【短編小説】お日様が輝いてるね
「お日様が輝いてるね!」
「……へ?」
目の前にいる友人のその言葉に、ぼーっとしていた私は思わず素っ頓狂な声をあげた。
時刻は昼。クラスメイトたちは各々、学食へ行ったり自席で弁当を食べたりと、貴重な休み時間を満喫している。
そんな中で私は友人と机を向かい合わせにし、早起きして作った弁当を広げて箸を伸ばそうとしているところだった。
箸を伸ばす手を止め、すぐ横にある教室の窓から空を眺める。そこには晴天が広がっており、彼女の言う通り太陽が燦々と輝いていた。
初夏の太陽の日差しは窓ガラスを貫通し、先ほどから私の肌へと容赦なく突き刺さり続けている。
「うん、そうだね。でもそれがどうかしたの?」
目の前の友人に尋ねると、友人は不思議そうな顔をした。
「あれ? なんか思ってた反応と違うなぁ」
「そりゃ、このちゃんの意図がわからないからね」
彼女の独特な感性は、たまに私の理解の範疇を超えてくることがある。今回もそういう類のものなのだろう。
あまり気にしてもしょうがないと考え、私は弁当箱を鮮やかに彩る黄金色のだし巻き玉子へと箸を伸ばし、口へと運んだ。
今日のだし巻き玉子は我ながら会心の出来である。鰹出汁の旨みが詰まった柔らかな玉子は口の中でほぐれると、醤油の芳醇な香りとほのかな砂糖の甘味と共に口の中へと広がっていった。自らの料理の腕に惚れ惚れするが、どうにも今日は物足りなさを感じてしまう。そのせいで箸の進みも悪い。味は問題ないはずなのだが。
そんなことを考えながら先ほどまでだし巻き卵だったものを口の中で咀嚼していると、彼女が涎でも垂らしそうな表情で私の顔をジッと見つめていることに気がついた。
「このちゃん、1つ食べる?」
私のその言葉に彼女の顔が明るく輝き、頭をブンブンと縦に振った。現金なものである。
すると、友人は笑顔のまま口を大きく開けてきた。これはつまり、「あーん」して食べさせてくれということか。
仲の良い友人とはいえ、さすがにちょっと恥ずかしい気もする。でもまあいいか。
要望に応え、私は箸で摘んだだし巻き玉子を彼女の口へと運ぶ。哀れ、だし巻き玉子は友人の口の中へと落ちていき、彼女の口の中でモグモグと噛み砕かれていく。
すると次の瞬間、彼女の目が見開かれキラキラと輝いた。
「お、美味しい! ゆうちゃんは本当に料理上手だね」
彼女のその言葉は素直に嬉しい。だが、今日の私の胸にはモヤモヤしたものが生まれていた。
「本当にそうなのかな」
思わずそんな言葉が口から漏れる。だが、友人が不思議そうな顔をしているのが見え、私は慌てて言い繕った。
「ごめんごめん、変なこと言っちゃった。褒めてくれてありがとう」
私は作り笑顔を浮かべるとそうフォローする。
そう、これは作った笑顔だ。本当の私は今どんな顔をしているのだろう。
私には自分のことがよく分からなくなっていた。
その日の放課後、昇降口から外へと出ると、既に日も落ち空は暗くなり始めていた。
「遅くまで待たせちゃってごめんね。最後の大会が近いからみんな練習張り切ってるんだ」
隣を歩く友人が制汗スプレーを体に吹きかけながら私にそう謝ってくる。制汗スプレーの柑橘系の香りが私の鼻腔をくすぐった。
「ううん。高校3年の最後の大会でしょ、頑張りなよ。それに私が勝手にこのちゃんのことを待ってただけだし」
私のその言葉に彼女はにっこりと微笑む。ひっそりと佇む街灯の灯りが、そんな彼女の横顔をまるで白磁のように美しく染め上げていた。
「でも、こんなに遅くまで部活でもないのに残ってて、先生に注意されなかった?」
「私が『勉強してるんです』って言えば、ほとんどの先生は文句言えないと思うよ。何せ学年トップの優等生ですから」
私はわざとらしく自慢げに胸を張った。いつもならそれはただの冗談に過ぎないのだが、今日の私はどうにも冗談に徹しきれずに笑顔を作ることに失敗してしまったようだった。
「……ゆうちゃん、どうかしたの?」
その微妙な私の表情の変化を見逃さなかったのか、彼女は心配そうに声をかけてくる。
そもそも、こうして一緒に帰路についているのも私が彼女の部活が終わるのを一方的に待っていたからだ。運動部の彼女と帰宅部の私とでは帰る時間は本来は全く合わない。何かあったのかと彼女が心配に思うのも不思議ではないだろう。
そう、私は彼女に相談したいことがあったのだ。
重苦しい数瞬の沈黙の後、意を決して私は口を開いた。
「このちゃん、私、プロの料理人になりたいんだ」
私は彼女に告白した。
「でも、親も先生もそれに賛成してくれないんだよね。『もったいない』んだってさ」
彼女は私の顔を真剣な表情で見つめている。
夕闇はますます深くなり、私と彼女の足元を暗闇へと容赦なく誘っていく。
「私、どうすればいいのか分からなくなっちゃった」
私の目の前は既に暗闇に満ち、どこへ踏み出せばいいのか分からない。
だが次の瞬間、彼女は自分の顔を私の目の前にぐいっと近づけた。真っ暗だった私の視界は彼女の顔で埋め尽くされ、突然のことに私は驚く。吐息さえも触れそうな距離だ。
「なんだ、朝から元気がなかったのはそのせいだったんだね」
彼女はスッキリしたとでも言わんばかりににっこりと微笑む。まるで喉に刺さっていた魚の小骨が取れたとでもいうかのようだった。
「私には難しいことはよく分からないし、大人の考えてることも分からないけど、これだけは言えるよ」
そして彼女は私の右手を両手で掴み、胸の前で握りしめた。
「いつも自分が好きなことに一生懸命で、いつもキラキラ輝いてるゆうちゃんのことが私は大好きだよ!」
目を輝かせながら至近距離で突然そんなことを言われ、私は思わず顔を赤くする。彼女にバレないだろうか。
だがそれはほんのわずかな時間のことで、彼女は私の手を離すとスッと顔を遠ざけた。そしてクルリと体を回転させ、私へと背中を向けた。
「だから、私はゆうちゃんが一生懸命になれる選択をしてくれると嬉しいな。勝手なこと言ってごめんね」
いつも見ているはずの彼女のその背中が、今はとても頼もしく見える。
そして思い出した。何で私が料理人になりたいと思ったのかを。それは彼女が私の料理を「美味しい」と褒めてくれたからではないか。
私の目の前にはいまだに暗闇が広がっている。でも、それを照らしてくれる明かりもあるのかもしれない。
「このちゃん、ありがとう」
そう言うと私は視線を夜空へと向ける。そこにはいつものように月が明るく輝いている。
「月が綺麗だね」
私はそう彼女に言った。すると、彼女は再び私の方へと振り向くと笑顔で答えた。
「お日様が輝いてるからだよ」
そう言う彼女の表情は美しく輝いていた。
「じゃあ、プロの料理人になりたいなら、プロの料理人に早速弟子入りしよう。たしかクラスメイトに、家が中華料理屋さんの子がいたはずだよ」
「え? もうそんなに話が進むの?」
私は思わず驚きの声をあげる。彼女はもう次へと目を向けているようだ。
「そりゃそうだよ。大人たちにゆうちゃんの本気度を見せてあげないと。善は急げ、早速明日、話をしてみようよ」
私は苦笑しながら頷く。確かに彼女の言う通りであり、まるで彼女に先導されているかのようだ。
(これじゃ、どっちが太陽でどっちが月なのか分からないね)
内心でそんなことを考えるが、それで良いのだと思う。
私たちはお互いを照らし合い、お互いに輝くのだから。
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