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「チリの地震 クライスト短篇集」 ハインリヒ・フォン・クライスト

種村季弘 訳  河出文庫  河出書房新社

クライストという作家


クライストの「チリの地震」という短編集。訳は(自分が読むのは)意外に初めての種村氏。 このクライストという人、だいたいゲーテと同じくらい(やや下?)の作家なのだが、ナポレオンを暗殺しようと考えたり、ゲーテと張り合おうとしたり、なんかこの時代独自の怒涛の人生歩んだ挙げ句、自殺してしまった人らしい。
標題作読んでみた。この作品含め、クライストの作品は天変地異や疫病などを絡めたものが多い。内容は「災害ユートピア」が実現すると思いきや…という展開…でも、実際はそうなるのかな? 
(2011 09/22) 

「聖ドミンゴ島の婚約」、「ロカルノの女乞食」、「拾い子」

今日はクライストの「チリの地震」から標題作に続く3篇を。

 人物たち一人ひとりはあくまでも彫刻的な硬質の輪郭において際立っているのに、彼らの間には接触不能の透明な薄膜が張られでもしたように言葉が通じず、ために人間関係がたえず猜疑と不信の非伝導物質にさえぎられて悲劇の淵に引き込まれてゆく
(p235ー236)


種村氏の解説より。 そんなんばっかり!って感じなのだが、特に4番目の短篇「拾い子」にはそれを感じた。通常あるようなコミュニケーションでさえも作家側が拒否している感じ。 

一方、2番目の短篇「聖ドミンゴ島の婚約」はハイチの黒人反乱が舞台の、そういった点からも興味が湧く短篇。

 彼女の彼に対する愛には熱い苦みの感情がまじり、彼の救出のために手配したこのくわだてのさなかで死ぬのだと考えると歓喜に小躍りする思いだった。
(p80)


こちらも薄膜大活躍?で、意思疎通が全くうまくいってないのだが、この文章の「苦み」ってのが目をひいてくすぐる。「劇」作家でもある「劇」的な作家クライストの中では、「小説」側に傾いた表現なのか。
ちなみに「彼女」メスティソであるトーニは、「彼」スイス系白人のグスタフを黒人反乱から守ろうとして・・・というのが大まかな筋。最後にはグスタフ自身にピストルで撃たれてしまうのだが、その時には苦い味はしたのだろうか?・・・最初っからグスタフの家族が乗り込んでくればよかったのに、とは言わないお約束?? 

間に挟まれた3番目の「ロカルノの女乞食」は、比較的短く(掌編)、幽霊出てくる怪奇もの、だけど作家の主眼はあくまで生きている側の避けられない運命・・・といった方にあるみたい。
(2011 09/27) 

「聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力」、「決闘」ほか

 彼女たちは胸をしめつけられるような不安のさなかにあったが、その不安そのものが楽曲に加わって、たましいを羽ばたかせるように妙音のこの世ならぬ天空へとみちびいたのである。 
(p135)


「聖ツェツィーリエあるいは音楽の魔力」より。16世紀後半。宗教改革→宗教戦争になりかかっていた時代はまた、音楽にもいろいろ変革が起こっていた(らしい)。ここに挙げられている楽器なんかもそうだろう。当時の学生があまりそういう音楽に接していないとすれば、これほどまでの威力を持つのかもしれない。引用はクライストらしい(?)感情の力を表した場面…しかし、指揮したのは誰(あるいはなにものか)なのだろうか。マンのファウストゥス博士にも影響与えたかも。

次の「決闘」へ。時代はもっと遡って中世。どんどん「力」が他人に転移していって騒動を巻き起こす…そんな話。
「決闘」はこの短篇集の中では、なんとかハッピーエンドみたいな展開になんとかこぎつけた…って感じ(でも、最後の最後に強調されるのは伯爵の死なんだな、「拾い子」のピアキの死のラストもそうだったけど、この作家の着目点がそういう「孤独の運命づけられた死」にあることは間違いない)。

その後の2作品は評論といっていいのか、エッセイといっていいのか…わからないけど、クライストの人生観と作品の作り方かいまみえて面白い。
ということで、今日の帰りでクライスト短篇集を読み終えた。
(2011 09/28) 

クライスト短篇集の最後の2作品には、認知の仕方とか、教育の方法とか、現代こそ必要だとも思われる考え方が入っていると思う。もしかして、クライストは教育関係の職がよかったのかも。
(2011 09/29)

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