)画用紙を用意し、四隅を残して、ラメ、リボン、魔術的シンボル、ハーブ、繁栄を象徴するものなどで飾りつけます。次に一ドル札を用意して、四隅の空白に貼りつけます。(中略)お金を持っていなければ、お金を引き寄せることができません。(中略)毎日目にする場所、できれば寝室に置きましょう。一日一回以上、これを心臓のところにあて、数分のあいだこう唱えます。「繁栄の護符」よ、あらゆるよきものを私のもとに引き寄せたまえ。

となっている。魔術的シンボルや一部の装飾に差異はあるが、おおよその方向性は一緒だ。作った後の祈りの箇所も酷似している。「引き寄せの法則」には、科学的根拠があるとの説があるが、「共鳴的魔術」にリンクした部分を持ち合わせている。


・「修養」という考え方 自己啓発の精神に通じる「自助努力」の誕生

アメリカの自己啓発書の発端であった「引き寄せの法則」や、ニューソートについてここまでみてきたが、日本の自己啓発書ブームの起源は明治時代から続く「修養」という考えまで遡る。
大澤絢子の『「修養」の日本近代 自分磨きの一五〇年をたどる』(NHK出版)では、「修養」についての意味・定義が述べられている。以下はその引用である。

(8)修養とは、主体的に自己の品性を養ったり精神力を鍛えたりすることで、人格向上に努める思考や行為をさす。

明治以前にも「修養」という言葉は存在したが、あるべき自己を目指して努力するとの意味といったニュアンスになったのは近代以降だ。この意味合いは、現代の自己啓発の定義と言われても納得できるだろう。同書ではその後に、自己啓発のことを「自分自身の認識や変革、資質向上への志向」と説明していた。「上昇志向を持ち、自らを高める」という意味において、「修養」と「自己啓発」はほぼほぼ同義と言っても差し支えない。

修養の始まりや、歩みについても簡単にではあるが触れておきたい。始まりは、サミュエル・スマイルズによる『西国立志編』(中村正直訳 求光閣書店)にて、自助努力の一例として提示されたことがきっかけだ。「Culture」や「Cultivation」といった言葉が「修養」と和訳され、『西国立志編』の原題である、『Self-Help』は自助と訳された。「自助努力」という考えは自己啓発本でも度々登場するが、修養にも大きく影響を与えている。

そこから修養は、明治二〇年以降(9)「形式的な教育に対して個人が主体的に精神面を高めていくことを目指す考え方」として広められていく。ちなみに、これを推し進めていたのは、キリスト教徒や仏教徒たちである。セミナーや自己啓発本から発する胡散臭さの原因には、どこか「宗教っぽさ」を感じる。その大元の「修養」には、キリスト教徒や仏教徒という紛れもない「宗教」が関わっているということは、非常に興味深い。

そうして社会的に影響を与えていった「修養」は、学歴エリートではない、働くノン・エリートによって実践されていく。現代の自己啓発本も「ビジネスパーソンへの」といったタイトルがつけられているものがあるが、内容が極めて難解で、一部の人にしか理解が出来ないもの、というよりも、とっつきやすい入門編といったものが多い。こうした部分も、明治時代の「修養」ブームから変わっていない。

他にも、新渡戸稲造が『実業之日本』という通俗雑誌に寄稿していた修養法を見ても、現代の自己啓発本との類似点がある。新渡戸は、心の豊かさや世渡り術、青年たちの働き方・職業選択について国内外問わず、偉人達の言葉を用いるなどして、修養を伝えていった。「あれもこれも修養論に取り入れる」という、全部盛りの姿勢も、昨今のビジネス書や教養を扱う書籍のバリエーションの豊かさに通じている。

新渡戸は「最も大切なのは大衆教育」と理念を掲げていた。ただ依頼があったから原稿を雑誌に寄せていたというよりも、むしろ周囲の反対を押し切ってまで、エリート層ではない一般の青年たちに知識を広めようと努めていたのである。(10)「多忙を極める新渡戸に対し、周囲のエリートたちは、ああいう通俗的な雑誌(『実業之日本』)に書くのはやめるべきと忠告」があったにもかかわらず彼は止めることがなかったと、『SPECTATOR 自己啓発のひみつ』(第五一号)の大澤のインタビューでも、新渡戸に関して発言している。

新渡戸の書籍『修養論』も宗教との関係を持っていて、それは一つの宗教に収まらず、キリスト教・儒教・仏教・神道など、多岐に渡っている。
そこから「修養」は昭和・平成に時代を移し、企業での研修でも用いられるようになる。そもそも、(11)「研修」という言葉は「研究」と「修養」から来ている言葉だという。入社後即座に、こちらが知らぬ間に「修養」が始まっていたというケースも少なくないことになる。

 新人研修の後にも、ダスキンや松下電器などの企業は、従業員が外部のセミナーを受講するための費用を一部負担する制度を導入していて、研修以外にも入社後に修養に励むべく道が整備されいている。
松下電器(現在のパナソニック)の創始者の松下幸之助は、集団修養を積極的に取り入れた先駆者だ。松下はPHP(Peace and Happiness through Prosperity)運動という、(12)「精神と物質の充足による繁栄」を目的とした運動を行っており、各地にて講演会などを積極的にしていた。彼は(13)「宗教の低調は人々の心の貧困を招くため、PHPの実現には宗教の興隆が必要」と訴えていた。
 大澤の記述によると、(14)特定の宗教にとどまらず、様々な宗教への関心を示しており、天理教の見学、キリスト教や仏教の指導者との懇談を行っていたという。先ほど述べた講演会の場所には、西本願寺や東本願寺を選ぶこともあった。どこかの教えに心酔していたのではなく、心の安定には宗教が必要という立ち位置だったからこそ、多くの人に広めることが出来たのだと考える。

 松下本人の著作以外にも、松下の言葉や、「松下哲学」と呼ばれる彼の考えを取り上げた書籍は大量に存在する。“経営の神様”と呼ばれる松下は、自己啓発本の定番とも呼べる人物である。『松下幸之助の生き方 人生と経営七七の原点』(佐藤 悌二郎PHP研究所)や、『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉 五〇』(江口克彦 アスコム)といったビジネス書・自己啓発本関連のものから、『松下幸之助物語 一代で世界企業を築いた実業家』(渡邊祐介 PHP研究所)といった児童向けの伝記まである。

松下の社長在任時には、毎朝の朝会で松下の唱えた「七精神」を唱和する、社歌をみんなで歌う、なども行っていた。学校の朝礼のようなこの習慣は、全員一致で事業を発展させていくこと、社員一人ひとりが自分を高めていくことを、求めていた証と言える。


・オンラインサロンに潜むやりがい搾取の危険性

「修養」という言葉自体は現代ではあまり馴染みが無くなってしまったが、形としては脈々と受け継がれている。昨今話題のオンラインサロンもこの流れの一部と言える。このオンラインサロンは日本発祥のサービスである。新型コロナウイルスの流行に伴い、オンライン上の新しい交流の場として、利用者が一気に増えた。『「修養の」日本近代』で用いていたデータを参照すると、(15)二〇二一年末の利用者は七四万人にまで上る。  

 一ヶ月以上自宅で過ごすことが推奨されていた、二〇二〇年春頃の自分のことを思い出してみても、何か始めなくてはいけない、この時間を無駄にしてはいけないとった焦りを感じていた。そのタイミングで、気軽に家から加入できるオンラインサロンが魅力的であった事は、想像に難くない。

 日本で現在登録者数上位のオンラインサロンは、一位がお笑い芸人・キングコングの西野亮廣の「西野亮廣エンタメ研究所」、二位がオリエンタルラジオの「中田敦彦オンラインサロン PROGRESS」、三位はやまもとりゅうけん(WEB/ITコンサルサービスを運営者)の「人生逃げ切りサロン」となっている。その後の順位も、堀江貴文や落合陽一など、自己啓発本の世界でも人気の人物のオンラインサロンがランキングを占める。占いやスピリチュアルの方面もあったが、こちらも自己啓発の要素を感じる分野ではある。

 オンラインサロンの利用目的を聞いたネット上の調査(ビルドサイン「オンラインサロンに関する調査」PR TIMES)では、オンラインサロンに求めることに、「知識」と回答する人が半数を占め、最も多い回答だった。「プレゼンに関する知識や副業などのビジネスに関すること」を求めるという声が多く、これは自己啓発本を読む理由とよく似ている。

 オンラインサロンで知識を得ることを否定はせずとも、大澤は詐欺の危険性や、やりがい搾取の問題を指摘する。オンラインサロン内で開催されるイベントは、その運営もサロンの会員が行うことがある。お客様としてイベントに参加するよりも、みんなで作り上げたいという気持ちが、通常のライブやイベントよりも湧くというのも理解できる。けれども、その善意ややる気に付け込んだ搾取になりかねないという懸念がある。

 また、オンラインサロンとは少し趣旨が異なるが、近年こちらも流行しているクラウドファンディングも、公的な機関が資金を市民の援助に過剰に頼る事に関しては問題だと考える。二〇二三年八月から始まった、国立科学博物館の標本・資料の収集・保管を目的とするクラウドファンディングには、期限の二〇二三年十一月五日を前に、八億四千万円以上が集まるという事例があった。個人的に「科博」は好きな博物館であり、何度も足を運んだことがある。なくなっては困る施設なので援助を考えたが、国立の博物館が一般市民に援助を求めるといった状況は、本来であればおかしなことである。正統に国から補助金をもらうべき施設も、一オンラインサロンのように、好きで集まった人からお金をもらっていれば、そのうち全ての公的施設が有志の手によって支えるもの、になりかねない。
「好き」という気持ちは尊重されるものだが、そこに頼り切るようになると、オンラインサロンもクラウドファンディングも「やりがい搾取」に転じてしまう。

【第一章    註】

(1)岡部光明「自己啓発は『より良い人生』をもたらすか」二〇二〇年六月
(2)『TIME』タイム社 二〇一五年四月
(3)丸山秀樹「ポジティブ・シンキング」東急総合研究所 研究員コラム
(4)『SPECTATOR 自己啓発のひみつ』第五十一号 有限会社エディトリアル・デパートメント 二〇二三年 三〇頁
(5)バーバラ・エーレンライク『ポジティブ病の国、アメリカ』河出書房新社 二〇一〇年 七四頁
(6)『SPECTATOR 自己啓発のひみつ』第五十一号 有限会社エディトリアル・デパートメント 二〇二三年 一二八頁
(7)バーバラ・エーレンライク『ポジティブ病の国、アメリカ』河出書房新社 二〇一〇年 七九頁、八〇頁
(8)大澤絢子『「修養」の日本近代 自分磨きの一五〇年をたどる』NHK出版 二〇二一年 十一頁
(9)同上 二五六頁
(10)『SPECTATOR 自己啓発のひみつ』第五十一号 有限会社エディトリアル・デパートメント 二〇二三年 一二九頁
(11)同上 十八頁
(12)同上 一七五頁
(13)同上 一七五頁
(14)同上 一七六頁
(15)同上 二四七頁




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