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「いいなづけ(上)」 アレッサンドロ・マンゾーニ

平川祐弘 訳  河出文庫  河出書房新社

昨夜からマンゾーニの「いいなづけ」を読み始めた。結婚したい若い2人と、娘に横恋慕する領主。幾多の困難を乗り越え果たして2人は無事結婚式を挙げることができるのか…というのが大筋。まあ、結局は結婚できてハッピーエンドらしいので、後の教養小説のように時間とともに成長する登場人物…ということは、あまりない。そういった小説生成前の平明な(わかりやすい、とか、価値判断の問題は、ここではない)小説の具体例、といえる。
そういう小説、そして、国民国家成立後の歴史小説としては、スコットをその祖として、弟子?にこのマンゾーニ、そして先々月読んだプーシキン、そしてバルザックなどが挙げられるのだろう。 
(2009 04/03)

昨日読んだマンゾーニの「いいなづけ」の第8章。小説前半の山場といった感じで、オペラだったら第1幕終了。最後の部分は故郷の村を後にして泣いているヒロインのルチーアの心理描写から、いつのまにか作者マンゾーニの感慨が入ってきている。自分の考えでは、この時代になって自発的であれ仕方なしにであれ、故郷の村を後にする人々が増えた、その人々が自分の村を初めて外側から見た…という近代への移行の瞬間を捕らえた場面ではないかと思う。それが、この上巻の丸谷才一氏の解説では「ナショナリズム」の現れとされているのではないか…と、思う。
直接の関係はないが、一行がコモ湖を渡るこの場面の船頭から、佐倉惣五郎が直訴すると知っていて、それでも渡した船頭のことを思い出す。 
(2009 04/08)

さっきまで、「いいなづけ」の第11・12章を読んでいた。これで上巻もあと少し…
今日読んだところは、場所をミラーノに変えてパン屋に対しての民衆の暴動の場面。日本で言えば米騒動。この話の2世紀後(ということになっている)マンゾーニの語りは、かなり冷やか。少なくとも「民衆を愛情込めて描いている」感じではない。ちょっと前にある鼠の生態描写と似た感じ。
そんな中、あの村から逃げてきたレンツォがたどり着くわけだが、一方に故郷のギザギザした山々の形、それと対にミラーノの大聖堂(ドゥォーモ)。この立ち位置にレンツォがすっぽりはまって、また忘れられない場面に。こういうオペラッチックな見通しのよさもイタリア流、といったところか。 
(2009 04/15)

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