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「いいなづけ(中)」 アレッサンドロ・マンゾーニ

平川祐弘 訳  河出文庫  河出書房新社

「いいなづけ」の第15章から。

 そして多少分別を取戻したところでふと気がついてみると、自分は大いに分別を失っていた。 
(P47)


安酒場で酒を飲み過ぎたレンツォの描写だが、楽しい。だが、これがレンツォにとっては苦い体験となり、警察の密告屋に自分の身分を打ち明けてしまい、翌日はパン暴動を煽動したとして逮捕される運命にある。
一方、安酒場兼宿屋の主はひやひやしながらこの様子を見ていたが、レンツォがもう寝てしまったとみるや自分も密告しに出かける。その前にレンツォの顔にランプをかざしてじっと見る場面は、レンツォと宿屋の主、双方の人間の奥底をかいま見ているようで、この小説の中で印象深い場面を構成する。

 人間は時々癇癪の種をまるでそれが愛玩の種ででもあるかのようにじっと見たいという一種の磁力に引かれることがある 
(P52)


(2009 4/20) 

「いいなづけ」の第18章から。

  問題は出来心を起こした以上、いかにして得心させるか、だ。
(P149)


人間の歴史とか、もっと言うと人間の本質なるものは、実はこういった「出来心」とそれに対する「得心」で成り立っているのかもしれない。

   イタリアの薬局にあるアラビア文字の箱 
これは何のことだと思われるだろうか? そのこころは、実際中には何も入っていないけど、周りからありがたられ信頼を維持できるもの…だとか。
この箱の位置は、日本では床の間にある掛け軸とかにあたるのだろうか? あるいはもっと家風があるお宅では日本刀とか? このマンゾーニの比喩、イタリアとアラブの歴史をかいまみさせてくれる。
箱はヴェネツィアから来たのだろうか、シチリアからか、ひょっとしたらスペインから? 
(2009 04/24) 

今回はインノミナートという悪党の大将の改心と、ルチーア救出…
と、物語は滔々と流れる力強い大河のように第1章からずっと続いているが、そこへ今回久しぶりにアッボンディオ司祭が第8章以来久しぶりに登場し、インノミナートの城へ改心した彼と一緒にルチーアを迎えに行く。
大河の流れをまるで知らないように(実際知らないのだろう)、今までのように小心者の司祭。祝賀モードの周りから一人だけ浮いていて、始めて会ったルチーアを一時的に引き取る主婦からも作者からもつっこまれ放題…なのだが、彼がいなくては「いいなづけ」という小説は数段もつまらなくなるのか、と思ったりもする。

言ってみれば、アッボンディオ司祭の役割は、先の大河に降ろした錘みたいなもの。アッボンディオ司祭が平常心か大きく揺れているかで、物語の流れが遅いか早いか、がわかる。アッボンディオ司祭で定点観測ができる、というわけだ。 
(2009 04/29)

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