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決断。ラヴェンナの場合


 イタリア北部、エミリア・ロマーニャ州のロマーニャ地方で、大規模な洪水が発生してから、2週間近くが経とうとしている。最初に被害が出始めたのとほぼ同時に、G7サミット会議のために日本へ向かったイタリアのメローニ首相が、最終日少し早めに切り上げて緊急帰国したので、日本のニュースでご覧になった方もあるだろう。首相は直接、被災地に乗り込み、現場を視察した。
 犠牲者が十数人というのは、亡くなった方には気の毒ながら、他の地震や水害などに比べればマシな方なのかもしれない。だが、田園地帯や住宅地が水に浸かり、泥に埋まり、それをかき出す人々の姿を連日ニュースで目にするのは、やはり決して心穏やかにはいられない。もともと低い土地だけに、いまだ水が引いていないところがあり、衛生・健康問題も心配されている。
 その中で先週、一つのエピソードに思わず目を疑い、よくよく詳細を読みながら自然とその目から涙があふれた。
 前回、5月17日に、ニュースを見ながらこのノートを書いていて、やや不思議に思っていたことがあった。浸水の被害が出ているのは、ファエンツァ、フォルリ、チェゼーナなどの町及び周辺で、同地域にあるラヴェンナの町の状況について、あまり情報がなかった。ラヴェンナは、ローマ時代のアエミリア街道沿いに発展した上記エリアから、やや外れてはいるものの、むしろ海岸には最も近い。紀元後5世紀には、崩壊寸前の西ローマ帝国の首都が置かれた町でもあり、その当時からの建物も残る。特に初期キリスト教の教会建築群には、その頃からのモザイク装飾が残されており、町ごとユネスコ世界遺産になっている。観光の名所でもあり、この地域では最も知られた町といえるだろう。
 だから、もしラヴェンナの町に水がつくようなことがあれば、さらに大きなニュースになるだろう。ラヴェンナ県内でも郊外は被害が出ていると報道されていた。どうか、あの町に被害が及びませんように、と祈るような気持ちで過ごしていた。
 そして、ラヴェンナの街が水没しなかったのは、決して偶然ではなかったと知った。町に最も危険が迫った日、県は「ラヴェンナの街を救う」判断をした。県から連絡を受けた近郊の農業組合は、自らの田園地帯へ向けて運河を決壊させ水を引き入れ、街に水が回らないようにしたのだと言う。実際はその後も数日間、まだ危険があった。さらに水量が増えれば、街も水に浸かる可能性もあった。だが、結果として街は難を逃れた。
 世界遺産に指定されているだけに、もしラヴェンナが水に浸かっていたら、建物から街自体、どれだけの被害が生じていたか想像もできない。この街を最も有名にしている「モザイク」は、壁や天井の装飾が中心だが、床モザイクや遺跡が残るところもある。重要な観光資源であり、何より小さな美しい街は、地元の住民にとっても自慢の、大切なお宝であろう。
 世界遺産、つまり全人類にとっての宝を守るためとはいえ、自分たちの田園や牧場、さらには住居が犠牲になるとしたら。大量の水と泥に埋まった畑は、元に戻すのに場合によっては何年もかかるだろう。家屋の被害は言うまでもない。イタリアで美術史と文化財保護について学び、とりわけラヴェンナの街を愛する私でも、もしその立場にいたら判断ができなかったかもしれない。だが、該当の農業組合長は、迷うことなく覚悟を決めた、と言う。行政と人と、双方の思いが一致しなければ、なし得なかった。彼らは、目の前の、自分たちの生活を犠牲にして、1500年の歴史を次に繋げることを選んだ。

サン・ヴィターレ大聖堂
ガッラ・プラチディア霊廟
サンタポッリナーレ・ヌォーヴォ教会


 エミリア・ロマーニャ州のサイトによると、一時は3万人を超えていた避難者も、昨日5月27日の時点で1401人に。とはいえ、770の県道、市道の一部または全部で通行止め、崖崩れは422カ所。近隣諸国含め、2000人を超えるボランティアや救援隊が活動中。
 ラヴェンナはいつも通り、観光客を迎えているとのこと。だが、ラヴェンナだけではない。 エミリア・ロマーニャ州は昨日、海の街リミニで会見を開き、6月2日には「海開き」をする準備ができているという。支援のためにも、ぜひ予定通り夏休みを過ごしにきて、と呼びかけている。


(写真は全て、昨年8月のものです。)

https://www.regione.emilia-romagna.it

28 mag 2023

#ローマ #ラヴェンナ #エミリアロマーニャ州 #水害  #イタリア #エッセイ

 

 


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