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「ブラジル文学傑作短篇集」 アニーバル・マシャード、ジョズエ・モンテロ、リジア・ファグンジス・テーリス、オリージェネス・レッサ、ハケウ・ジ・ケイロス、マルケス・ヘベーロ

伊藤秋仁・神谷加奈子・岐部雅之・平田恵津子・フェリッペ・モッタ 訳  ブラジル現代文学コレクション  水声社

目次

アニーバル・マシャード
 タチという名の少女
 サンバガールの死
ジョズエ・モンテロ
 明かりの消えた人生
 あるクリスマス・イヴに
リジア・ファグンジス・テーリス
 蟻
 肩に手が…
オリージェネス・レッサ
 エスペランサ・フットボールクラブ
 慰問
ハケウ・ジ・ケイロス
 白い丘の家
 タンジェリン・ガール
マルケス・ヘベーロ
 嘘の顛末
 扉を開けてくれたステラ
ブラジル独立二百周年にあたって(駐日ブラジル大使オタヴィオ・エンヒッケ・コルテス)
訳者あとがき

「蟻」リジア・ファグンジス・テーリス


ゴシックホラーとでもいうのか、小人の骨がある部屋に住むことになった語り手と従姉妹。蟻の行列が毎晩できていて、行先は骨が入っている箱。なんと蟻たちは小人の骨格を作り上げているのであった…というお話。肉付して小人を復元させるのか、それとも骨格だけなのか。そこまで話広げるとめんどくさくなるので、その前に彼女達(語り手、従姉妹、そして作者)が逃げ出した感も? それは冗談として、解説には理系の従姉妹の方が脆くなっていく(語り手は法学)と書いてあったけれど、自分の読後感では、語り手は鈍感で、敏感な従姉妹のおかげで難を逃れた、という気がするのだが…
これ1作だけで作家は語れないと思うので、この本のようにそれぞれ2作はグッドアイデア。
(2023 11/26)

マルケス・ヘベーロ「扉を開けてくれたステラ」


語り手とステラという女性が仕立屋の店先で出会うが、階級、混血の娘であるとかいったことでそれ以上進めなくなる、というお話。

 逃げ出すという考えを受け入れた。あたかも既定の事実であるかのように。彼女は熱い手を握りしめた。彼女の眼は海に魅入られていたのだ。海の波に。見知らぬ海の波に。緑の、深い緑の、神秘的な海の。
(p182)

 二人は小さな橋から離れられずに、川の音と鐘の音を聞いた。頭上に星が見えた。難破船の遺物のように忘れ去られて、取り残されて。
(p184)


嵐で命を落としたステラの父親の面影が、ちらほらする。ここのあと代父も急死してしまい、勉学を諦めざるを得なくなっていく。
(2023 11/30)

オリージェネス・レッサ「エスペランサ・フットボールクラブ」、アニーバル・マシャード「タチという名の少女」

オリージェネス・レッサ「エスペランサ・フットボールクラブ」…はブラジルらしい、地方都市のサッカークラブの話。

アニーバル・マシャード「タチという名の少女」
無邪気な女の子タチと裁縫で生計を立てている母マヌエラの視点が縦横無尽に移り変わる。今読んでもなかなか斬新な作品。

 海に行きたくて、いつも夜明けを待っていた。海に夢中で、そのことだけで頭がいっぱい。一日中眺めて、音を聴いていたかった。ママのような憧れの存在だった。どうしてなのかよく分からないけど、ママと海は似ていた。大きくて、強くて、柔らかい。急に怒ったり、その気になれば殺せたりできるところも。ママだって神秘的だった。今みたいにそばにいれば守られて安心だった。反対に海は怖かった。
(p25)


三好達治か…
それはともかく、アンビバレンツな心情が、海と母親に相互干渉しながら染み渡っていく。
このあと、p40でも海が出てくる。タチの記憶が混然として、海の近くに住んでいた時と、生まれる前のこと、それらが混ざり合う。
(2023 12/02)

ジョズエ・モンテロ「明かりの消えた人生」、ハケウ・ジ・ケイロス「タンジェリン・ガール」

昨夜、2編読む。これで6人の作家の1編ずつ。
ジョズエ・モンテロ「明かりの消えた人生」
婚約者と思っていた男に逃げられた中年女メルセデスと、今まさにそうした境遇に置かれている若いカルメンシッタ。メルセデスはそれから教会で代子になったりボランティアっぽいことをしている。カルメンシッタに声を掛けるが…という話。しみじみな佳品。

 坂道を上り切ると、メルセデスは遠くの方を眺める。昔のようにはもう登れない。少し立ち止まって、深呼吸をしないと。子どものころは一気に坂道を駆け上った。それから婚約中のときも、頂上に来るまで休まなくてもよかった。でも今はゆっくり歩いて、マトリス教会の広場に着く前に一息つかないといけない。
(p67)


情景が風景と心情双方に重なってくる。

ハケウ・ジ・ケイロス「タンジェリン・ガール」
こちらは第二次世界大戦時のアメリカ海軍基地建設に伴って、飛んでいた軍用飛行船を見上げる少女の話。解説では上(アメリカ)と下(ブラジル)の対比が挙げられていたが、確かにそれもあるとは思うけれど、青春群像劇?としても楽しめると思う。

 純粋かつ真っ直ぐにそれを見つめる代わりに、私たちが自分に課すこのあきらめは、まさに美しいものの価値のひとつだと思われるからだ。
(p156)


冒頭、飛行船「プリンプ」を見つめる少女から。

リジア・ファグンジス・テーリス「肩に手が……」、ジョズエ・モンテロ「あるクリスマス・イヴに」

続けて、今日読んだ2作品。
リジア・ファグンジス・テーリス「肩に手が……」
冒頭から。

 男は灰色がかった緑色の空を奇妙に思った。細い木枝の冠を戴いた蠟の月、不透明な背景に精細に浮かび上がる木葉。月だろうか、それとも輝きを失った太陽だろうか? 古い銅銭のようにくすんだ光に包まれた庭は、もう夕暮れなのか、それとも夜が明けようとしているのか判別しにくかった。奇妙だった。雑草の湿気た匂い。まるで絵の中のような結晶化された沈黙。
(p110)


…いつまでも引用続けられる…やはりこの作家だけ、この作品集の中では異色。まだこの前読んだホーザの方が近いかな。まだ、抽象的なところなどにおいて。
作品集の中心テーマは死。男は一回はこの「夢」から覚めるが、もう一度この「夢」の世界に戻った時には…

ジョズエ・モンテロ「あるクリスマス・イヴに」
この作家、前の作品では女性かな、と思っていたけれど男性かな。ブラジル人の名前はわからない…
という疑問が湧く。ある意味寓話的な(昔別れた女がずっと暮らしていた部屋をそのままにしている)この話は男女どちらが書いたかで評価変わる気が。
(2023 12/03)

マルケス・ヘベーロ「嘘の顛末」、アニーバル・マシャード「サンバガールの死」


マルケス・ヘベーロ「嘘の顛末」(日曜夜)
弟は父親の高価な薩摩焼の花瓶を割ってしまうが、機転の効いた嘘を話すことで許される。一方、語り手でもある兄の方は、父親のお気に入り(でも上の花瓶よりは安い)の水差しを割ってしまう。この時は叱られてしまう。という考えさせられる佳品なのだが、これこそ、弟の側から書き直すとどうか、何かよくわからない良心の呵責が育つのか、それとも「信頼できない語り手」になるのか。

アニーバル・マシャード「サンバガールの死」(月曜夜)
前にサッカーの短編あったけれど、ブラジルといえばもう一つ有名なのがカーニバル。その喧騒、その中でサンバガールを殺してしまう青年。筋書きは異なるけれど、雰囲気がマルケスの「予告された殺人の記録」を思い浮かばせる。

 この終わりのない夜にブラジル全土を探しても、熱気が籠っているこの恐ろしいオンゼ広場ほど生命の爆発や人の蠢きと雑踏とを持っている場所があろうか?
(p47)


結末の悲劇に向かって畳み掛ける文章。似た機能の文章が「予告された殺人の記録」にもあると思うのだけど。
この作品、そして「肩に手が……」、2作品の訳者はフェリッペ・モッタ氏。名前から見る限りは日系ブラジル人のような気がするが、翻訳が自分好みで読ませる。今時風の訳文ではなく、やや重厚な語り口が安心できる。
(2023 12/05)

オリジェーネス・レッサ「慰問」、ハケウ・ジ・ケイロス「白い丘の家」


昨夜、残り2作品読んで、この短篇集読み終わり。
オリジェーネス・レッサ「慰問」
原題は「未亡人、病人、囚人たち」。作品中に慰問の対象者として言及される。
作者レッサの父親はプロテスタントの牧師で、この小説のように息子を連れて慰問に出かけた。カトリックが大半のブラジルでも、このようなプロテスタント牧師もいる。ハンセン病に家族全員がかかった家に慰問に行った時の息子の原体験(同じ著者の「太陽通りのぼくの家」(池上訳)という小説でもこの父親のことは出てくる)。

ハケウ・ジ・ケイロス「白い丘の家」
北東部フォルタレーザで生まれた作者の、北東部出身者の話。白い丘に周りより離れて建つこの流れ者の一族。こういった雰囲気が今度は「百年の孤独」に通じる背景を感じさせる。流れてきた当人がヴォルテールの本名から取られた名前を名乗り、子供にはスパルタクスと名づける。ヴォルテールは古代ローマ期のスパルタクスの乱を評価していた。
(2023 12/07)


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